ロシア極東マイクロビジネス支援事業(第7回)について

〜洋紙・特殊紙編〜

 

平成16年9月30日

ロシアNIS室

天 野 雅 徳

 

 平成16年9月26日から30日にかけ、第7回ロシア極東マイクロビジネス支援事業として、洋紙、特殊紙の販売に関心を有する日本企業とともにウラジオストク、ハバロフスクを訪問したので、その概要を御紹介する。

 なお、文中意見に渡るところは、個人的見解であることを予めご了承願いたい。

 

1.ウラジオストク

 (1)ウラジオストク日本センター(浅井利春所長)

  ウラジオストクは、中古車、漁業、ロジスティクスの町であると同時に、大学(4校)や高等教育機関が集積し、学生・教職員が60万人の人口の1割を占めるインテリの町でもある(この要因もあってか先の大統領選でのプーチン支持率は低かった)。

  ウラジオストクでもようやく富裕層が現れ始めている。例えば、青森県産のふじを北海道経由で輸入しているロシア人がいるが、1個400円もするのに仕入れた3tが売れた。1/2くらいの大きさで安い中国産のふじもあるのに、日本産を買ったことに満足を覚える層が存在する。ショッピングセンターもイグナット(註:ウラジオストク初のエスカレーターを備えた6階建ての大規模店舗。金正日も視察に訪れたとされる)に続いてブイレーザーが昨年開店。また、露天を撤去しショッピング・ストリート化を目指しているフォーキナー通り(註:草薙剛が主演の邦画「ホテルビーナス」のロケにも使用されたとの由)など町づくり、建設活動も活発化している(資金が土地と有価証券に集中しややバブル気味とのこと)。

  紙の分野については、パンパースなどの紙おむつや生理用品が何故か日本から入ってきており人気がある。ただし、高級紙、特殊紙(広告、カタログ、パンフレット、包装材用)については新聞折り込み広告という文化もない中では、まだまだこれからといった状況ではなかろうかとのコメントがあった。

 

 (2)プレゼンテーション及び商談会の概要(@ウラジオストク日本センター)

  ウラジオストクでは、洋紙・特殊紙の取引先となり得る印刷業者及び印刷資材の卸業者を日本センターに集め、日本企業側から各々自社のプレゼンテーションを行った後、ロシア企業と個別に商談、さらに相互に関心を持った企業があれば翌日に会社訪問を行うという方式で行われた。ロシア側参加者は最終的に6社10人(事前の登録では8社11人)であったが、時間の都合で先に退席する会社もあって、希望していたロシア企業との意見交換の時間が取れなかったケースも生じた。

  商談の雰囲気は、ロシア側参加企業のほとんどが20代から40代の若い経営陣で占められていたためか、極めてビジネスライクに、持ち込まれたサンプルを基に熱心に意見交換が行われた。「バザール方式」で、不透明といわれたロシアのビジネススタイルも急速に変貌を遂げていることを強く印象づけられた。

  以上のウラジオストクでの商談結果を概観すると、依然低価格指向で、広告・宣伝用により質の高い紙を使ってみようと言うインセンティブが働かない企業が支配的である中にあって、品質の高い紙に関心を示す企業も存在はするものの、未だ市場が未成熟な段階ということもあって、取引ロットがコンテナ単位に届かないなど、ビジネス開始一歩手前の状況にあると感じられた。しかし、経営陣が保守的で今回は否定的な感触であった地場最大手の印刷会社も、ロシア最大の電力会社UESの傘下に入ったといわれ、現経営陣が刷新されれば、低価格路線の転換の可能性も秘めていると感じられた。

  なお、翌日の企業訪問には、私自身は別行動のため参加できなかったが、印刷資材販売会社1社を訪問。先方が現在使用している紙のサンプル(ベルキー、フィンランド産の紙)を入手するとともに、日本側からサンプル送付及び小ロット(コンテナ未満)輸送の場合の価格提示を約してきたとのことである。

 

 (3)三井物産ウラジオストク事務所(寺西秀臣所長)

