ソ連東欧貿易調査月報

1990年7月号

 

T.1990年度日ソ経済専門家会議日本側代表報告

U.ソ連の対外経済関係の組織と役割

V.ソ連の新政治制度と国家機構

W.ソ連のバム鉄道の現況

X.ソ連における共和国間の経済的相互依存関係

Y.米ソ通商協定

Z.東西技術移転とココム問題 ―クチメント博士の講演より―

[.ハンガリー新政府の国家再生プログラム(抄訳)

  1990年5月22日、アンタル首相が国会で提案―

\.1990年1〜6月のソ連の工業生産実績

].1990年1〜6月のソ連の畜産実績

XI.東欧諸国およびモンゴル経済資料

◇◇◇

日ソ・東欧貿易月間商況1990年月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌1990年月分)

対ソ・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

1990年月および1〜月累計)

 


 

1990年度日ソ経済専門家会議日本側代表報告

 

1.日本のエコノミストが見たソ連経済

2.ペレストロイカと地方分権

 

はじめに

 当会では6月1日〜28日に「第13回日ソ経済専門家会議」代表団をソ連および欧州各地に派遣し、政府関係機関、研究所などにおいてソ連・東欧経済交流に関する意見交換を行った。それに基づき、7月5日に如水会館において帰国報告会を開催した。以下、金森久雄団長(日本経済研究センター会長、ソ連東欧経済研究所所長)の「日本のエコノミストが見たソ連経済」、小川和男団員(当会常務理事、ソ連東欧経済研究所副所長)の「ペレストロイカと地方分権」の両報告を紹介する。

 


 

ソ連の対外経済関係の組織と役割

 

1.ソ連の対外経済関係の国家機関

2.ソ連の国家機関以外の対外経済組織

3.ソ連の貿易実務機関

 

はじめに

 ソ連の対外経済関係機関は、1986年に開始された対外経済部門のペレストロイカ政策により、再編に告ぐ再編を重ねており、1990年に入っても、その組織体系は定まったとはいえない。これらの組織改革の流れを要約すると、旧外国貿易省に集中していた対外経済部門での政策・商業取引における権限集中の分散、国内経済政策と対外経済政策を統一化し、他のソ連政府の政策との調整を図るという2点が挙げられる。以下に、組織再編成のポイントを挙げる。

 @ソ連閣僚会議国家対外経済委員会という旧外国貿易省の上位に、対外経済政策全般を扱う委員会を設置し、この委員会の構成メンバーとして国家計画委員会、資材・機械補給国家委員会という国内経済を担当する国家委員会の第一副議長を加えた(1986年)。

 A旧外国貿易省に集中していた直接的貿易権限を他省庁、企業、地方団体、協同組合まで大幅に拡大した(1986年、1988年)。

 B外国法人との合弁企業設立を認めた(1987年)。

 C主として社会主義諸国と発展途上諸国との経済協力、対外援助を担当していた対外経済国家交流委員会と外国貿易省が統合されて対外経済関係しょうが設立された(1988年)。

 D旧外国貿易省に置かれていた税関総局を切り離し、ソ連閣僚会議(内閣)付属の直属機関とした(1986年)。

 EAとも関連して国家機関ではないソ連商工会議所の対外経済関係における役割が高まりつつある。同時に、その他の対外経済関係の非国家機関(実務協力協会、合弁企業協会等)が設立され、これらの役割が高まっている。

 このような組織再編の動きは、1990年に入ってから、新たに経済改革関連の様々な法令がだされるなかで、ますます全体像をつかむのが困難になってきている。また、各共和国で主権宣言が出され、各共和国、自治共和国、地方、州、市等レベルでの地域主義がソ連全体に台頭し、現状はかなり複雑克流動的な様相を呈している。

 執筆は当会ソ連東欧経済研究所研究員 高橋浩である。

 


 

ソ連の新政治制度と国家機構

 

1.連邦制

2.大統領制

3.ソビエト代議制度

4.共産党

 

はじめに

 ソ連経済の再生を目指すペレストロイカは、その枠組み作りとしての政治改革に転じたが、その過程でいわば「社会革命」を招き、より根本的な政治制度の改変を不可避にした。今年(1990年)2月の党中央委拡大総会における政治綱領案の採択、3月の憲法改正とゴルバチョフ大統領の選出、そして7月の共産党大会を経て、ソ連の政治制度は一新された。ここでは現段階でのソ連の政治制度の基本点を、以下の点に絞って整理する。

