ロシア東欧貿易調査月報

1997年10月号  800号記念号

 

T.粗野な資本主義か文明的な資本主義か?―ロシア‐困難な回復―

U.第2段階を迎えたロシアの経済改革

V.経済回復前夜のロシア

W.環日本海経済圏におけるロシアの役割

X.停滞から発展に通じる日ロ関係 ―出番迎えた日本の対極東民間投資

Y.日ロ貿易の現状と展望

Z.1997年度ロシア連邦予算の政治経済学

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ロシア貿易・産業情報

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ロシア経済法令速報

旧ソ連・東欧貿易月間商況1997年9月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1997年9月分)

CIS・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(1997年1〜6月累計)

 

 


 

粗野な資本主義か文明的な資本主義か?

―ロシア‐困難な回復―

ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所長アカデミー会員

V.A.マルティノフ

はじめに

1.    ロシアの制度機構の特殊性

2.    ロシアの改革の新たな段階

3.    日本との経済関係

 

はじめに

 1997年の半ばを迎え、ロシア経済が底を打ち、ゆるやかな回復基調が始まったことが明らかになったと言ってよい。まだロシアになる前の1989年に始まった経済危機は、ついに終わったのである。これについては以下の数字が証明している。

  ●1997年1〜8月の実質GDPは前年同期比±0で、工業生産は1.5%増、実質可処分所得は4%増だった。

  ●改革が始まって初めて、農業で肯定的な動きがあった(1997年の穀物生産が対前年および前々年に比べて27〜28%多くなる見込み)。

  ●インフレ率が下がり続けている(1997年の消費者物価上昇率は年率10〜12%となる見込み、ちなみに1993年は840%、1994年は210%、1995年は135%、1996年は22%)。

  ●貿易収支は依然として堅調(1997年上半期の貿易黒字は120億ドルを超えた)。

  ●ルーブルの為替レートは政府の設定した枠内で推移している(しかも、ルーブルの実質レートは強くなっている)。

  ●失業の増大は僅かであり(ロシアの失業者数は690万人または労働可能人口の9.5%)、収入が最低生活水準を下回る層の割合は若干減った(20%)。

  ●証券市場では、外資の流入により1996年半ばからブームが続いている(1997年1〜8月で平均株価は160%上昇)。1997年の外資の流入は、金融・銀行セクターを除いて、85億ドルになる見込み(ちなみに、1995年は28億ドル、1996年は65億ドル)。

 ロシアは1997年に、実質上G8の一員となり、パリクラブとロンドンクラブに加入した。

 経済における前進は明白である。しかし、それをもってロシアは既に不況から抜け出して、経済成長の道に入ったと言ってもよいのだろうか。専門家の意見も一致してはいない。ある専門家(世界銀行)は1998年のロシアのGDPの伸びを5%と予想しているが、その他の者(筆者も含めて)たちは2%程度としている。少ない予想の方の原因は、つぎの諸問題が解決されていないためである。

  ●大幅な財政赤字(1997年で8%を超えることは間違いない)。経済の過半がまだ不況から脱しきれておらず、そのため社会支出その他の支出が重く予算にのしかかっており、ロシアの財政危機は終わっていない。

  ●投資の低下が続いている(1997年の固定資本への粗投資は前年比7%減の見込み、 1990年と比べれば4分の1となっている。GDPに占める割合でいうと、現在の価格では1990年の29%から1996年の21%に低下したことになり、1995年の価格で計算するとそれぞれ45%と18.5%となる)。

  ●利潤税が高く、企業家精神を損なっている。

  ●ブラックエコノミーの増大(公式統計でもGDPに対するブラックエコノミーの割合は1994年の12%から、22%に増えており、非公式な数字では35〜40%という見方すらある)。

 

