ロシア東欧貿易調査月報

2001年12月号

 

特集◆ソ連解体から10年 −新興独立諸国の群像−

T.巻頭言:「新興独立諸国」の地殻変動

U.ロシアと新興独立諸国の歴史と未来

V.独立10周年のウクライナ

W.ジレンマに直面する大統領選後のベラルーシ

  −経済と対ロシア関係の行方−

 

X.トルクメニスタン天然ガス輸出の可能性

  −アフガニスタン情勢の変化に寄せて−

Y.インタビュー:CIS経済統合の10年 −その成果と課題−

Z.アンケート:CIS諸国のビジネス環境

[.アンケート:NIS青年ビジネスマンの主張

データバンク特別編:データで見るCIS諸国

 


 

巻頭言:「新興独立諸国」の地殻変動

経済産業省通商政策局ロシア・NIS室長
市川雅一

 今からちょうど10年前の1991年12月、アメリカ東海岸にある大学の研究所において、「真珠湾攻撃50周年」を機に日米関係に関するセミナーが開催されていた。第2次世界大戦後の日本の経済発展についての議論が中心だったように記憶している。当時、アメリカの研究所においては我が国及び東アジアについての関心が高く、日本の経済・産業政策、東アジア地域の新興国の経済成長について活発な研究が行われていた。同時に、新たに台頭しつつある中国、更にソ連圏、中東などのイスラム圏についても、経済のみならず国際政治・文明論・戦略論といった観点から多面的な研究がなされていた。滞米中だった私は、アメリカにおける国際関係の研究が基礎的なところから応用的なところまで幅広く行われていることに驚かされるとともに、70年強にわたって世界に大きな影響力を行使してきたソ連という大国の崩壊のドラマをアメリカのメディアによって知ることとなった。12月25日ゴルバチョフ大統領が辞任の演説を行ったのである。私の在籍していた研究所の仲間の中にはソ連(モスクワ)から派遣されていた人もいたが、彼はアメリカ滞在中に祖国の体制が大きく変わることとなり戸惑いを隠しきれない様子であった。研究所では、もともとのソ連専門の研究者のみならず経済学者等も参加して、ソ連崩壊後のユーラシア地域はどうなるのか、市場経済化のためにはどのような道を模索すべきかといったことが議論され始めていた。

 その後、1998年6月からモスクワに3年間滞在する機会を得た。この目で見、耳で聞いた旧ソ連地域は、大きな変革のうねりの中にあったように思う。1998年夏の金融・経済危機は、その象徴的な出来事であった。主として旧ソ連圏における石油・天然ガス開発を見聞していた経験では、激動と混乱の中でNIS(新独立諸国)がロシア的なものから脱却しようとする動きと、反対に依然としてロシアに依存せざるを得ないという現実とがせめぎ合っていたという印象がある。例えば、トルクメニスタンでは、一時期(1997年から1998年にかけて)ロシアとの関係悪化にともないロシア向けの天然ガス輸出が大幅に削減された。これによって経済的打撃を受けたことに加え、その後アゼルバイジャンとの関係が悪化したこともあり、トルクメニスタンがロシアとの協力の再拡大を模索するといった流れが生じた。旧ソ連諸国、とりわけ中央アジアやコーカサス地域(中央ユーラシア地域)では、石油・天然ガス等の資源・エネルギー、あるいは綿花などに依存した「モノカルチャー」的な経済体質が存在している。これは旧ソ連の遺産である部分が大きいわけだが、こうした脆弱ともいえる経済体質を背景として、上述のトルクメニスタンの動きに典型的に見られるとおり、各国は程度の差こそあれロシアとの「間合い」を常に念頭に置きながら、この10年間の国家運営の舵取りを行わざるを得なかったといえるだろう。

