ソ連東欧貿易調査月報

1991年9月号

 

T.ソ連外国投資法

U.ソ連のアルミニウム生産と対外貿易

V.米ソの軍事支出比較

W.中国黒龍江省およびハルビン市の対ソ連・東欧貿易

◇◇◇

日ソ・東欧貿易月間商況1991年月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌1991年月分)

対ソ連・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

1991年月および1 〜月累計)

 


 

ソ連外国投資法

 

ソ連最高会議決定「ソ連における外国投資に関する立法の基本の施行について」

ソ連における外国投資に関する立法の基本

 

資料紹介

 以下に紹介するのは、7月5日、ソ連最高会議によって採択された「ソ連における外国投資に関する立法の基本」(ソ連『経済と生活』紙、1991年8月、No.32)の全訳である。

 これは1990年10月26日付の「ソ連における外国投資に関するソ連大統領令」を具体化・詳細化したもので、1991年5月29日にソ連最高会議で基本承認を受けていたものである。

 8月の「政変」によって、今後同「基本」に大幅な変更が加えられることも予想されるが、「基本」が現時点における対ソ外国投資を規定する法規と判断し、とりあえず紹介しておく。

 同法は、その名称が示すとおり、外国投資法策定に当たってのガイドラインを示したもので、具体的運用については各共和国の関連法規が定めることになる。

 


 

ソ連のアルミニウム生産と対外貿易

 

資料紹介

 このほど、ソ連対外経済関係省景気研究所原料部長のI.V.カザコフ氏の「ソ連におけるアルミニウム生産と対外貿易の発展に関する若干の問題」と題する論文を入手したので、ここに翻訳・紹介する。ソ連の非鉄金属工業の実態は、従来ベールに覆われており、その詳細を十分に知ることができなかった。アルミニウムのみならず、基本的な非鉄金属の価格動向などにも言及しており、ソ連経済の基礎的工業力を知る上で参考となろう。

 


 

米ソの軍事支出比較

 

はじめに

 以下に紹介するのは、ソ連科学アカデミー付属アメリカ・カナダ研究所の発行する月刊誌『米国―経済、政治、イデオロギー』1991年5月に掲載された、同研究所のS.M.ロゴフ氏による「パリティーのコスト―米ソの軍事費の比較」と題する論文の全訳である。

 ブッシュ米大統領は9月27日、戦略核から戦術核にいたるきわめて広範かつ大胆な核戦力の削減、廃棄計画を発表した。過剰武装の重荷を下ろし、ソ連「8月政変」後の新しい国際秩序の構築に強力なイニシアチブを発揮することを狙ったものといえよう。核軍縮が大幅に発展した場合の国際安全保障がどのようなものになるのか、依然として不明確であるとはいえ、今回のブッシュ構想により、1980年代後半からの軍縮の流れが新たな段階に入るであろう事は間違いない。西側も旧社会主義諸国もいよいよ、軍事偏重の経済を適正化し経済の平和転換を断固として推し進めるべきときがきた。

 米ソの両超大国が戦後の東西対立下で軍備を拡張し、これが両国の経済にとって多大な負担となったこと、とくに近年の両国の危機的財政状況を克服するために軍事費の削減が早急に望まれることは、常識として知られている。とくにソ連の場合には、経済・社会の極端な軍事偏重の是正は、国家体制のひとつの柱といえる。

 こうしたことから、ソ連ではとくにクーデター未遂以降、抜本的な軍改革や軍需産業の民需転換の議論が本格化している。この平和転換の民代を考える際にやはり欠かせないのはこれまでの実態がいかにあったかを見極めることであろう。従来の軍事支出構造とその背景、平気生産に関連する問題などを看過して単に軍事費の削減だけを唱えるのは、不毛な議論である。また、軍民転換の成果は一兆一夕には期待できないことから軍縮は当面は工業生産の低下として現れざるを得ないという点や住宅、就業の確保を含む帰還兵問題など、いわば「軍縮のコスト」についてのリアルな認識も備えておかねばならないだろう。

 ロゴフ氏の論文は、米国との比較という方法を用いて、ソ連の軍事支出の動向とその構造・問題点を論じており、上述の問題を考える際に有効な基本的データや分析を提供している。この論文が8月の政変の以前に執筆されたということもあり、氏の立場は、ソ連は軍事支出構造を適正化して、軍の近代化と米国とのパリティーをより合理的に追求すべきだというものである。その意味では、現在ソ連で主流を占めている「ラディカルな」思潮からはやや外れる見解であるが、ソ連の軍事支出の問題点をデータにもとづき批判的に検討している点には、きわめて興味がもたれる。

 


 

中国黒龍江省およびハルビン市の対ソ連・東欧貿易

 

1.1989年の黒龍江省対ソ国境貿易

2.1989年のハルビン市の対外経済貿易

 

資料紹介

 1957年から始まった中ソ国境貿易は一時中断したが、1982年以降再び急速な発展を見せた。1988年4月から1990年の年末にかけて黒龍江省からソ連へのバーター貿易による輸出額は、約15億スイスフランに及んだ。このなかには労務輸出も含まれているが、1989年春から1990年末までに黒龍江省などから約2万2,000人の中国人労働者が森林伐採、建設作業、野菜栽培などに従事するためにウラジオストクやハバロフスクなどのソ連極東地方に出たとされる。

 ソ連は1991年からハードカレンシィによる貿易取引に移行したため、対中国貿易も減少している。しかし、中ソ両国共にハードカレンシィが不足しているため、国境地域ではバーター取引が再び活発化するという逆説的な現象が生じている。

 以下に紹介するのは、1990年版の『黒龍江対外経済貿易年鑑』(中国黒龍江人民出版社)のなかから第8章の対ソ連東欧経済貿易と第9章のハルビン市対外経済貿易の章を抄訳したものであるが、このような中ソ国境地域でのヒト、モノ、カネの動きの活発化の現象が非常に具体的に記述されていて興味深い。現在、中国では北東アジア経済圏の創設の有用性が熱心に議論されており、同地域を多国間で総合的に開発するとの考えが主流を占めている。また、ソ連極東でも地元の開発にモスクワからの投資を期待することは、もはや不可能であるとの認識が一般的である。中ソ両国の経済、産業、商業構造は相互補完関係にあり、また、7,000kmに及ぶ国境、長い歴史的関係、鉄道、水路などの輸送面での充実度を考えれば、今後、中ソ国境貿易は両国経済の中で、ますます大きな役割を占めるようになると考えられる。