1.連邦制

2.大統領制

3.ソビエト代議制度

4.共産党

 今回触れることのできなかった共和国・地方政治・閣僚会議・司法・野党・社会集団に関しては、今後改めて紹介したい。

 本稿執筆者は、当会ソ連東欧経済研究所 服部倫卓研究員である。

 


 

ソ連のバム鉄道の現況

 

1.バム鉄道の意義

2.建設の歴史から

3.建設の経過

4.今後の課題と問題点

5.現在の欠陥と障害

6.環境保全の諸問題

 

はじめに

 ソ連のバイカル・アムール幹線鉄道(バム鉄道)は、1989年10月から全線が常時営業運転となった。

 バム鉄道は「世紀の建設」と呼ばれ、ソ連国家をあげて建設に取り組んできたもので、ブレジネフ時代の1974年に本格的工事を再開し、10年ぶりの1984年10月1日、開通式を行い、一応は全路線の敷設を完了した。

 その後、ゴルバチョフ政権の時代になると、そのペレストロイカ政策によってプレジネフ時代における諸事業も見直されるようになり、このバム鉄道も批判の対象となった。しかし1989年、ようやく全線の営業開始となったものである。

 バム鉄道に対する批判とは、「停滞時代の所産である」とか、そして「一体、建設する必要があったのか」、また「あれだけ膨大な予算をつかって、得るところはさしてないのではないか」といったようなものである・はては「バム鉄道には列車は通っていない」とまでいわれてきた。

 しかし、現実には、列車は通っており、建設はなお行われてきていたのである。

 ソ連国内における、このようなバム鉄道に対する批判に対して、現在も実際に建設を実施したり、担当しているものの間から不満や反論がおこったとしても、それは当然のことであろう。

 そのうちのひとつとして、Y.N.ポリャコフの「バム鉄道の建設は行われている。そして鉄道は活動している」がある。この論文は、『鉄道運輸』誌に発表されたもので、ポリャコフの正式の職名は、交通省新線・第2線建設局長代理であり、またバム鉄道建設部長である。

 ポリャコフによると、1984年10月には単に路線が連結されただけで、なお多くの未建設地区と施設を残していた。その未建設は、現在もなお相当残されており、最大の障害はセウェロムイスキー・トンネルの建設であることを明らかにしている。

 このほか同論文は、バム鉄道の現在の状況、およびこれまでの建設経過なども詳しく述べ、また欠陥や失敗もかくすことなく発表している点で、これまでにない内容を含んでいる。

 以下、関心をひく部分について紹介する。なお、文中の建設進捗状況や数字は、すべて1989年末におけるものである。

 


 

ソ連における共和国間の経済的相互依存関係

 

1.ソ連における共和国間の経済的相互依存関係

2.共和国別の製品移出・移入の規模

 

資料紹介

 1990年3月にリトアニア共和国はソ連からの独立を宣言したが、4月にはこれに対抗してソ連連邦政府は、石油、天然ガス供給の停止をはじめとする経済制裁を実施した。この経済制裁の結果、リトアニアは独立宣言を一時凍結させざるを得なくなった。この事態の政治的評価はさておくとしても、ソ連における共和国間の経済的依存関係が予想以上に深く緊密なものであることをあらためて浮き彫りにした。

リトアニアにおける1988年の外国貿易を含めた製品の移出入総額(移出は59億5,800万ルーブル;移入は74億8,800万ルーブル)のなかで、ソ連国内取引の比重は87%に達している。鉱物資源の乏しいリトアニアでは、石油製品・ガスが5億6,000万ルーブル、鉄・非鉄金属が5億4,000万ルーブル、化学品が4億7,000万ルーブル、機械・設備が6億2,000万ルーブルとそれぞれ移入超過となっている。他方で、食肉、乳製品、軽工業製品、家具、冷蔵庫、テレビ、自転車などは移出超過となっている。しかしながら、ソ連では伝統的に、原・燃料や重工業製品の国内価格は国際価格と比べ低くして、資源に乏しい共和国に供給してきた。これらの製品に国際価格を適用すると、たとえば石油の場合、1988年のリトアニアの移入額3億9,900万ルーブルが、国際価格表示では13億1,900万外貨ルーブルに達する。他方で、上記のリトアニアの伝統的移出品は国際価格表示では、国内価格より安く表示されることになる。この結果、国際価格で試算したリトアニアの移出入の収支は36億8,700万外貨ルーブルの赤字となる(通常の表示では15億3,000万ルーブルの赤字)。

