ソ連東欧貿易調査月報 1990年9月号 |
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ソ連の新企業法
1.一般的規定
2.企業の設立と登記の手続き
3.企業の資産
4.企業の管理と自主管理
5.企業の経営的、経済的および社会活動
6.企業と国家
7.企業の解散と再編
資料紹介
1990年6月4日にソ連最高会議においてソ連法「ソ連における企業について」が採択された。本法律は1989年秋の最高会議第2会期に「社会主義企業法」として提案されていたものであるが、さまざまな討論を経て、法律の名称は「社会主義企業法」から単なる「企業法」となった。この法律の採択が必要となったのは、1987年に採択された国有企業法自体がソ連経済の現状と将来予測される経済環境の変化に適合しなくなってきたからである。
本法律は、国有企業の他、1990年3月に採択された所有法で認められている個人企業、家族企業、集団企業、株式会社などあらゆる形態の企業を対象とし、基本的にこれらの企業の同権を認めている点で画期的なものといえる。本法律は1991年1月1日から施行される予定である。
この法律でとくに注目される点は、@企業の国家登記制による企業設立手続きの簡素化、A企業長の採用は企業財産の所有者の権限となったこと、B企業の経営は労働集団の自主管理と財産所有者の権利との調整のもとに行われること、C営業秘密、企業の完全な利潤利用権などにみられる経営活動における企業の自主性のいっそうの拡大、などである。
なお、ここに紹介するテキストは、ソ連『経済と生活』紙(1990年No.25)による。
ソ連経済改革の基本案
―ルイシコフ計画と500日プログラム―
1.大統領会議・連邦会議合同会議におけるN.I.ルイシコフの演説(1990年7月20日)
2.市場経済への移行プログラムについて最小限綱領『500日の信任』(500日プラン)
資料紹介
今日、ソ連では従来の中央集権的な経済運営システムから市場経済に大きく依存した運営システムの構築をめざす抜本的な経済改革が進行中である。
ソ連が市場経済システムへの移行を公式に表明したのは、1990年5月24日の最高会議でのルイシコフ首相の「調整される市場経済システムへの移行」構想に関する報告においてである。しかし、これにたいしては、同構想に盛り込まれていた7月からのパンなど食料の大幅値上げを恐れた市民が買い占めに殺到するなど、激しい反発を招いた。この結果、最高会議はこの構想を基本的に了承したものの、9月までにあらためて政府案の練り直しを求めた。こうした経過のなかで、6月にはアガンベギャンを委員長とする市場経済移行の代替案についての政府委員会が設立され、政府案の見直し作業を開始した(後にアガンベギャン案となる)。他方で、各共和国レベルでも独自の改革案の作成作業が行われた。このうち、ロシア共和国が作成した市場経済移行構想が「500日プログラム」(エリツィン案とも呼ばれる)である。
7月末に、ゴルバチョフ大統領は、ロシア共和国との間で改革プログラムについて合意ができたことを明らかにした。さらに8月初めには、ゴルバチョフ大統領とエリツィン・ロシア共和国最高会議議長との間で、経済改革案を検討する専門家からなる作業グループの設置について合憲した。これは、8月2日付の「連邦条約の基礎としての市場経済移行の連邦プログラムの構想準備について」という大統領令において明文化された。この作業グループによって作成された構想が「市場への移行」(シャタリン案と呼ばれる)である。
9月17日、ゴルバチョフ大統領は最高会議で、政府案(修正された)、シャタリン案、アガンベギャン案の「調整案」を上程し、最高会議での採決を求めるが、この場では採決にまでいたらなかった。
ここに紹介するのは、5月のルイシコフ報告を修正した政府案に関しての7月20日の大統領会議・連邦会議合同会議におけるルイシコフの演説とシャタリン案の基本となった500日プログラムである。
1989年〜1990年のソ連農業
―米国農務省報告―
1.農業改革における中途半端な措置
2.投入供給と効率
3.1990年代のソ連の農産物貿易
4.米ソ貿易
5.商品市場
資料紹介
本稿は、米国農務省の発行する報告書”USSR Agriculture and Trade Report-Situation and Outlook Series”(1990年5月)を抄訳し、紹介するものである。
ソ連では、昨年来、土地や賃貸制に関する農業関連の法律が採択されているが、こうした農業改革にもかかわらず、1990年もソ連農業は、適時の収穫の問題をはじめ、困難に直面した。この余波を受け、都市部での食糧事情が深刻化していることも伝えられている。
この報告書では、単に生産・貿易動向のみならず、農業の法的環境、投資や投入の問題点、ソ連の穀物輸入にとって重要な米ソ関係等についても言及がなされており、ソ連農業の今後を占う上で見落としてはならない諸点が考察されている。
ソ連の民族別人口構成
資料紹介
ソ連は1989年1月に、1979年以来10年ぶりに国勢調査を実施した。この調査結果は、1989年4月から徐々に発表されつつある。当研究所でもすでに『調査月報』(1989年8月号)で共和国、主要都市別の人口などのデータを紹介した。本月報では、ソ連統計国家委員会の発行する「統計ブレス・ブレティン」(1990年、No.4)に発表されたデータの一部を紹介する。
なお、1989年1月12日現在のソ連の人口は、2億8,671万7,000人であり、この10年間に9.3%、2,430万人増加した。
東ドイツとソ連との通商関係
はじめに
本稿はドイツ経済研究所発行の経済月報1990年6月号に掲載されたハインリッヒ・マコウスキー氏の論文を訳出したものである。
筆者によれば、東ドイツとソ連は互いに最大の貿易相手国であり、その貿易構造をみると、東ドイツはソ連に重化学工業製品を輸出し、原油、天然ガス、鉄鉱石をはじめとする原材料を輸入するという相互補完的な関係を構築してきた。しかしながら、ソ連東欧諸国における中央計画経済体制から市場経済体制への移行に伴い、貿易も世界市場価格、交換可能通貨で行われるようになり、両国間の貿易関係も変革が余儀なくされていると指摘心している。
ところで、昨年劇的な変革を遂げた東ドイツはわずか11カ月後の本年10月3日、東ドイツが西ドイツ基本法23条に基づく西ドイツへの編入という形で統一が達成されるに至った。両ドイツの統一に抵抗するであろうと思われていたソ連は7月に統一ドイツの北大西洋条約機構への帰属を承認、9月にはモスクワで東西ドイツと英米仏ソ6カ国外相会議でドイツ統−の最終文書が調印されるなど、両ドイツの統一が認められるに至った。この背景には、経済不振に苦しむソ連に対し西ドイツより多額の経済援助が決定されたことが大きく寄与している。
いずれにせよ、東側・西側諸国のなかでそれぞれ最大の対ソ貿易国であった両ドイツの統一により、統一ドイツの対ソ経済・貿易関係は飛躍的な進展が予想される。