ソ連東欧貿易調査月報

1991年4月号

 

T.1990年の日ソ貿易

U.危機脱出を模索するソ連経済

     ―アルバキン・ソ連科学アカデミー経済研究所長講演会より―

V.ソ連の外貨管理法

W.ソ連の投資活動法

X.資料◆日ソ間で署名の15文書(1991年4月18日)

Y.資料◆日ソ共同声明

Z.1991年1〜3月のソ連の工業生産実績

[.1991年1〜3月のソ連の畜産実績

◇◇◇

日ソ・東欧貿易月間商況1991年3月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌1991年3月分)

対ソ連・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

1991年2月および1〜2月累計)

 

 


 

1990年の日ソ貿易

 

1.1990年の日ソ貿易一般動向

2.輸出の主要動向(1)

3.輸出の主要動向(2)

4.輸入の主要動向(1)

5.輸入の主要動向(2)

 

 ソ連経済の不振は深刻で、1990年の実績はソ連統計国家委員会の発表でGNP(国民総生産)が2%マイナス成長、工業生産高は1.2%マイナス成長を記録、消費財の生産は4.4%のプラスであったが生産財は3.2%のマイナスとなった。このソ連経済の不調は日ソ貿易に大きく影響し、貿易構造にかなりの変化をもたらしている。ソ連が基本建設の投資を抑制したため、輸出では消費財とその関連品目は増えたが鉄鋼はじめ伝統的な重厚長大品目は後退した。輸入でもいくつかの構造変化が出ている。1990年の日ソ貿易通関実績は、この動向をかなり正確に反映したものとなった。

 


 

危機脱出を模索するソ連経済

―アルバキン・ソ連科学アカデミー経済研究所長講演会より―

 

はじめに

 当会では、会員各社の協力を得て、アルバキン・ソ連科学アカデミー経済研究所長を4月3〜11日、日本に招待し、各省庁関係者、エコノミスト、研究者、実務家との意見交換の機会を作った。こうしたスケジュールの一環として4月8日に霞ヶ関ビル東京会館において講演会を開催したので、本月報でその内容を紹介する。

 アルバキン氏はかねてから改革志向の経済学者として注目され、1986年より科学アカデミー経済研究所長を務めている。また1989年から1991年1月の新内閣組閣にいたるまで、副首相と経済改革国家委員会議長を兼務し、経済再建の政策立案に携わってきた。

 今回の講演で同氏は、市場経済への移行策と平衡して、これとは矛盾する措置をも含む経済安定化策を実施しなければならない経済危機の現状に触れ、特別安定化基金の創設といった一時的な中央集権的措置の必然性を説明している。さらに、ここ数ヶ月間で経済が急激に悪化し、1990年末に作成された経済安定化策をすでに見直さざるを得なくなったため、今後、より厳しい財政政策を含む新たな安定化策がとられ、また実施機関も長引く可能性があると述べている。

 


 

ソ連の外貨管理法

 

はじめに

 ソ連では1991年3月1日に「外貨管理について」のソヴィエト社会主義共和国連邦が制定され、4月1日から発効している。同法は現時点におけるソ連の外国為替管理法と解される。

 これによって、ソ連における外国為替業務はすべて外為業務公認銀行に集中されることになり、市民・法人は建前上は外為銀行を通して、時々の市場レートで外貨を自由に売買することができるわけである。

 しかし、その後ソ連国立銀行によって公布された「市民が自己の負担で外貨を海外に持ち出す際の売買(送金)規則」によれば、ソ連市民の私用での海外旅行の場合の外貨購入額限度は200ドル、海外永住目的の場合は100ドルと規定されていることにも見られるように、実施規則でいかようにも制限できる余地を残したものとなっている。

 同法の目的は、公式的にはルーブルの国内交換性導入への第一歩とされているが、直接的にはヤミ市場における外貨の売買を一掃し、ソ連国内にある外貨を一元的に管理し、あわせて国庫への外貨の流入増を図ることを狙っている。

 また、ソ連経済の現状を反映して、将来的には無効となるであろう緊急避難的な諸条項を多く含んでおり、時限立法の色彩が強いものとなっている。

 テキストは『イズベスチヤ』紙(1991.3.15)。

 


 

ソ連の投資活動法

 

資料紹介

 以下に紹介するのは1990年12月10日にソ連最高会議で採択された「ソ連における投資活動に関する立法の基礎」全文(ソ連『経済と生活』紙、1990年12月,No.52)の翻訳である。本「基礎」は、今後ソ連の各レベルで投資法を制定する際に準拠すべき一般的基礎となるもので、1991年1月1日より施行された。