このように、ソ連の共和国間の経済関係は、天然資源の賦存状況や工業化の度合によって制約されるような交易関係が形成されてきたと同時に、ソ連連邦政府の価格、租税、補助金などの政策によって修正を施されてきた。したがって、共和国間の経済的依存関係は、かなり複雑な構造になっているといえよう。

以下で紹介する資料は、この複雑な共和国間の経済的依存関係の一端を、主として製品の移出・移入データによって解明しようとしたものである。

 

1.「ソ連における共和国間の経済的相互依存関係」は、ソ連『統計通報』誌(1990,No.3)掲載の「国民経済における共和国間の経済的相互依存関係」、2.「共和国別の製品移出・移入の規模」は、同誌(1990,No.4)掲載の「1988年の国内価格および国際価格表示での共和国別の製品移出・移入の規模」の翻訳である。

 


 

米ソ通商協定

 

資料紹介

 ここでは、1990年6月1日にワシントンにおける米ソ首脳会談で締結された「米ソ通商協定」(Agreement on Trade Relations between the United States of America and the Union of Soviet Socialist Repub1ics)を全文紹介する。

 通商協定の締結は、今回の米ソ首脳会談の最大の実質的成果といえる。

 今回の通商協定締結の意義は、とりわけデタント以降の米ソ関係のいきさつを振り返れば理解されよう。1970年代はじめ、ソ連との間にデタントを築こうとしていた米ニクソン政権は、1972年にソ連と通商協定を取り結び、ソ連に最恵国待遇を供与することを約束した。だが、依然反ソ主義の根強かった米国議会は、当時注目を集めていたソ連ユダヤ人の国外移住制限問題をとらえ、1974年通商法笹「ジャクソン・パニック修正条項」を盛り込み、「市民から国外移住の権利と機会を奪っている」非市場経済国への最恵国待遇の供与を厳しく制限づけたのである。この立法は米ソ間の経済協力の気運を冷却化し、結局1972年通商協定は履行されずに終わった。

 1985年のゴルバチョフ政権誕生以降、東西関係が著しく改善され、またソ連の出国政策が柔軟化するなかで、米ソ経済関係の正常化の課題が再度浮上してきた。こうしたなか、1989年12月のマルタ・サミットで米国側は最恵国待遇の対ソ供与の方針を明言した。このため、1990年の米ソ・サミットで新通商協定が締結されることは確実とみられていたが、ここでにわかに持ち上がったのがリトアニア問題である。ジャクソン・バニック修正条項はもともとソ連の人権問題への制裁であったが、リトアニア問題は人権と同じく米国の中心的な理念である民族自決の原則にかかわるだけに、リトアニアの一方的独立宣言にソ連政府が経済封鎖をはじめとする強硬な対処を行ったことで、ワシントン・サミットでの新通商協定の締結は危ぶまれた。だが、ブッシュ政権はソ連との協調を重視する現実主義の立場から通商協定の締結に踏み切り、内政面で危機に直面しているゴルバチョフ政権にとってはわずかながらの救いとなったわけである。

 通商協定は、以下のような全17条からなっている。

   第1粂 最恵国・無差別待遇

   第2条 製品およびサービスの市場アクセスに関する一般義務

   第3条 貿易の拡大と促進

   等4条 政府通商事務所

   第5条 商業上の便宜供与

   第6条 情報公開

   第7条 製品およびサービス取引に関連する金融条項

   第8条 知的所有権の保護

   第9条 トランジット

   第10条 今後の一層の経済協力のための問題

   第11条 市場かく乱防止策

   12条 紛争解決

   第13粂 国家安全保障

   14条 協議

   第15粂 条文の定義

   第16粂 一般的例外事項

   第17条 協定の発効、期間および失効

 また、通商協定とともに、9通の付属文書が交わされ、これらの文書は「『協定』同様に拘束力をもつ」と位置づけられている。各文書は、@知的所有権の保護、A観光、B武器貸与借款返済、C税関手続きと国際関税表導入、D繊維貿易、E商業活動の活発化と中小企業の役割の重視、F米国側によるルーブル口座の開設、Gソ連製金貨の輸入解禁、H両国の通商代表部の法的地位の制定と事務所の増設、を内容としており、協定本文の基本方針を受けて、両国が取り組むべき当面の課題を具体的に掲げている。

