ロシア東欧貿易調査月報 1995年12月号 |
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ロシアの金融業界の現状
1. 金融危機前後のロシアの金融業界
2. ロシアの主要金融機関の現状
3. 銀行のリース業の現状
はじめに
ロシアの銀行というのは謎の存在で、その実体がよくわからない。だが、1995年8月末の金似危機を契機に、かなり詳細な情報がロシアの新聞・雑誌に掲載されるようになった。本稿では、それらの新聞記事(『コメルサント・デイリー』紙、『ファイナンシャル・イズベスチヤ』紙等)を基に、ロシア金融業界の全般的状況ならびに銀行ランキング(総資産額によるもの)の上位3行の最近の動向をまとめてみた。金融業界の謎に迫るところまでには至らなかったが、その一端を知るうえでの参考となれば幸いである。
なお、「金融危機勃発前」、「金融危織勃発」、「アグロプロム・バンク」の項は、当会経済速報の第1007号に掲載したものを転用した。
筆者は、坂口泉ロシア東欧経済研究所調査役である。
ロシアの新しい外国貿易管理法 (11月号掲載)
前号は、編集上の不手際により、未校正のまま掲載されました。ここに改めて校正後のものを掲載いたします。皆様に大変ご迷惑をおかけしました。
資料紹介
1995年10月に新しい外国貿易管理法である「外国貿易活動国家規制についての」ロシア連邦法にエリツィン大統領が署名した。内容は、一般的規定が多いが、第4章の「外国貿易活動の国家規制についての基本規程」などは、具体的内容(とくに、貿易における国家独占あるいは貿易保護措置など)も含まれており、今後の外国貿易活動の基本的法律として重要なものである。なお、原文は『経済新聞』(1995、No.43)による。
ロシアの外国貿易の現状と国の政策
―ロシア連邦対外経済関係省付属景気研究所オレーシキン所長講演会より―
はじめに
当会ではロシア連邦対外経済関係省付属景気研究所オレーシキン所長の来日を機に、12月13日に東京証券会館において「ロシアの外国貿易の現状と国の政策」というテーマで講演会を開催した。オレーシキン所長は外国貿易関連の法律の専門家であり、講演会はプロダクション・シェアリング法や関税率、為替管理など興味深い内容となり、質疑応答も活発に行われた。また、講演会には在日ロシア連邦通商代表部のルザノフ首席も参加され 日ロ関係の観点から質問に対して回答していただいた。本稿ではこの講演会の内容を掲載する。
韓国の旧ソ連・東欧貿易動向
―日本の同地域貿易との比較―
1. 1994年の韓国の世界地域別貿易と旧ソ連・東欧貿易の位置づけ
2. 1994年韓国の国別の旧ソ連・東欧貿易概況―日本との比較―
3. 韓国の対旧ソ連・東欧貿易の輸出入商品
4. 1995年の韓国の対旧ソ連・東欧貿易動向
はじめに
本文のテーマは韓国と旧ソ連・東欧との経済交流の近況を明らかにすることにあるが、その韓国の国際政治環境は長い間厳しい東西冷戦下で国土を南北に二分され、東側諸国との国交は閉鎖状態に置かれていた。このため韓国の東西貿易は厳しく制限されてきたが、1980年代後半のペレストロイカ時代の到来によりようやく状況に変化が見え始め、1989年以降には韓国は東側各国との国交樹立に次々と成功し、これにともなって対外経済交流上の阻害要因も取り除かれるようになった。こうした動きは東アジアにも波及し、中国、ベトナム、モンゴルとの国交も正常化されていった。
それから約5年が経過したが、この間の韓国と、これら旧東側諸国との貿易は堰を切ったように拡大し、大きな業績を上げている。たとえば韓国・ロシア貿易をみると、国交未開設であった1989年当時の貿易額(往復)は5億9,945万ドルで、同年の日ソ貿易の10分の1程度であったが、1994年には旧ソ連に当たるCIS・沿バルト諸国との貿易合計額は27億8,530万ドルに達し、4.6倍に増え、日本の同地域貿易との差も約2分の1以内(54.4%)までに縮小した。
同じ傾向は東欧貿易にも現れている。1989年の韓国の対ポーランド貿易(往復)は、7,410万ドルであったが、1994年は3億7,649万ドルへと5倍に拡大し、同年の日本・ポーランド貿易の実績を上回り約2倍となった。また同年の東欧12カ国との貿易合計額でも日本の実績の93.5%とほぼ同レベルに近付きつつある。
以下ではまず@韓国の世界貿易のなかで旧ソ連・東欧貿易はどの辺に位置付けられるか観察し、次にA韓国の国別旧ソ連・東欧貿易概況と、Bその輸出入商品の研究を試みたい。
筆者は、ロシア経済専門家の島津朝美氏である。
データバンク
1. ロシアの経済統計
2. CIS諸国の経済統計
3. 中東欧・CIS諸国の信用度ランキング