 これを受けて、連邦政府は7月1日までに、投資活動に関する現行の法規則を見直し、本「基礎」に準拠した改定を行うことになっている。

 


 

資料◆日ソ間で署名の15文書(1991年4月18日)

 

 

資料紹介

 1991年4月16日、ソ連ゴルバチョフ大統領が来日した機会に、日ソ間では18日、15の協定や交換公文、覚書が調印された。

 ここでは公表されたその日本語正文および一部訳文を紹介する。

 

協力15文書一覧

1.日ソ政府間協議に関する覚書

2.ソヴィエト社会主義共和国連邦における市場経済への移行のための改革に対する技術的支援にかかる協力に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定

3.日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の1991年から1995年までの期間における貿易および支払いに関する協定

4.ソヴィエト社会主義共和国連邦極東地方との消費物資等に関する交換公文

5.展覧会および見本市の相互開催の勧奨にかんする日ソ共同声明

6.漁業の分野における協力の発展に関する日ソ共同声明

7.航空業務に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の付属書Tの改正に関する交換公文

8.航空業務に関する日本国におけるソヴィエト社会主義共和国連邦との間の交換公文

9.環境の保護の分野における協力に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定

10.原子力の平和的利用の分野における協力に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定

11.チェルノブイリ原子力発電所事故の住民の健康に対する影響を緩和するための日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の協力に関する覚書

12.第2回日ソ文化交流委員会において作成された文化交流に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の協定の実施に関する2年間の計画の承認に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の外交上の公文

13.文化財の保護の分野における日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の交流および協力に関する覚書

14.現代日本研究センターの活動に関する協力に関する日ソ共同声明

15.捕虜収容所に収容されていたものに関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定

 


 

資料◆日ソ共同声明

 

資料紹介

 去る4月16日から19日まで、ゴルバチョフ・ソ連大統領が初来日を果たし、海部首相との6回にわたる精力的な首脳会談が重ねられた。これを受け18日、ここに紹介する「日ソ共同声明」が発表された。

 懸案の「北方領土問題」については領土問題の存在が認識され、いわゆる北方4島が声明に明記されるという進展があったが、とりあえずは1956年の日ソ共同声明でうたわれた2島返還の線までもどすという日本側の働きかけはソ連側の難色に会い、実質的成果は期待を下回るものになった。

 とはいえ、ソ連元首の来日が初めてかない、今回の声明でも「拡大均衡」の原則に沿って多分野にわたる二国間協力を推し進めていくことがうたわれたことは、日ソ関係の展望を明るいものにしよう。今後は、外交ルートの協議もさることながら、今回調印された協力諸文書(別掲)をうけて日ソ関係が質的にも量的にも拡大していくことが期待される。

 


 

1991年1〜3月のソ連の工業生産実績

 

概況

@ソ連の1991年1〜3月の国民総生産(GNP)は対前年同期比で8%の減少となった。生産国民所得は、同じく10%減少し、社会的労働生産性は9%低下した。

A工業生産高は対前年同期比で5%減少したが、とくに1991年3月は対前年同期比で6%の減少となった。生産財生産部門(工業のAグループ)は対前年同期比で6%低下し、これまで比較的高成長を遂げていた消費財生産部門(工業のBグループ)も3%の低下を記録した。

B燃料・エネルギー部門では、電力生産と天然ガス生産を除けば軒並み減産となった。とくに石炭生産は炭鉱ストライキなどのために1991年3月には対前年同期比で18%の減産となり、そのうちコークス用石炭は33%の減産であった。冶金部門では、基本的な製品の生産が前年同期と比べ減少した。機械工業部門でも重要品目が軒並み減産となった。この基本的原因は資材・機械の供給が十分でなかったためである。

C化学・林業部門では、基礎科学の重要な原料製品(苛性ソーダ、硫酸など)の生産が悪化している。また、化学繊維・糸・合成染料、ゴム靴などの消費財生産も減少した。医療品は全体としては増加したが、ひどく不足している薬剤の生産はむしろ減少した。

Dアルコール飲料を含めた民生用消費財生産は、対前年同期比で2%減少した。このうち、食料品生産高は6%減少したが、食料品以外の民生用品(軽工業製品を除く)の生産は金額にして10億ルーブルの増加となった。軽工業製品の生産は、ほとんどすべての品目で減産となり、対前年同期比で8%減少した。