 ところが、2001年の9月11日、あるいは10月の米英のアフガニスタンへの攻撃開始を境として、NISの内部で(とりわけイスラム色の強い中央ユーラシア地域において)、地殻変動ともいうべき動きが生じつつあるのではないか。もともと多くの民族が多様な文化を織りなしてきた同地域において、旧ソ連時代にはこれらを曲がりなりにも統一していたロシア的な「原理のようなもの」の重要性が大きく揺らぎ、アメリカの色彩がより濃くなりつつあるように感じられる。ロシアそのものが、対米関係の転換に踏切り、旧ソ連の枠組みにとらわれない動きを見せていることが一つの大きな要因である。中央アジア地域へのアメリカ軍の展開を許容するなどということは、以前であれば考えられなかったことであろう。中央ユーラシア地域において、アメリカ、ロシア、更に中国、インド、イランなどの各国の思惑が複雑に絡みあいながらダイナミックな動きが生じつつあるのではないか、少なくともこの地域のパワーバランス上、何らかの変化が生じているのではないかと推測される。こうした流れの中で、我が国の旧ソ連、とりわけ中央ユーラシア地域との関係について、もう一度研究し直す必要があるのかもしれない。アメリカにおける国際関係の研究の「層の厚さ」を思い出しながら、つらつらと考えている今日この頃である。

(文中の意見にわたる部分は、個人的見解であることを付言する)

 


 

ロシアと新興独立諸国の歴史と未来

ロシア科学アカデミー・ヨーロッパ研究所主任研究員
D.フルマン

はじめに
1.帝国と周辺
2.特殊性は何に起因するのか
3.ロシアと新興独立諸国はどこへ行くのか

 

はじめに

 本稿で筆者は、相互に関連した次の3つの問題に回答を示すことを試みる。@ロシアと他の旧ソ連新興独立諸国との関係に共通に見られるものは何か。それは、それ以外の外国との関係と、どう違うのか。Aロシアと個々の新独立国家との関係にはいかなる特殊性が見られ、それは何に起因するのか。Bそして、これらの関係は今後どうなっていくのか。

 


 

独立10周年のウクライナ

在ウクライナ日本国大使館専門調査員
南野大介

1.はじめに
2.希望と失望の10年間
3.ウクライナ人による独立10年の評価
4.新しいウクライナの道筋
5.次の
10年に向けて ―結びにかえて―

 

1.はじめに

 2001年8月24日、ウクライナは独立10周年を華々しく祝賀した。この独立10周年に向け、キエフでは様々なインフラの改装工事が急ピッチに進められ、鉄道駅や道路、公園などの再整備が計画された。確かに、独立記念日までには街のあちらこちらが美しくなったが、すべてが計画通りに進められたわけではなかった。その典型的な例がキエフ市中心部にある独立広場の改装工事である。独立広場の工事が開始されたのは2001年の初頭であり、独立10周年を迎える同年8月に完成する予定であったが、実際の工事の進行は当初の予定よりも大幅に遅れた。そこで、独立記念日の約1カ月前からは軍隊までが広場の工事に動員された。軍隊動員以降の工事の進み具合には目を見張るものがあり、新しいモニュメントの土台となるタワーは日に日に高くなっていった。記念式典の前日、モニュメントを中心とした新しい広場の一部が完成し、工事の指揮をとっていたオメリチェンコ・キエフ市長やクジムク前国防相は非常に満足そうであった。広場のデザインをめぐってはキエフ市民の間でも評価が分かれているが、取り敢えず見た目には「美しい広場」に何とか仕上がり、クチマ大統領は記念式典の主要な賓客であったプーチン・ロシア大統領やクワシネフスキ・ポーランド大統領を恥ずかしくなく受け入れることが出来たようであった。しかし、独立広場の半分と地下部分は結局完成しなかった。未完成の部分はベニヤ板で覆われ、その裏側を覗いてみると、機械や資材が所狭しと無造作に押し込まれていた。

