ソ連東欧貿易調査月報

1991年6月号

 

T.ソ連・東欧における市場経済移行の問題

  ―スコット国連欧州経済委員会貿易部長の講演会より―

U.ソ連の銀行関連法

V.ソ連の「雇用法」

W.ウラルの経済力と対日経済関係拡大の可能性

  ―ペルミ州代表団講演会より―

X.第21回ソ連東欧貿易会定時総会報告(概要)

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日ソ・東欧貿易月間商況1991年月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌1991年月分)

対ソ連・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

1991年月および1 〜月累計)

 


 

ソ連・東欧における市場経済移行の問題

―スコット国連欧州経済委員会貿易部長の講演会より―

 

はじめに 

 当会では、ノーマン・スコット国連欧州経済委員会貿易部長が来日したのを機に、5月30日に「1990〜1991年のソ連、中・東欧における市場経済移行の問題」と題する講演会を開催した。本月報では講演会の内容を紹介する。

 スコット氏は長年にわたり東西貿易関係拡大の促進に携わってきた専門家である。今回の講演会では、ソ連・東欧の市場経済移行の現状とそれに伴って東西関係に生じたさまざまな問題点について最新のデータをもとに分析し、今後の西側援助のあり方を提案している。

 


 

ソ連の銀行関連法

 

1.「ソ連国立銀行に関する」ソ連法

2.「銀行および銀行活動に関する」ソ連法

3.「ソ連国立銀行に関する」ソ連法および「銀行および銀行活動に関する」ソ連法の施行に関するソ連最高会議決定

 

はじめに

 ここに紹介するのは、1990年12月11日にソ連最高会議によって採択された「ソ連国立銀行に関する」ソ連法(国立銀行法)と「銀行および銀行活動に関する」ソ連法(銀行法)および両法の施行に関するソ連最高会議決定である。

 現在ソ連では、従来の中央集権的計画経済システムから市場経済システムへの転換が試みられており、転換のための環境整備が進められているが、今回の銀行関連法の整備もその−環をなすものである。

 ソ連では戦後長らく、発券銀行、政府の銀行としての役割と商業銀行の役割を兼務する国立銀行(ゴスバンク)、産業分野別に融資する国営専門銀行、住民向けの銀行業務を担当する国家労働貯蓄金庫(現在の住民貯蓄・融資銀行)、外国為替・対外決済業務を独占的に行う外国貿易銀行(現在の対外経済銀行)から成るモノバンク的な銀行制度が存在してきた。しかし、1988年9月1日付のゴスバンク新定款によって商業銀行、株式銀行、協同組合銀行およびその他の信用機関の設立が認められ、その結果、ソ連全土に非国営銀行が相ついで誕生した(1990年4月には170行の商業銀行と91行の協同組合銀行がゴスバンクに登記されている)。また1990年からは、国営専門銀行の株式銀行化が進行した。

 以上の状況は、中央による一元的な通貨・金融管理を困難にし、またソ連国内におけるインフレの高進は、ゴスバンクに本来の中央銀行の役割に専念させ、各共和国内の商業銀行に対する規制については各共和国の権限に移す必要性が高まってきた。このことが、今回の銀行関連法の制定につながったものと考えられる。

 同法によれば、現行のソ連銀行制度の主な特徴は以下の通りである。

 @ ソ連の銀行制度は中央銀行システム(国立銀行と各共和国の中央銀行より構成)と商業銀行の2層構造をなし、中央銀行システムは準備制度の枠内で機能する。

 A 中央銀行システムの最高管理後閑は国立銀行中央評議会であり、中央評議会の常設機関は国立銀行理事会である。

 B 国立銀行はソ連最高会議に対して、各共和国中央銀行は各共和国最高会議に対して責任を負い、各予算の出納業務を行う。

 C 銀行業務の実施に係るライセンスは各共和国中央銀行が、全連邦商業銀行(農工銀行、工業・建設銀行、住宅・社会銀行貯蓄銀行)の銀行業務の実施に係るライセンスは国立銀行が交付する。銀行の外国為替業務に係るライセンスは国立銀行と各共和国中央銀行が交付する。

 D 国立銀行と各共和国中央銀行は商業銀行相互間の決済を組織する。

 E 国立銀行と各共和国中央銀行は、イ.商業銀行に供与する貸出金利の決定、ロ.預金準備率で決定、ハ.日常的な金融調節を通して金融政策を遂行する。

 F 商業銀行は国立銀行が決定する経済基準を順守して活動する。

 G 商業銀行は国立銀行による別段の定めがない場合、業務に係る金利および手数料率を自主的に決定する。

 H 預貯金業務はすべての商業銀行で実施され、国立銀行による別段の定めがない場合、受け入れ条件を自主的に決定する。

 I 外国通貨に対するルーブル・レートの規制は、国立銀行により、公定為替レートおよび自由為替市場における外国為替売買取引を行うことにより実施される。

 J 中央評議会が編成されるまでは、準備制度の機能遂行に関する中央銀行システムの全般的指導は国立銀行理事会が行う。

 法律の施行は公布の日からとされているが、中央評議会の編成は1991年3月1日までに完了するとされている。

 


 

ソ連の「雇用法」

 