  ロシアを初めて訪問した日本企業に漠然とロシアの変化を説明してもなかなかその実感は得られにくいことから、現地在住の商社の方から、ここ1〜2年間の極東、ウラジオストクの変化に関する生の声を聞いて、今後の極東の変化の方向と速度について判断材料を得ることを目的に訪問した。

  寺西所長からは、@2年前に赴任した当時と比べモノが豊かになり、2年前にはほとんど姿をみなかったスーパーマーケット方式が今は当たり前の状況となっていること、Aニュージーランド産の乳製品など、物資の調達先が(欧露部、欧州のみならず)アジア、オセアニアにまで広がっていること、B中古車も7年落ちから3年落ちの中古車(ロシアでは新車扱い)にシフトし、ベンツ、BMWも増えてきていることなど、ウラジオストクの消費生活が多様化し、実質所得が相当程度上がっている旨の説明があった。

  また、ロシア・極東はまだまだアナログ的な要素が色濃いので、ロシアとのビジネスにおいては良きパートナーを見つけることと同時に、パートナーと直接会って話す機会をできるだけ多く確保することが成功の秘訣である旨のアドバイスを受けた(失敗したケースを分析すると、パートナーと直接会って話すのが年1〜2回程度ということがあるとのこと)。

  このほか、対露ビジネスでよく問題となる通関の現状についても意見交換が行われた。

 

 (4)サミットモータース社(住友商事系のトヨタ車販売ディーラー)(ニキ・タケオ副社長)

  最近ロシア極東地域でも、富裕層が現れ、高級品、ブランド品へのニーズも見られるようになり、また新車も売れ始めたとの情報も流れていることから、極東の消費者ニーズの変化の動向を把握する目的でサミットモータース社を訪問した。

  同社は元々トヨタ車のアフターサービス(修理、部品販売)を目的に92年ウラジオストクに設立された会社で、新車販売がメインというよりも、修理、部品販売で固定費を賄い、新車が売れれば利益となるというコンセプトで設立された会社とのことであった。

  本件リポートは公表を想定しているため、余り企業の内部事情に立ち入った記述は困難であるが、2001年には年数台しか売れなかった新車が、2003年には500台を超え、しかもその7割はランドクルーザー(註:ショールームでランドクルーザーはVAT込み69,900万ドルで販売)が占めるというのが極東の現状で、中古車一辺倒といわれた極東にも大きな変化が生じていることが窺われた。

  また、2004年4月に完成した全面ガラス張りのショールームそのものも(日本では見慣れた光景でも)ウラジオストクにとっては画期的なもので、以前のように鉄格子でガードされ、外から目立たないところで販売されていた新車を、通りから見えるところに、夜間もライトアップして陳列・販売する方式は、現地従業員からも反対の出る程の"販売革命"であったとの由(ガラスは防弾機能も無いため、重機で突っ込んで盗まれる危険性も十分あるものの、これまでのところそうしたトラブルは発生していないとのことであった)。

  仁木副社長にも、昨年4月赴任以来のウラジオストクの変化を尋ねたところ、@赴任当時はどこに店があるのかよく分からないことが多かったが、イルミネーションも増え町が明るくなったこと、A以前は屋外広告がほとんど無かったが、急速に広告看板が増えてきていること、B大変な建設ラッシュにあることなどの指摘があった。

  特に今回のミッションとの関連では、屋外広告に対する関心が高まりつつあることは、いずれ広告、カタログ、パンフレットに対する需要の形で高級な洋紙、特殊紙への需要に繋がっていく可能性も秘めているものとして注目される。極東市場も、3年〜5年後といったタイムスパンではなく、半年後、1年後といったより短いスパンでその動向を把握していく必要性を実感させられた。

 

 (5)NTK社(ソン・ウー・チャン社長)