 改装が一応完成した独立広場の「表の部分」とベニヤ板の向こうの「裏の部分」は見事なまでに対照的であった。この独立広場の「改装工事」をめぐる一連の出来事は、現在のウクライナが抱えている問題点や特質を象徴的に表しているように思われる。第一に、独立後のウクライナは、長期的な展望や計画に欠けていると言われている。当初から工事の計画には無理があったように思われるし、そもそも独立広場周辺の改装は1998年の夏にも行われている。多くの困難を抱えるウクライナにとって、独立広場の工事に多大な努力を払うことが最適な選択であったかどうかについては疑問が残る。第二に、ウクライナは「見かけ」や「枠組み」を重視する傾向にある。EU加盟を果たしていないにもかかわらず、街中でEU旗が掲揚されているのを見かけたりすることがある。実体が伴っていなくとも、EUのシンボルである旗を揚げることによりウクライナが「欧州の大国」であることを主張しているように思われるが、この意味で、裏側が無秩序であっても独立広場を取り敢えず完成させることで独立10周年をアピールすることは非常に重要であった。そして第三に、現在のウクライナは、何となくではあるが経済成長をはじめとして良い方向に向かっているように見える。色々な問題が指摘されているものの、最近2年間はプラスの経済成長を達成している。中でも首都のキエフ市においては、目に見える形で経済成長を感じることが出来る。新しい独立広場はこのような「繁栄」の象徴であるようにも思われる。

 本稿では、独立後10年間のウクライナを回顧し、何を達成したのか、何が問題であったのかを分析しつつ、今後ウクライナが発展するためには何が求められるのかに関しても言及してみたい。

 


 

ジレンマに直面する大統領選後のベラルーシ 
−経済と対ロシア関係の行方−

当会ロシア東欧経済研究所 調査役
服部倫卓

はじめに
1.選挙の過程とその影響
2.二期目のルカシェンコ政権の経済舵取り
3.岐路に立つベラルーシ

 

はじめに

 2001年9月9日、ベラルーシ大統領選の投票が行われた。公式発表によれば、現職のルカシェンコ大統領が実に75.7%を得票し、民主野党の統一候補であるゴンチャリク氏(「ベラルーシ労働組合連盟」議長)の挑戦を難なく退けて再選を果たしたことになっている。ルカシェンコ大統領は9月20日に二期目の政権をスタートさせた。

 周知のように、ベラルーシでは1994年に政権に就いたルカシェンコ大統領が強権的な支配体制を確立しており、今回の大統領選も「選挙」とは呼べないような代物であった。ボクシングに例えるならば、ディフェンディング・チャンピオンが、自分の都合の良いようにルールを決め、弱そうな相手を挑戦者に指名し、レフェリーとジャッジまで身内でやってしまったようなものである。9月9日の投票で実際にルカシェンコ氏が過半数をとったこと自体は間違いないものの(ある民間の推計によれば約58%を得票したとされている)、大統領が選挙後に称したような「エレガントな勝利」どころではなかった。

 しかし、2001年の選挙はある意味で波乱含みであった。ベラルーシに絶大な影響力をもつクレムリンが選挙戦に介入し、それにベラルーシ国内のノーメンクラトゥーラも呼応することにより、ルカシェンコ大統領が追い落とされるというシナリオが取り沙汰されていたからである。実際にも、ルカシェンコ大統領の続投をめぐって、水面下で駆け引きが繰り広げられた。そして、選挙戦が結果としてもたらしたものも、単にルカシェンコの勝利だけではない。一連の政治闘争の結果、ベラルーシの経済路線にも、対ロシア関係にも、変化の兆しが生じている。

 大統領選挙そのものについては別のところで詳しく分析しているので、ここでは最低限の言及にとどめる。本稿では、この選挙を経て、現在ベラルーシの経済・政治体制とその対ロシア関係がいかなる変容を迫られ、どんなジレンマに直面しているのかを分析し、二期目のルカシェンコ政権の下でそれらがどう発展していくのかを占うことにする。

 


 

