ロシア東欧貿易調査月報 1996年7月号 |
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96年ロシア大統領選の全貌
1. 総評
2. 選挙戦の展開
3. 有権者の選択
4. 地域別の選挙結果
結びに代えて―民主主義への前進を促した大統領選挙
(参考資料)大統領選の連邦構成体別選挙結果
はじめに
本稿は、6月16日および7月3日に投票が実施されたロシア大統領選挙についての評価と分析を示すものである。まず、第1節では総論的な評価を行う。そのうえで、第2節において選挙戦の展開を振り返り、第3節ではそのもとで有権者がどのように選択を下していったかをみることにする。さらに第4節では、選挙結果を地方別に検討する。参考資料には、今回の選挙結果の地方別データを完全収録した。
本稿執筆者は、ロシア東欧経済研究所研究員服部倫卓である。なお、本稿の記述の一部は、当研究所『ロシア東欧経済速報』に連載した「シリーズ ロシア大統領選を追う」で発表済みであることをお断りしておく。
大統領選後のロシア経済
資料紹介
ロシアでは大統領選挙も終わり、内政の焦点は政府人事と経済政策に移りつつある。
ロシアの経済状況の評価をめぐっては楽観論と悲観論が交錯し、その客観的な現状把握が難しいのが現状である。
ここに紹介する資料は、当研究所がロシア連邦経済省マクロ経済予測局に委託した1996年上半期のロシア経済の状況に関するレポートを翻訳したものである。危機的状況にあるといわれている財政状態を中心に手際よくまとめられている。
急伸著しいロシアの石油トレーダー
―石油輸出権に群がる新興ビジネスの実像―
1. 石油トレーダーの前史
2. 主要トレーダーのプロフィール
はじめに
ロシアにおける貿易の自由化は、国の財政危機とも相俟って、貿易に関わるビジネスの興隆をもたらしている。近年におけるロシアの輸出の堅調な伸びは、このような新興ビジネスの発展と無関係ではないであろう。
本稿は、おもに石油輸出分野で急成長を遂げつつある石油トレーダーのプロフィールを紹介するものであるが、ロシアにおけるビジネスと政治の相互依存関係の具体的事例としても、きわめて興味深い。
本稿執筆者は、当会ロシア東欧経済研究所次長坂口泉である。
カザフスタンにおける外国投資関連法の概要
1. 外国投資法
2. ライセンスの取得と企業の設立
3. 民営化
4. マネージメント・アグリーメント(MA)
5. 結論
まえがき
1994年末の「外国投資法」を皮切りに、現在カザフスタンでは経済関連の法制度の制定・改正が急速に進んでいる。ただし、矢継ぎ早に採択されたこれらの法律は相互に矛盾するところも多く、また頻繁に変更が加えられることから外国投資家が対応していくのは容易なことではない。さらに、民営化の際のマネージメント・コントラクト等、例外的措置の横行もまた指摘されるところである。
本稿では、急速な変化を遂げるカザフスタンの法的枠組のなかで、「外国投資法」「ライセンス法」等、外資参入の基本的条件を規定する諸法を取り上げ、その内容を概観する。筆者は、ロシア東欧経済研究所研究員輪島実樹である。
第26回ロシア東欧貿易回定時総会報告(概要)
1. 1995年度事業の概要報告
2. 1996年度事業計画
はじめに
ロシア東欧貿易会は1996年5月27日、第26回定時総会を開催した。ここではその際報告された平成7年度事業内容と平成8年度事業計画を紹介する。
1995年の日ロ貿易の通関実績は、輸出11億7,014万ドル、輸入47億6,334万ドル、合計59億3,347万ドルとなった。前年比は、輸出100.3%、輸入136.5%、輸出入計127.4%であった。輸出入合計額でみると、旧ソ連時代のピークであった1989年の60億8,602万ドルにわずかにおよばなかった。しかし、1989年の実績はソ連邦を形成していた15共和国全部との貿易であり、1995年はそのうちの1国であるロシアとの貿易であり、ロシア1国との貿易としては史上最高だったことは推定できる。しかし輸出は相変わらず低迷し、これで6年連続で日本側の入超であり。前年に記録した過去最大の入超幅をいっそう更新した。日本の貿易総額に占める日ロ貿易のシェアは停滞を続けており、輸出はわずか0.26に落ち込み、輸入も1.42%の漸増であった。
1995年の輸出が前年なみの低水準にとどまった理由は、引き続いてロシアの信用制度への不安が解除されなかったことが大きい。旧ソ連末期に起きた支払遅延はいまだに解決されず、日本の商社は前金以外の取引は原則として行わなかった。
一方第三国で生産した日本ブランドの製品がロシアで巨額の売上をあげたり、日本商社がロシア商品を買い付けて第三国に販売したりと、二国間の枠に収まりきらない取引がますます重きをなすようになっている。三国間貿易は少なくとも10億ドル、多目にみる人は50億ドル以上といっており、今日では貿易は二国間の品物の輸出入だけでははかれない時代となっており、日ロ貿易も三国間貿易を視野に入れて評価する時期になっているといえよう。
対ロ輸出は、軽工業品はやや伸び、重化学工業品は機械が増え、金属品と化学品が減少した。鉄鋼輸出は大口径鋼管と継目無鋼管が主力だが、1995年はこれが激減したほか、鋼管以外の品目がほとんど壊滅状態になっている。鉄鋼輸出の減少は電気機械、金属加工機械、鉱山・建設機械、自動車などの機械機器の増加によってカバーされ、ほぼ横ばいにとどまった。
対ロ輸入品目のなかでは魚介類、アルミ・同金属が増加し、前年比がそれぞれ128.9%、166.5%となった。この2品目に第3位の木材を加えると28億9,702万2,000ドルで総輸出入額の60.8%に達している。
1995年の対モンゴル貿易は対前年比160.8%と増加した。うち日本の輸出は2,427万ドルから4,243万ドルに、輸入は5,807万ドルから9,001万ドルへといずれも増加した。このように人口230万人の小国にすぎないモンゴルとの貿易が往復1億ドルを超えたことは注目に値する。
1995年の対中東欧諸国(バルト3国を含む)貿易概況は、日本の輸出が8億1,292万ドル(対前年比30.4%増)、輸入が5億4,699万ドル(同11.5%増)で、往復では13億5,991万ドル(同22.1%増)であった。
往復貿易額でみた相手国の順位は、1位ハンガリー、2位チェコ、3位ポーランド、4位ルーマニア、5位スロベニア、6位ブルガリア、7位リトアニア(以上前年と同じ)、8位スロバキア、9位エストニア、10位クロアチア、11位ラトビア、12位マケドニア、13位アルバニア、14位セルビアおよびモンテネグロ、15位ボスニア・ヘルツェゴビナであった。
中東欧地域は最近、ビシェグラード4(ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー)およびスロベニアをはじめとして、経済成長がプラスに転じた国が増えており、1995年末のデイトン合意によりボスニア・ヘルツェゴビナの戦争が曲がりなりにも終結し、バルカン地域の安定と戦後復興への気運が出てきた。日本企業の間でも、この地域に生産拠点を設ける動きが積極化しつつある。