  ●設備の非稼働率が高い(1997年1〜8月では49%から43%へと下がりはしたが)。

  ●高い取引費用〔Transaction cost〕とバーター取引が、わが国における正常な市場関係を損なっている。

  ●賃金の未払いと企業間の未決済。1997年春には公務員や炭坑夫その他に対する賃金や年金の未払いが大きな社会不安をもたらし、エリツィン再選後に訪れたまだ脆弱な政治的安定を吹き飛ばしかねないところだった。

 

 以上のとおりだが、政治的な争いはあったが、ロシアは既に選択をしたのであり、文明的な市場経済を創設するという方針は、さまざまな修正はあっても保持されると言えるだろう。しかし、ロシアが不況から抜け出るためにはまず第一に、国家性を強めること、第二に、市場改革をエネルギッシュに継続することが必要だ。そして、筆者は日本の読者に、市場改革の6年間にロシアの政治、経済がどのような特徴をみせていたかを、簡単にでも説明したいと思う。

 


 

第2段階を迎えたロシアの経済改革

北海道大学名誉教授

望月喜市

1. 経済改革の歩み

2. 改革の新段階

3. 経済成長はプラスに転化するか

4. 結論にかえて

 


 

経済回復前夜のロシア

当会ロシア経済研究所長

小川和男

1. ロシアの政情は安定

2. ロシア経済の実体はプラス20%

3. 貧しいロシア人は虚像

4. ロシアの大不況は政府の経済政策の帰結

5. 成長回復寸前のロシア経済

 


 

環日本海経済圏におけるロシアの役割

(社)日本経済研究センター顧問

(社)ロシア東欧貿易会顧問 金森久雄

1. 裏切ったロシア極東開発

2. 極東の経済悪化の原因

3. 回復の兆し

4. ロシアの役割

 


 

停滞から発展に通じる日ロ関係

―出番迎えた日本の対極東民間投資―

東海大学平和戦略国際研究所 教授

白井久也

はじめに

1. 北方領土を巡る日ソ・日ロの角逐

2. 正面対決避けた安全操業交渉

3. 体制転換とロシア経済

4. 変わる日本の対ロ・ビジネス

5. 日本の投資望むロシア極東

6. 動き出したエネルギー資源開発

7. 善隣協力による「日ロ新時代」

 

はじめに

 21世紀を間近に控えて、長年にわたって停滞を続けてきた日ロ関係が、新しい発展の軌道に乗る転機を迎えた。冷戦後の新しい国際情勢を踏まえて、橋本首相が対ロ外交の新方針(@信頼A相互利益、B長期的視点の三原則)を打ち出せば、エリツィン大統領も即座に書簡を送って、「相互に有益などんな内容も討議する用意がある」と歓迎の意向を表明。これを受けて11月1、2両日東シベリアのクラスノヤルスクで開かれたこの両首脳による非公式会談は、北方領土問題の解決を通じた両国関係の完全な正常化を確認した1993年の「東京宣言」にもとづき、「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽す」ことで合意。さらに、ロシアの市場経済移行への支援などを盛り込んだ「橋本・エリツィン・プラン」を作成、包括的な日ロ経済協力を推進することになった。冷戦の終結とソ連の崩壊が引き金となって、「体制転換の道」を歩み始めた大国ロシアの経済は、最近になってようやく生産減少やインフレにも歯止めがかかって、安定化の方向に向かいつつあり、投資環境も徐々に改善されようとしている。現在のエリツィン体制は、政治的には必ずしも磐石とは言えないものの、ロシア国民の多くは旧体制への復帰をもはや望んでおらず、大統領が健康保持に成功すれば、当面、政治的な不安定要因はない。日ロ両国政府の今後の舵の取り方にもよるが、日本は地理的に近いロシア極東の天然資源開発やインフラ整備に続いて、ロシアが期待する−般産業部門やハイテク分野でも積極的な対ロ投資を行って、領土問題解決の環境整備を進め、遅くとも今世紀中には日ロ平和条約を締結して、日ロ関係を飛躍的に発展させる基盤を固める必要があろう。

 


 

