ロシア東欧貿易調査月報

1994年11月号

 

T.1993〜1994年のロシアの農業生産と農産物貿易

U.ロシア鉄鋼業の現状と発展方向

  【付属資料】ロシア冶金業の技術更新・発展連邦プログラム(1993〜2000年)

 

V.北東アジア・ロシア極東の物流交通について

  ―ザルビノ港実地調査を踏まえて―

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旧ソ連・東欧貿易月間商況1994年10月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1994年10月分)

CIS・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(1994年8月および1〜8月累計)

 

 


 

1993〜1994年のロシアの農業生産と農産物貿易

 

1.  農業生産

2.  農産物貿易

 

はじめに

 ソ連時代より、農業は「ソ連経済のアキレス腱」と呼ばれてきた。気候的に不利な条件や農業構造上の欠陥から、農業生産は年毎の変動が大きく、その発展のテンポは非常に緩慢であった。実際、1970年代後半から1980年代後半にかけて、ソ連の工業生産の伸び率は例年3〜4%であったのに対し、農業生産の伸び率は1%前後にすぎなかった。この間、1987年に農業はマイナス成長を経験している。また、同時期の農業投資は総投資額の17〜20%、農業企業に対する補助金は国家支出の8〜15%に達したが、それに見合うだけの生産の上昇はみられなかった。

 ソ連の農業生産は増大する需要に追いつかず、1970年代以降、農産物の大量輸入が恒常的に必要となった。1980年代には農産物貿易で例年130億〜170億ドルの輸入超過を記録している。こうした農産物の大量輸入に要する支出は、農業投資や補助金供与とともにソ連財政を逼迫させる一因になっていた。

 ソ連解体後 口シアではこうした事態を打開し、農業生産を安定させるためにソフホーズ・コルホーズの再編、個人農経営の創出、土地の私有化などの抜本的な改革が進められている。しかし、ロシアの農業生産の実質増加率

は、1992年には前年比9.4%減、1993年には4%減であり、改革の困難さを物語っている。また、現在ロシアでは対外債務の膨張と財政赤字により農産物輸入が大幅に縮小している。これと生産の低下を併せて考えれば、ロシアの農産物需給は逼迫した状況に置かれているといってよい。

 本稿は、農産物供給という観点から、ロンアの農業生産と農産物貿易の近況について書かれたものである。執筆者は、ロシア東欧経済研究所研究員中居孝文である。

 


 

ロシア鉄鋼業の現状と発展方向

 

1.  鉄鋼業の需要(国内需要、輸出)と供給(生産、輸入)の主要な要因

2.  主要製鉄所

3.  ロシア鉄鋼業の発展計画

 

はじめに

 ここに紹介するのは、ロシア科学アカデミー経済研究所V.マエフスキー教授の執筆になるロシア鉄鋼業の現状と2000年までの発展プログラムの概要に関する論文である。

〔付属資料〕として、ロシア冶金業の発展プログラムの全文を掲載したので、併せて参照願いたい。

 


 

北東アジア・ロシア極東の物流交通について

―ザルビノ港実地調査を踏まえて―

 

1.  ロシア極東港湾の現状と問題点

2.  ザルビノ港のもつ意味

3.  ポシェット港について

4.  交通関係の諸問題

5.  小括

 

はじめに

 現在、極東ロシアの沿海地方の一番南端の港で北朝鮮との国境に近い位置にあるザルビノ港(ハサン商業港)とポシェット港が、日本海での新しい航路の開拓という期待をこめて注目されている。

 発端は、中国東北3省のひとつ吉林省が自らの直凄的な日本海への出口を求めて、図們江計画を大きく打ち出したことにある。この計画は最初防川河川港(地図参照)を整備し、ロシアと北朝鮮の国境を15kmにわたり図們江を下って日本海にでるコースを考えていたが、その後の経過で、このコースの難点は明らかになり、それに代わってこのザルビノ港コースが、最優先順位に浮上してきた(この問題については、巻末参考文献B、Cを参照)。

 このザルビノ計画は、中国の黒龍江省を巻き込むとともに、日本サイドでも日本海側の諸港の港湾計画に一定の影響を与えつつあり、とりわけ新潟港はこの問題に県を挙げて取り組んでいる。北海道の港湾物流も農産物輸入に関し米国産から中国産の穀物への輸入先の変更が現実化してくるかもしれない。

 筆者は昨年に引き続き本年もまた8月末から9月初めにかけ港湾専門家を含め4名でこの問題について現地調査を実施した。今回の訪問先は、港湾に関しては、ロシア側はザルビノ港、ポシェット港、ナホトカ港、ヴォストーチヌイ港、ウラジオストク港、中国側は天津港など極東の6つの港であったが、同時に吉林省の延吉、図椚、琿春、防川など図們江計画を構成する拠点都市を訪問し、多くの最新情報を得た。この小論はその調査の一端である。

 執筆者は、望月喜市北海道大学名誉教授である。