ロシア東欧貿易調査月報

2000年8月号

 

T.2000年上半期のロシア金融市場の概観

U.ロシアとEU:統合の展望

◇◇◇

ロシア貿易・産業情報

 ロシア一般電機通信業界の現状

論調と分析

 2つの道―要約改革路線に乗ったウクライナ政府―

 欧州の心臓部―ユシチェンコ・ウクライナ首相インタビュー―

 ロシアの富による支配は今?

データバンク

 1.ロシアの経済統計

 2.2000年1〜6月のロシアの外国投資受入状況

 3.1999年のロシアの外国貿易統計(1)

新刊案内

CIS・中東欧ビジネストレンド(2000年7月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌2000年7月分)

 

CIS・中・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(2000年1〜6月累計)

 


 

2000年上半期のロシア金融市場の概観

 

はじめに

1.    銀行および信用市場

2.    外貨市場

3.    国債市場

4.    地方債市場

5.    株式市場

6.    ロシアの対外債務関連金融市場

 

はじめに

 2000年上半期のロシアの金融市場は、数字を見ると全体として安定して発展してきた。第一に注目すべき点は、第2四半期のルーブルの為替レートの上昇であり、2月末の1ドル=28.66ルーブルから6月末には28.05ルーブルまで上昇し、その後もこの傾向が続いた。

 さらに3月末から上半期待つまで公定歩合が33%で安定し続け、7月10日に公定歩合はさらに33%か28%まで下げられた。すでに長期にわたって、公定歩合は下がり続けている。

ロシア金融市場の安定化の流れは、この事実によって裏付けられるであろう。少なくとも、ロシア中銀もこの見方をとっている。

 貸出金利は、公定歩合ほど均一な動きではないものの下がっており、ロシア金融市場の健全化の傾向を証明している。

 2000年下半期に入り、外貨準備高は記録的な水準に積みあがっており、年初は122億ドルであったものが、7月初にはすでに約210億ドルに達し、とくに、第2四半期に積み上がりが著しく、通貨の強まりと期を一にしている。ロシア中銀は積極的に対外債務返済を行ったものの、3月から6月まで外貨準備は73億ドル増加した。

 上半期のインフレの動向を見ると、3月に前年比で0.6%の消費者物価の伸びであったのが、6月には2.6%に高まった。これはマネーサプライの増加と連動している。

 


 

ロシアとEU:統合の展望

政策大学院大学 客員教授

セルゲイ・スモリニコフ

はじめに

1.予備的考察

(1)理論上のもの

(2)歴史的なもの

2.統合のための条件

3.ロシアの改革者とEU

4.接近の促進要因と阻害要因

5.行政・政治システムの類似性の問題

6.リベラル派の考え

7.EUの対ロシア戦略

8.経済的自由主義VS政治的治自由主義

 

はじめに

 下院選挙(1999年)と大統領選挙(2000年)の結果、ロシアにおける執行・立法権力の刷新は、西側のビジネス界の間にロシア連邦との協力の展望改善への期待を生み出したらしい。この期待は、とりわけ、ロシアの最高立法機関である下院におけるリベラルな経済改革支持者の政治的立場の強化と関連している。

 さまざまな評価によれば、ロシアにおける市場改革は450議席のうち大多数を占める下院議員の支持いかんである。親改革的な立法活動で積極的な役割を果たしているのが右派勢力連合(SPSと以下略称)と親政府ブロック「統一」であり、さらにそれと近い関係にある独立した大部分の代議員である。

 ロシア議会が今日の構成による活動が、以前の構成に比べ民主主義的制度の強化とロシア経済の健全化という観点からしてより効率的な場合には、このことは疑いなく将来におけるロシアの国際的・地域的地位に積極的な影響を及ぼすに違いない。

 この関係で興味があるのは、ロシアとその最大の貿易・経済相手であるEUと関係の進化と拡大の可能性および展望である。現在、ロシアの貿易の33%が対EUで占められている。あと数年もすれば中東欧諸国を含む拡大EUの比率は50%以上になりうる。

 ロシアのヨーロッパへの統合問題は、国際投資家に影響を与えるに違いない。例えば、ポーランドのEC加盟は西ヨーロッパ諸国のみならず北米諸国や日本の会社からそれに対する関心を著しく高めている。

 だが、ロシアとの関係で同じように楽観的な予想をたてるためには、ロシアとEUとの関係でなんらかの「ポーランドモデル」に類似したものを客観的に評価することが必要である。

 


 

統計数字の上から見たエリツィン時代の日ロ貿易

喜入亮

 

はじめに

1.    日ソ貿易から日ロ貿易に移行

2.    ソ連から引き継いだ負の遺産

3.    日本の輸出激減とその理由

4.    輸入の伝統商品と新規商品

5.    エリツィン時代のプラスとマイナス

 

はじめに

 1999年12月31日、エリツィン・ロシア連邦大統領はロシア国民に向けてテレビ演説し、同日付で大統領を辞任したと発表した。旧ソ連、ロシアを通じて生きてトップの座を去ったのはフルシチョフ、ゴルバチョフについで3人目、また前二者が政敵に追い落とされた(ゴルバチョフはエリツィンが追い落とした)のとは異なり、一応自らの意思で身を引いたというのは帝政ロシアも含めてロシア史上、初めてのケースといえよう。もっとも1991年6月、ロシア大統領選挙で圧倒的支持を受けて当選したが、辞任直前の世論調査では支持率は数パーセントにまで落ち込んでいたから、エリツィン氏はロシア国民から追い落とされたとも言える。

 それはともかく、1991年12月21日、ソ連が解体しロシア連邦がエリツィン大統領の下で誕生してからエリツィン辞任までの8年間は、これをエリツィン時代といってよいひとつの性格を帯びている。エリツィン時代の詳細と全面的な評価は、いずれ専門の歴史化が検証することになると思われるが、本稿ではエリツィン時代の日ロ貿易、それも統計数字に現れた部面だけという限定された範囲でその一端を探ってみることにする。

 


 

ロシア貿易・産業情報

ロシア一般電機通信業界の現状

当会ロシア東欧経済研究所 調査部長

坂口泉

はじめに

1.監督官庁について

2.業界を代表する3つの企業グループの現状

3.業界地図の今後の変化についての一考察

4.一般電気通信分野における新しい動き

5.ロシアの一般電気通信分野の前に立ちはだかる諸問題

まとめにかえて