ロシア東欧貿易調査月報

1992年10月号

 

T.1992〜1993年のロシア経済

  ―ロシア科学アカデミー経済予測研究所 ヤリョメンコ所長講演会より―

U.ロシアにおける民営化の動向と問題点

  ―ロシア科学アカデミー経済予測研究所ラサディン主任研究員講演会より―

V.1992年のロシア国家予算の概要

W.カザフスタンの社会と経済

X.1992年月のロシア経済

Y.1992年月のベラルーシ経済

◇◇◇

旧ソ連・東欧貿易月間商況(1992年9月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌(1992年9月分)

CIS・グルジア・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績1992月および月累計)

 

 


 

1992〜1993年のロシア経済

―ロシア科学アカデミー経済予測研究所 ヤリョメンコ所長講演会より

 

1. 1992年7〜8月に急に衰退した生産

2. 見直しが必要な「経済改革深化プログラム」

3. 新しい経済改革への提案

 

はじめに

 当会では、ヤリョメンコ・ロシア科学アカデミー経済予測研究所所長が来日したのを機に、10月14日東京証券会館において講演会を実施した。本月報ではその内容を紹介する。

 今回の講演で同氏は、最新のデータを下にロシア経済の抱える諸問題を紹介し、その原因について鋭い分析を加えている。また、後半では1993年の社会・経済所今日の展望に加え、現状打開へ向けての提言を行っている。

 なお、見出しはすべて、当研究所が付したものである。

 


 

ロシアにおける民営化の動向と問題点

―ロシア科学アカデミー経済予測研究所ラサディン主任研究員講演会より

 

1. 自然発生的な民営化

2. 国家による民営化とその問題点

3. 国家資産の民営化に対する労働集団の関心

4. 民営化に対する個人的な関心

5. 民営化プロセスの全般的傾向

6. 大規模な民営化に必要な条件の欠如

7. 民営化は急ぐべきではない

 

はじめに

 当会では、ラサディン・ロシア科学アカデミー経済予測研究所主任研究員が来日したのを機に、10月14日東京証券会館において講演会を実施した。本月報ではその内容を紹介する。

 今回の講演では同氏は、ロシアにおける民営化の進行状況を紹介し、さらに、それが遅々として進まない現状について鋭い分析を加え、原因を指摘している。また、氏の長年の研究テーマである軍産複合体について、そのロシア経済に与える影響力の大きさを、民営化のかかわりの中で論じている。

 


 

1992年のロシア国家予算の概要

 

はじめに

 旧ソ連の解体にともなって、1992年からは国家共同体構成諸国は、独自に国家予算を策定するところとなった。

 ロシア連邦の場合、旧ソ連邦の主要機能の継承、市場経済化を目指すラディカルな経済改革の進展によるインフレの高進というなかで、1992年国家予算を策定しなければならなかった。

 このため、予算法の制定は大きくずれ込み、7月になってようやく成立することになった。

 市場経済化に伴う混乱によって、税収が不安定であり、当局の予想通りに歳入が確保できるか予断を許さない。

 


 

カザフスタンの社会と経済

 

.   自然と社会

.   経済の概要

.   経済改革と1991〜1992年の経済動向

 

はじめに

 カザフスタン共和国(Republic of Kazakhstan)は1991年12月16日、ソ連邦から独立した。ロシア革命(1917年)後の内戦を経て1920年10月、ロシア共和国内のキルギス自治共和国の一部となり、1936年にカザフ・ソビエト社会主義共和国となった。社会主義政権下に70年間あったことになる。

 日本の7.3倍(271.3万Km)の国土に1,679万人が住む。ユーラシア大陸の内奥部に位置し、海への出口がない。気候は寒暖の差の激しい大陸性で、東と南東部の山岳地帯を除き砂漠と半乾燥地帯となっている。

 多民族国家で、1979年にはロシア人が40%を占めていたが、1989年にはカザフ人が最大のシェア(39.7%)を占めるようになった。その他の主な民族はドイツ人、ウクライナ人、ウズベク人、タタール人などである。