 また、周知のとおり、ソ連は米国穀物の大量輸入国であり、両国は長期穀物協定を通じて取引の安定化を図ってきたが、今回・通商協定とともに新たな穀物協定の調印が実現した。新協定の期間は1995年末までの5年間で・ソ連は米国から年間最低400万tの小麦と最低400万tの飼料穀物を含む最低1,000万tの穀物を輸入する、ソ連は米国側との事前協議なしに年間最高1,400万tまでの米国穀物を購入できる、といった骨子である。1990年12月までの現行穀物協定では、ソ連は米国から年間最低400万tの小麦と最低400万tの飼料穀物を含む最低900万tの穀物を輸入する。ソ連は米国側との事前協議なしに年間最高1,200万tまでの米国穀物を購入できるとされていたので、この分野での米ソ間の相互依存のレベルはいっそう高まったことになる。

 こうして通商協定、付属文書、新穀物協定が結ばれたことで、米ソ間の経済関係が緊密化に向かうことは確実であり、このことは東西関係にとってもソ連経済にとっても好ましいことには違いない。とくに、産業競争力の低下にあえぎ・ココム規制の緩和など対東側取引の容易化を求める米産業界にとっては、今回の協定は朗報である。しかし、通商協定の締結をブッシュ大統領の「窮地のゴルバチョフへのプレゼント」とみるのは、やや単純にすぎよう。たしかに、最恵国待遇の供与は一種の経済便宜の提供にほかならない。だが、協定にある合意事項の多くは、名指しこそしていないが、ソ連のみが負う義務をうたったものである。1972年協定が対等の立場での協力発展というトーンで貫かれていたのとは異なり、新協定は両国の置かれた状況の違いを反映してきわめて非対称的な内容となっている。端的にいって、ブッシュ米政権の協定締結のねらいは、ゴルバチョフ政権の支援もさることながら、ソ連が米国との経済関係を正常化するにあたって準拠すべき基準を明文化し、これをテコに・シ連の旧体制からの脱皮を促し、ソ連を国際経済体制に組み込んでいく点にあると思われるのである。

 もちろん、市場経済への移行と国際経済体制への参入をもくろむゴルバチョフ指導部にとって、米国側のねらいは相容れないものではあるまい。だが実際のところ、「ゴルバチョフ支援」との一般的な見方とは異なり、協定はソ連にとって恩恵的な内容にきわめて乏しいといわねばならない。周知のとおり、現在西側諸国間で対ソ金融支援を行うべきかどうかが論議の的となっているが、この協定においてはわずかに第3条で「(機械、設備およびテクノロジー取引のための)有利な金融条件を創出する」との一節が盛り込まれ、米国の製造業への配慮がなされたのみである・欧州復興開発銀行の設立協議やヒューストン・サミットでみられたのと同様な、対ソ融資に対する米国のかたくなな態度の表れといえよう。

 このように、今回の協定は米ソ経済関係の正常化という点では大きな成果であるが、対ソ融和に条件付きの姿勢で臨む米国の原則主義をまたも浮き彫りにしたともいえるのである。

 


 

東西技術移転とココム問題―クチメント博士の講演より―

 

 当会では、来日したM.クチメント・ハーバード大学ロシア研究センター客員研究員を講師に迎え、6月11日に「東西技術移転とココム問題」と題する特別調査研究会を開催した。そこで本月報ではその内容を紹介する。

 クチメント氏は1936年生まれ、1960年にソ連オデッサで物理学修士号、1972年にソ連科学アカデミー科学技術史研究所で科学博士号を取得している。東西技術移転問題の専門家として著名であり、主著に「技術と東西貿易」がある。

 


 

ハンガリー新政府の国家再生プログラム(抄訳)

1990年5月22日、アンタル首相が国会で提案―

 

1.人間と経済

2.当面の行動プログラム

3.立法プログラム

 