資料紹介

 1991年1月15日、ソ連で「国民の就業に関するソ連社会主義共和国および共和国法規の原則」が採択された。この「原則」は理念的にはソ連国民の雇用労働のみならず個人営業活動、家事、公共活動等を含めた広範囲の就業者を対象としたものである。もっとも、内容的には、今後の経済改革の進展に伴って予想される企業倒産、大量解雇、配置転換、失業の増大に対処するための雇用の確保、失業時の生活保障に重点が置かれているのは明らかであり、本「原則」は「雇用法」といってもさしつかえないものになっている。長らく失業の存在を否定してきたソ連が「失業」を直視し、その対策に本腰を入れ始めたことは画期的なことである。

 しかしながら、この「原則」に盛り込まれている雇用庁(職業安定所に相当)の設置、労働者の再教育、失業手当の支給等、すべて巨額な財源を必要とするものであり、はたして経済システムが混乱する現状においてそれだけの財源(国家雇用促進フォンド)が確保しうるか、おおいに疑問である。国家雇用促進フォンドは国、地方自治体の補助金と企業、機関、組織、協同組合の義務的拠出(賃金総額の1%)により構成されるが、財政赤字が深刻化するなか、企業、協同組合等からの義務的拠出が十分に行われるかが、この法律の円滑な実施に大きく関係している。

 なお、この「原則」は第4章(1991年7月1日から施行)を除き公表時(1月末)から施行されている。テキストはソ連『経済と生活』紙(1991、No.6)を使用した。

 


 

ウラルの経済力と対日経済関係拡大の可能性

―ペルミ州代表団講演会より―

 

1.ウラルの経済力と対日経済関係拡大の可能性 ペルミ大学付属コンサルティング・教育ビューロー(KUB)会長 A.A.クリモフ

2.1991〜1995年およびそれ以降のペルミ州の対外経済活動の基本方向について(ペルミ州人民代議員ソビエト幹部会決定 No.128 1991年2月21日)

 

はじめに

 当会の招請に応じて、ソ連・ロシア共和国ペルミ州からの代表団が昨年に引き続き5月中旬に来日した。この機会に当会は、5月16日に東京証券会館で同代表団による講演会を開催した。

 本月報では、そのうち、A.A.クリモフ・ペルミ大学付属コンサルティング・教育ビューロー(KUB)会長の講演「ウラルの経済力と対日経済関係拡大の可能性について」の内容を掲載するとともに、当会が代表団から入手したペルミ州人民代議員ソビエト幹部会決定「1991年〜1995年およびそれ以降のペルミ州の対外経済活動の基本方向」を併せて紹介する。

 


 

21回ソ連東欧貿易会定時総会報告(概要)

 

1.1990年度事業の概要報告

2.平成3年度事業計画

3.定款の一部改正

 

はじめに 

 ソ連東欧貿易会は1991年5月22日、第21回定時総会を開催した。ここではその際報告された平成2年度事業内容と平成3年度事業計画を紹介する。

1990年の日ソ貿易は59億1,400万ドルにとどまり、前年に比べて2.8%減少している。日ソ貿易は1989年には史上初めて60億ドルの大台に達したが、再び停滞することとなった。日ソ貿易はこの10年間ほどは年間50億ドル台で低迷しており、近年の日ソ経済関係への関心の高まりのわりには上昇気流に乗れないできた。とりわけ、輸出が振るわず、1990年にはこの傾向をいっそう強めた。日本の貿易総額に占める日ソ貿易のシェアは1990年には1.1%と前年に比べて0.2%減少した。対ソ輸出が日本の輸出総額に占めるシェアは前年の1.1%から0.9%に低下したが、対ソ輸入のシェアは1.4%と前年並みであった。1990年の日ソ貿易の大きな特徴は1975年以来続いた日本側の出超が再び入超に転換したことである。これは対ソ輸出環境が悪化したのに対して、日本国内の需要増大によって対ソ輸入が大きく伸びたためである。

 対ソ輸出不振の最大の原因は、ソ連国内の石油、天然ガス開発投資が鈍るとともに、国内経済の混乱と外貨不足が深刻化したことによって、日本の主力輸出品であった鉄鋼が大幅に落ち込んだことにある。

 日本はソ連から原材料、燃料を輸入している。その代表的な商品は非鉄金属、木材、石炭、魚介類である。近年注目されるのは非鉄金属や魚介類の輸入量が急増し、木材のそれが低下していることである。1990年の対モンゴル貿易は、対前年比30.9%減少して3,154万ドルであったが、うち日本の輸出は対前年比89.1%増の1,408万ドル、輸入は同54.5%減の1,745万ドルであった。

1990年の対東欧諸国貿易概況は、日本の輸出が9億9,598万ドル(対前年比26.5%増)、輸入が7億2,070万ドル(同10.9%減)で、往復では17億1,668万ドル(同7.6%増)と1988年に次ぐ貿易高を記録した。

 往復貿易額でみた相手国の順位は、1位ポーランド(前年と同じ)、2位ユーゴスラビア(同7位)、3位ハンガリー(同2位)、4位ルーマニア(同3位)、5位チェコスロバキア(同5位)、6位東ドイツ(同6位)、7位ブルガリア(同4位)、8位アルバニア(同8位)であった。