ロシア東欧貿易調査月報

1998年2月号

 

T.エリツィン・ロシア大統領の1998年年次教書

U.ロシアの企業会計制度の現状 ―ロシアの会計法規と企業会計―

V.ロシアの新破産法

W.ロシアの石油業界の勢力地図の現在と未来(2) ―独立系企業群―

X.1997年5月のチェコ通貨危機について

◇◇◇

ロシア貿易・産業情報

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 その他

論調と分析

 経済への打撃となるポーランドの外国人法

ロシア経済法令速報

データバンク

   1997年のロシアのマーケット

   ロシアの経済統計

   レイティング社発表のロシア50大商業銀行リスト(1998年1月1日現在)

   1997年1〜9月のロシアの国際収支

旧ソ連・東欧貿易月間商況1998年1月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1998年1月分)

 

 


 

エリツィン・ロシア大統領の1998年年次教書

 

1.連邦議会へのエリツィン・ロシア大統領の教書演説(1998年2月17日)

2.ロシア大統領1998年年次教書―「力をあわせてロシアの浮揚を」(ロシア連邦の国内情勢と政策の基本方向)―

 

 資料紹介

 エリツィン・ロシア大統領は2月17日、1998年年次教書を発表し、上下両院議員を前に教書演説を行った。大統領教書はこれで5回目になる。今回の教書の特徴は、ロシアの経済成長の課題に多くのページが割かれていることである。もっとも、経済成長の実現に向けての具体策については新味に乏しい、という感はまぬがれないが。

 以下、1.で教書演説を、2.で教書全体をそれぞれ全文翻訳して紹介する。出典は『ロシア新聞』で(1998.2.18.2.24)ある。

 


 

ロシアの企業会計制度の現状

―ロシアの会計法規と企業会計―

明治大学商学部教授

森章

はじめに

1.ロシアにおける会計法規の体系

2.ロシア企業の会計制度

3.ロシア企業の財務諸表

おわりに

 

はじめに

 会計改革の新展開 ペレストロイカ期の1987年に西側との合弁活動の開始は、市場経済の下で採用されている企業会計のロシアへの伝播の契機となった。それは計画経済の下で採用されていたこれまでのソビエト会計との相違を浮き彫りにしたが、ソ連邦崩壊を挟んでペレストロイカ末期から新生ロシア誕生の1990年代初頭までは、まだソビエト会計と西側の会計とが並行して採用されていた。だが、1992年からは会計改革が本格的に開始され、ソビエト会計制度は次第に西側の市場経済の下で採用されている会計制度へと改編されていった。そして今日、ソ連邦崩壊後のこの6年間の会計改革は、その第1段階を終えて新しい局面に入っている。それを象徴的に示す次の二つの事柄が実現されたからである。

 デノミの実施 そのひとつは、1998年1月1日からの同国通貨ルーブルの呼称単位を千分の一にするデノミネーションの実施である。会計は貨幣価値の安定を大前提にする。だが、価格自由化をした1992年1月からの貨幣価値の安定を崩すハイパーインフレーションに見舞われたロシアでは、この貨幣価値の激変に対処するために1992年7月1日(第1回目)、1994年1月1日(第2回目)、1995年1月1日(第3回目)、1996年1月1日(第4回目)、1997年1月1日(第5回目)の各時点で、固定資産の再評価が実施された。がその後、工業生産の回復傾向とともにインフレが終息に向かう中で、経済の安定を国内外に示すデノミネーションを行い企業会計の基礎となる貨幣価値が安定した。

 「連邦会計法」の成立 もうひとつは、1996年11月に「会計に関するロシア連邦の法律」(以下「連邦法」という)の成立である。企業を管轄する国の中央省庁に会計データを単に報告するだけの簿記に後退していったソビエト企業会計に対する改革は、まず計画経済下の取引を把握した旧勘定を取り除いて市場経済下の取引を把握する新勘定を配置した勘定計画と呼ばれる勘定科目表の改定から着手した。ついでに勘定に記録されたデータの会計処理とそのデータからの企業の財務諸表の作成と公表を定めた会計と報告書の規定が制定され、さらに作成した財務諸表を監査する公認会計士制度が創出されてきた。そして現在、これまでの会計改革の総仕上げとなる、各種の会計法規の頂点に位置する会計に対する包括的な規制を定めた「連邦会計法」が成立した。