  ウラジオストクで成功している外資系企業ということで、NTK社を訪問した。NTK社はコリア・テレコムが73%、サムソンが12%出資し、沿海地方を対象に携帯電話事業、インターネット事業等を展開している通信会社である。元々はシンガポールの会社が93年に創業したものを、97年にコリア・テレコム他韓国企業が譲り受けたとのこと。97年の韓国は通貨危機に見舞われ極めて厳しい経済情勢にあったが、そうした危機の中にあってロシア極東の携帯市場の将来的な拡大に着目し13百万jの投資(2000年に9百万j追加出資)に踏み切った韓国企業の企業家精神に感服した。

  2003年末現在の沿海地方の携帯電話契約者数は約30万人で、NTK社の契約者数は15万人と全体の52〜53%のシェアを占めている(因みに沿海地方の人口は約207万人)。売り上げは2001年以来倍々ペースで伸びているとのことで2003年は43百万j、利益率も65%に達しているとのこと。ただし、最近クレムリンに近いとされる携帯電話会社メガフォン(ロシア第3位)が沿海地方に参入してきたため、将来の競争激化に大いに懸念を有しているとの説明があった。

  銀行が整っていないロシアにおける資金調達面での問題につき質問したところ、ロシアの携帯電話事業はプリペイド方式がほとんどなので、同社の場合銀行からの融資を必要としていない。むしろロシアの中小銀行の破綻が見られる中で、どうやって前払いされた資金を保全するかに悩んでおり、モスクワのシティバンクに預けるのも一案とはいうものの、預金利回りが低いこと(シティバンク4%、ロシア市中銀行7〜10%)、モスクワと7時間の時差がありいざというときの送金に不安があるなどの問題もあって踏み切れずにいるとのことであったので、当方から、日本の地方銀行のみちのく銀行がロシアに現地法人を設立しており、ハバロフスクにも支店がある旨紹介し置いた。

  また、ロシアでのビジネス上の問題点につき尋ねたところ、ロシア政府はリソース・マネジメントに関する認識が欠如しており、固定電話、携帯電話に分けて番号を割り振ることもなく、エリアコードの変更も二日前に通告してくるなど、大変苦労している。また、ハバロフスク地方にサービスを拡大したいと考えているが、許認可がなかなかとれないとの発言があった。

  後者の問題点に関し、当方から韓国政府を通じロシアのWTO加盟交渉の場で携帯電話市場の開放の問題を提起すれば譲歩が得られるのではないかと指摘したところ、ソン社長からは許認可がとれたとしても物理的問題、即ち、電波のかなりの部分を軍、連邦保安庁その他の治安当局に押さえられている現状では、これを整理して民間に開放させるのは現実問題としてなかなか容易でないとの説明があった(同社は一応韓国政府に働きかけはしている様子であった)。

 

 (6)在ウラジオストク日本国総領事館(丸尾眞総領事)

  丸尾眞在ウラジオストク総領事を表敬訪問し、急速に豊かになりつつあるウラジオストクの状況につき説明をうかがった。また、参加企業が懸念を表明していたロシアの通関問題に関し、本年1月より極東税関にジャパンデスクが開設され、日本語で対応可能な担当官も配置されているとの有益な情報を提供いただくとともに、極東でも20代〜30代の若くしっかりしたビジネスマンが育ちつつあるので、こうした人々の中から良きパートナーを見つけ出すことが、ビジネス成功の上で重要である等々のアドバイスをいただいた。

 

2.ハバロフスク

 (1)在ハバロフスク日本国総領事館(長内敬総領事)

  長内敬在ハバロフスク総領事を表敬訪問。長内総領事からは、20世紀初頭には曲がりなりにもビジネスが存在していた中国、東欧と異なり、ロシアのビジネスは(ソ連崩壊後)この10年に始まったばかり。過去の乗っ取りなどの行為がビジネス上の信頼を損なうことのリスクもようやくロシア人にも分かってきたところ。ロシアビジネスは、まだまだ日本人単独では難しい。ロシアの20代〜30代のビジネスマンは何をすべきか分かれば仕事が速い。若くて意欲と才覚を持った信頼できるパートナーを見つけ出すことがロシアでのビジネス成功の秘訣である。欧露部は(経済規模は大きいが)、欧米企業との激しい競合にさらされている。極東は(経済規模は小さいものの)競合相手は中国、韓国で、日本が選択される可能性も大きい等のアドバイスをいただいた。