日ロ貿易の現状と展望

アジア貿易通信社 社長

喜入亮

1. 日ロ貿易の現状と性格

2. 輸出の現状と見通し

3. 輸入の現状と見通し

4. ロシアへの投資と経済協力

 

 旧ソ連解体後6年余、日ロ貿易はようやく新生ロシアとの貿易として一定の方向性を得つつあるようにみえる。企業の国営、貿易の国家独占だった旧ソ連から企業の民営化、市場経済、貿易自由化に変化したロシアは、日本との貿易では何を継承し、何が断絶されたか、具体的に検証する必要がある。日ロ両国関係が急速に改善されつつある今日、「許しがたいほどレベルが低い」(ネムツォフ第1副首相)日ロ貿易の現状を検討、将来についても展望の一端を探ってみたい。

 


 

1997年度ロシア連邦予算の政治経済学

当会ロシア東欧経済研究所 研究員

服部倫卓

はじめに

1. 1997年度連邦予算の成立に至る政治過程

2. 1997年度予算の末路とその余波

おわりに

 

要旨

1.本稿の目的は、1997年度連邦予算の採択・執行をめぐる政治過程を跡づけることにより、現下ロシアの政治体制のありようを検証し、それがロシアの経済発展に帯びている含意を探ることにある。とくに、エリツィン政権と下院第一党の共産党との間でどのような力学が働いているかに焦点を充てる。

2.1997年度ロシア連邦予算は、その歳入・歳出規模が過大であるがゆえに「非現実的予算」と呼ばれたが、予算は議会が審議する前の政府原案の段階からすでに非現実的であった。政府は、歳出が膨れ上がり、財政赤字幅にも枠をはめられている状況下で、現実的な見通しに立脚するのではなく、数合わせ的に歳入の見通しを立てていたきらいがある。

3.政府予算案は、歳入の見通しが非現実的なこと、歳出が不十分であることを理由に、下院のすべての党派から批判を浴びて否決された。しかし、下院各派の間には力点の相違があり、より現実的な予算を志向してその規模を縮小しようとする勢力と、あくまでも歳出増にこだわる拡大主義勢力とがあった。前者の代表格が「ヤブロコ」で、後者の立場をとったのが共産党に率いられた左派連合であった。

4.政府案否決の結果設けられた調停委の作業により、予算案はより現実的な方向に修正された。しかし、この案では共産党の支配する下院を通過できないと判断した政府は一転して、チェルノムイルジン首相主導で財政拡大派との妥協に踏み切り、政治決着という形で1997年度予算を成立させた。その際に、政権と共産党の政策路線を媒介する「開発予算」が落とし所として活用された。

5.非現実的な予算はすぐさま破綻し、1997年春にはチェルノムイルジン首相に代わってチュバイスらの「若き改革派」が政策運営の主導権を振った。彼らは、1997年度予算の歳出削減などをめぐって下院野党と対立、野党が歳出削減を拒むと行政府の独自裁量で歳出を一方的にカットした。1997年度予算は空文と化し、行政府の恣意的な予算執行による弊害を招いた。

6.若き改革派と下院野党の対立が頂点に達するかと思われた1997年10月になって、エリツィン大統領が不意に野党側に政策対話を呼びかけ、この春以来の政権と議会の緊張状態にひとまず終止符が打たれた。今回も、チェルノムイルジン首相というファクターが重要な役割を果たした。ただし、政策対話の行方は不透明である。

7.1997年度予算の政治過程の分析から言えるのは、ロシア政治の基本構図である二極対立にもかかわらず、各当事者は共存のすべを学習してきているということである。しかし、その共存の代償として、経済政策には少なからぬ歪みが生じている。ロシア政治は季節周期的な保革サイクルをたどりながらも、徐々に合理的な政策を形成できる方向に歩んでいるように思われ、その意味でも政権と野党との政策対話の成り行きが試金石として注目される。

 本稿執筆者は、ロシア東欧経済研究所研究員服部倫卓である。