 小論の目的 そこでこの小論は、まず今回成立した「連邦会計法」とこれまでに制定されてきた諸会計法規とを整理してロシアでの会計規則のあり方を考察し、ついでにこの会計既成特に営利活動を行う組織である企業の会計システムとの関連を考察し、そして新しい段階に入ったロシアにおける会計改革の到達点を明らかにしたい。

 


 

ロシアの新破産法

 

  1998年3月1日、ロシアでは新破産法(ロシア連邦法「支払不能(破産)について」)が発効した。この新破産法は、1992年11月19日に制定された旧破産法(ロシア連邦法「企業の支払不能(破産)について」)が事実上施行されない状況を踏まえ、また民法典や株式会社法などロシアの市場経済下の流れに対応した経済法の整備状況を考慮して旧破産法に代わるものとして制定されたものである。

 現在、ロシアでは企業間債務の拡大、企業の税の未納の問題が深刻化する中で、赤字企業が増大しており、その赤字帰郷の整理が重要な経済・社会政策上の問題になりつつあり、この新破産法に大きな期待が寄せられている。

 出典は『ロシア新聞』(1998.1.20.21)である。

 


 

ロシアの石油業界の勢力地図の現在と未来(2)

―独立系企業群―

当会ロシア東欧経済研究所調査部次長 坂口泉

はじめに

1.石油会社「スルグトネフチェガス」

2.タフトネフチ

3.バシコルトスタン共和国の石油会社

4.中央燃料会社

 

はじめに

 前回は、ロシア石油産業改変の動きの中心にある会社を取り上げたが、今回は、その動きからやや離れたところに位置する会社、すなわちスルグトネフチェガス、タトネフチ、バシネフチ、バシネフチェヒム、中央燃料会社の5社について紹介する。

 スルグトネフチェガスは、総合的に見て、ロシアでも屈指の石油会社であるといえるが、非常に閉鎖的な側面を有しており、外部資本と深いかかわりを持つことを好まない。たとえば、現在に至るまで、同社が外国企業との間に合弁企業を有していないのはスルグトネフチェガスだけであろう。

 このような社風を反映してか、同社は、基本的に外部企業の買収にも積極的である。また、逆にその経営方針あるいは財務状況などから判断して、同社が、他企業に買収されるという可能性も極めて低い。つまり、スルグトネフチェガスが、今後、ロシア石油業界の勢力地図の再編の動きの中で、中心的役割を果たす可能性は非常に少ないように思われる。おそらく、同社は、今後も、ロシア石油業界において「孤高の位置」を占め続けるであろう。もちろん、スルグトネフチェガスもルクオイル同様、上流に比べ下流の弱い石油会社なので、他の石油会社との提携は不可欠となるであろうが。

 今回紹介する企業の中で、スルグトネフチェガス以外の4企業(タフトネフチ・バシネフチ、バシネフチェヒム、中央燃料会社)はいずれも、当該地方政府と非常に密接な関係を有するという共通点を有する。これら4企業は、いずれもスルグトネフチェガスほど強力な石油会社ではないので、業界再編の激動の中、生き残るためには、他の大手石油会社との提携が不可欠となろうが、当該地方政府の強力な庇護があるので、今後も、ある程度、独立性を維持できるのではないかと思われる。

 


 

1997年5月のチェコ通貨危機について

チェコ商業銀行 ファンドマネージャー

池田宏

はじめに

1.通貨危機の背景

2.バイアスの修正過程

3.政府・国立銀行の大失策

4.コルナの崩壊

5.セリング・クライマックス

 

はじめに

 1997年春のタイを発端とする東南アジア通貨危機、一時は東南アジアの一部地域だけで収拾するかに見え、7月以降落ち着きを見せていたが、秋に再び通貨危機が発生した。今度は影響を及ぼす様相を呈し始めたようである。

 日本ではあまり知られていないが、この東南アジアの通貨危機とほぼ同時に、小規模ではあるが、東欧でも通貨危機が発生している。また、東南アジア通貨危機と東欧通貨危機は、日本の超低金利政策に起因しているという共通性があり、注目される。

 ここでは、通貨危機の第一波、つまり1997年春の経済状況に対する私見を述べてみたい。