資料紹介

 ここに訳出した資料は、今春の自由選挙(3月25日、4月8日投票)で成立したハンガリー民主フォーラムを中心としたハンガリー新政府の施政プログラムである。ただし全文ではなく、経済に関連する部分のみを取り上げてある。今回翻訳の対象からはずした項目は、本文では、@人間と環境、A人間と教育、B人間と社会、C人間―祖国―世界、補足部分では、D保健・医療政策への提案、E青少年保護の諸課題、手段体系、機構の再編にむけての提案、@環境保護、である。

 内容についてみると、当プログラムが掲げる基本諸目標(@社会的市場経済の構築、A対外債務化の停止、D強力で安定したフォリントの創出、など)は、いずれも前政権(ハンガリー社会主義労働者党、およびその後身であるハンガリー社会党の政府)が提起していたものであり、本質的差異はない。具体的な分野別施策についても、農業政策を除き、前政権のそれとの違いを見い出すのは困難である。

 農業政策については大きな違いがある。前政権は、基本的に社会主義的大規模農業を擁護する立場に立っていたが、新政権は、明らかに個人農経営優先の立場に立っている。むろん前政権とて、旧来のシステムをそのまま存続させる姿勢はとらず、1989年には、協同組合資産の持分化、国営農場の会社化容認など一連の所有改革に着手していた。ところが新政権は、農業問題のなかで土地所有権問題に最大の関心をむけ、これを1947年時点に引き戻すという主張を展開している。新政府のプログラムには、農業生産を一時的にも混乱させないという表現があるが、「それを可能にする農業構造は?」という問いに対する答えはなく、小規模農業への移行で問題解決が図れるという楽観主義が支配的のようだ。もっともそれ(再度の土地改革による小農創出)も、必ずしも明確に提起されているわけでなく、土地それ自体の分配なのか、土地資産価値の各個人への確認にすぎないのか曖昧である。もし後者だとすれば、従来から協同組合の土地は原則私有であり、土地供出組合員は地代を給付されていたのであるから、今回の施策は無意味だということになる。農業政策の曖昧さは、新政権(連合政府)内部で各党の主張が一致していないことによる。新政府プログラムの農業政策には、明らかに農業大臣を出した小地主党の立場が色濃く出ている。しかし野党勢力は、第2党の自由民主連合、第4党の社会党がともに国営農場、農業生産協同組合の一般的解体に反対しているし、与党グループ内でも反対の意見が強いと言われており、農業政策がこのまま実施されるかといえば、かなり疑問といえよう。

 インフレ対策については、物価・賃金統制といった対症療法をとらず、補助金カット、欠損企業の整理、増税、社会的所有企業の私有化、貯蓄奨励等による過剰流動性の吸収と新たな発生の抑制、および民営化、外資導入を通じる民間事業活動の促進による商品供給の増大によって、これを克服しようとしている。これは、おそらく短期的にはインフレが放置されることを意味するといえよう。

いずれにせよ、ハンガリーでは、今年中に一連の主要法律の制定・改正が予定されており、年内に大規模な変化が予想される。ハンガリーにおける今後の変化を観察するうえで、ここに訳出した政府プログラムはその方向を知る重要なガイドとなろう。

 


 

1990年1〜6月のソ連の工業生産実績

 

概況 

@ソ連の1990年1〜6月の国民総生産は対前年同期比で1%減、生産国民所得は2%減であった。A工業生産高は前年同期比で0.7%減少した。このような生産の減少は軍需産業部門の生産縮小がひとつの要因であり、また、同部門の民生用への転換も順調ではないためである。民族衝突・ストライキなども工業生産の減少に大きく影響しており、とくにこの面ではアゼルバイジャン共和国(工業生産高は前年同期比25%減)、アルメニア共和国(同12%減)への影響が大きい。

B燃料・エネルギー部門では天然ガスが前年同期比増産になったものの原油、石油は減産である。自動車用ガソリンの生産も減少し需給が逼迫している。

C機械工業部門では、−部製品の生産高が増加(数値制御付鍛造・プレス機械・医療機器など)したものの交流用モーター、トラクター、穀物コンバインなどの生産が減少している。これらの生産減の要因としては、金属材、鋼材の供給状況が悪くなっていることがあげられる。

D化学工業部門では、とくに基礎化学品の生産状況が悪い。

E林業部門では・丸太の調達状況が悪く、用材の生産高は前年同期比7%の減少となった。とくに生産合同「アルハンゲリスクレスプロム」、「プリモルスクレスプロム」、「カレルレスプロム」、

「イルクーツクレスプロム」の生産高は11〜17%も減少している。