 革命前は後進的な牧畜国であったが、社会主義政権下、資源開発中心の工業化が進められた。工業発展速度は1960年代まで全ソ連平均を上回っていたが、ソ連の経済発展目標が「量」から「質と効率」の重視へ変化すると、カザフスタンの投資の伸びが鈍り、工業増産速度もソ連全体を下回るようになった。1988年現在、カザフスタンの工業生産高を人口一人当たりで比較すると、ソ連平均の半分以下に過ぎない。これまでにカザフスタンは、ソ連の中で工業原材料と穀物の供給国となったが、工業製品と一部食料品は他の共和国からの供給に依存している。

 資源では、鉄、石油、石炭のほかとくに非鉄金属が豊かである。旧ソ連で生産していた金の6〜7%、銀の50%以上がカザフスタンで産出されていた。また、ダイヤモンド鉱床もあり、これらの有効利用が重視されている。

 カザフスタンの経済改革の目標は、市場経済の下で、経済的自立を図ることである。その実現のためには囲う産業を発展させ、産業構造を改善する必要がある。しかしこれには一定の時間を要するため、旧ソ連構成諸国との経済関係再構築に説教区的である。一方、改革をできるだけはたく進めるため、外国の協力を重視し、外資導入条件の整備に力を入れている。土地は国有であるが、40年までの長期賃貸が可能となっている。生産と外資獲得の上でもっとも重要な地下資源も国有で、その利用は政府の管理下にある。また強力な輸出と外貨管理制度は国際的な信頼形成に役立っている。こうした状況の下で民営化が進められているため、その中心はおのずから農業と軽工業、食品工業、サービス産業となっている。

 1992年1月6日の価格自由化以降、インフレと物不足から、市民生活が苦しさを増している。ルーブル圏に属するカザフスタンの物価と通貨の安定は、ロシアの動向に左右されるところから、きわめて難しい状況にある。

 経済的な困難が増す中で、カザフスタンがこれまでのところ比較的安定を保っているのは、穏健な改革派であるナザルバエフ大統領が国民の強い支持を得ているためといわれる。また、旧体制の行政能力が温存されていることも重要な要素である。1991〜1992年のカザフスタンの経済の落ち込みは、CIS諸国の中では小幅にとどまっている。きわめてかたよった産業構造を持ち、多様な民族を抱えるカザフスタンが経済改革を進めていく上では、今後も堅実な管理体制の維持が不可欠と見られる。

 本稿執筆者は、当研究所 研究開発・交流部次長 本村和子である。

 


 

1992年月のロシア経済

 

はじめに

 このほど、『ロシア新聞』(No.240,1992.11.4)に1992年1〜9月のロシアの経済実績の概要が掲載された。そこでここではこの記事を中心に、当研究所がロシア統計国家委員会から独自に入手したデータによる補足を加えつつ、ロシア経済の動向を紹介する。

 


 

1992年月のベラルーシ経済

 

はじめに

 ベラルーシは人口1,000万人強で、資源に乏しい国である。そのため、経済発展に当たっては、旧ソ連邦の中でも労働生産性の工場が特に重視され、それが実現されてきた。産業構造に閉める工業のシェアは、旧ソ連邦の中でも高かったが、特にほかの共和国に比べると、消費財の生産の工業生産に占める割合が大きかった(3割)ことが特徴であった。また農業も効率化が進められた結果、穀物を除く主要食料品は輸出余力を持つようになっていた。

 こうしたベラルーシも、ソ連邦崩壊の中で経済の後退を経験することになったが、ベラルーシ政府の強いイニシアティブのもとで、これまでのところ経済の落ち込み、混乱はほかのCIS諸国に比べ小規模に抑えられている。

 1992年に入ってのベラルーシ経済については、『ソビエツカヤ・ベラルーシ』紙(1992年8月12日付)に1〜6月の経済・社会状況がベラルーシ統計国家委員会により公表されたので、ここにその概要を紹介する。