 

 (2)商談会の概要(@ハバロフスク日本センター)

  オリガ・ハバロフスク日本センター所長代行から、同センターの活動概況につき説明を受けた後商談会に移行した。ハバロフスクでは、ウラジオストクと方式を変え、全体向けのプレゼンテーションは行わず、スケジュールに沿って30分刻みの個別面談方式で印刷業者及び印刷資材卸業者との商談が行われた。商談は2日に分けて行われ、2日目の午後以降は面談の結果関心を持った企業先への訪問に当てる方式をとった。最終的なロシア側の面談参加者は9社(当初予定10社)、訪問先は延べ5社という結果となった。

  私自身は都合で1日早く帰国したこと、面談は別々の部屋で行われたことから、ハバロフスクでの商談の雰囲気を概観するのは難しいが、あえてウラジオストクとの比較で言えば、製造業の存在しないウラジオストクよりも、製造業の根付いたハバロフスクでの商談の方が、洋紙、特殊紙の具体的な使途のイメージが湧く、実需に基づいた商談会であったように感じられた。また、商談後の訪問先数にも現れているように、ハバロフスクの方により将来的な取引の可能性を感じさせられた。商談への参加者は、ウラジオストクよりはやや平均年齢が高いような印象を受けた。

  なお、個別商談の中では、州独立印刷所が地元のバルチカビール工場向けのラベル印刷(現在サンクトペテルブルクで製造)の受注を狙っていることなど、地方政府関係機関の独立採算に向けた努力も垣間見られ、全般的に興味深い商談内容であった。

 

3.まとめ

  昨年ウラジオストクを訪れた際には、ウラジオストクは極東のサンフランシスコにしたいということで建設されたとの話を聞き、サンフランシスコ赴任経験者としてはやや当惑を禁じ得なかったが、1年ぶりに当地を訪れてみると、中心街の改装も進み、オフィスビル、マンションの建設ラッシュとも相まってかなり明るくきれいな町に変貌しつつあって、部分、部分ではサンフランシスコを忍ばせる箇所も現れてきたように感じられた。また、ハバロフスクも、メインストリート近辺が中心ではあるが煉瓦色で統一された新築のビルも建ち並び、落ち着いたヨーロッパ風の町並みがより美しく整備されつつあった。モスクワ周辺の発展が著しく、モスクワと比較するとむしろ格差が開きつつあると言われるロシア極東地域ではあるが、今回の訪問でその絶対的な成長スピードは極めて高いことを実感させられた。

  ロシア極東の洋紙市場は、今回面談したロシア企業の話を総合すると、モスクワ、サンクトペテルブルク、ノボシビルスクなどが主要な中継点となっていて、これらの地域を経由し主としてヨーロッパで生産された紙がロシア国内を流通していること、また近年は韓国から安価な紙が主としてウラジオストク経由で流入していることなどが明らかとなった。

  今回の訪問では、ビジネスに即結びつくまでには至らなかったが、これは"時期尚早"というよりも取引が始まる一歩手前のちょうど良いタイミングでの訪問になったのではないかと感じられた。というのもロシアでのビジネスには十分な事前準備が必要であり、日本側で勉強が進んだ1〜2年後には広告市場も成長し、極東でも質の高い洋紙・特殊紙を必要とする社会に変貌している可能性が高いと感じられたためである。この意味で、霞ヶ関に座っているとまだ早いと思われるような分野でも、1〜2年後の変化を見越してミッションを派遣してみるというのも有意義であると感じられた。

  最後に、今回のロシア極東マイクロビジネス支援事業を全面的にバックアップしていただいた()ロシア東欧貿易会の原調査役並びにロシア企業とのアポイントメント取り付け等に御尽力いただいたウラジオストク及びハバロフスクの日本国総領事館、日本センターの関係者の方々にこの場をお借りして感謝申し上げたい。

 

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