トルクメニスタン天然ガス輸出の可能性
―アフガニスタン情勢の変化によせて

当会ロシア東欧経済研究所 研究員
輪島実樹

はじめに
1.カスピ海エネルギー輸送を巡る対立:所謂グレート・ゲーム的構造について
2.既存パイプライン利用を巡る対ロ交渉
3.新規パイプライン建設の見通し
むすびにかえて:回答留保の
理由

 

はじめに

 2001年9月11日の米国同時多発テロ事件とこれに起因するアフガニスタン攻撃開始以来、所謂“アフガニスタン・ルート・パイプライン”に関するお問い合わせを受けることがやたらと多くなった。アフガニスタン・ルートとは、旧ソ連中央アジアのトルクメニスタンの天然ガスをアフガニスタン・パキスタン経由でインド洋へ輸送するパイプライン構想である。1997年に建設コンソーシアムが組織され、日本企業も参加していたことから当時は国内でも注目度が高かった。しかしその後、アフガニスタンを実効支配するタリバン政権が国際テロリスト・オサマ・ビンラディン氏とその指導集団を庇護下においたことからプロジェクトはとん挫、長らく“忘れられた存在”となっていた。

 9.11以降いただくお問い合わせの主旨とは、多少の表現の差こそあれ要するにこのアフガニスタン・ルートの“復活の可能性”に関するものである。当初は時期尚早なうえ、些か発想として短絡的に過ぎるとの感を抱いていたが、タリバン政権の予想外に早い崩壊にあって問い掛けは次第に現実味を帯びてきた。

 後述するように、数あるカスピ海地域からの新規輸出用パイプライン・ルート案の中でも、アフガニスタン・ガスパイプラインは経済的観点から最も評価の高いものの1つであった。ただし致命的な障害として不安定なアフガニスタンの政情があり、近年、それはそのままタリバンの存在を意味した。パイプラインは通過国にトランジット料の形で大きな利益をもたらすが、国際テロ支援集団(と見做されている)タリバンを潤すルートの建設を、国際社会が容認するはずはなかったからだ。つまり西側資本が建設に参加することは不可能であり、無論、トルクメニスタン等、当事国側には自力でパイプラインを建設する資力がない。

 端的に言えばタリバンがアフガニスタンの実効支配を続けるかぎり、アフガニスタン・ルート・パイプラインが建設されることは決してなかったであろう。そして9.11以降の経緯により、その最大の障害が除かれた。したがって、“同ルート建設の可能性は高まったか”と問われれば、答えは明らかにYesである。少なくとも可能性はゼロではなくなった。しかし、“プロジェクトが復活・実現するか”と問われるなら、回答は留保せざるを得ない。

 本稿の目的は、こうした言わば“9.11後”の目からソ連解体後のカスピ海地域からの天然ガス輸送問題を今一度整理・概観することにある。天然ガスは、列車やタンカーでの輸送が可能な石油とは異なり、輸送がほぼパイプラインに限られる。したがって、ソ連時代に建設された既存パイプライン・システムを支配するロシアの圧力を最も直接的に受けてきたのが天然ガス輸出国のトルクメニスタンであったと言えるだろう。自由な輸出路開拓を目指し、これまで数多くの新規ルートが検討されてきたが、2002年初の現状において、未だ実現に至った例は無い1)。仮にこの度のアフガニスタン情勢の変化により、アフガニスタン・ルートが実現の運びとなれば、トルクメニスタン自体に対する直接的影響はもちろん、カスピ海を巡る国際関係に大きな影響を与えることとなろう。

 本稿ではまずはじめに連邦解体後のカスピ海エネルギー輸送問題全般の様相について概括した後、地域最大の天然ガス産出国・トルクメニスタンの輸出路を求める葛藤を、既存パイプラインの使用と新規パイプライン開拓に分け、時系列的に整理する。

 


 

◆インタビュー◆

CIS経済統合の10年
−その成果と課題−

CIS執行委員会第一副議長
V.フョードロフ

CIS執行書記局上級顧問
N.シュムスキー

はじめに

 1991年12月のソ連邦解体から、ちょうど10年が経過した。ソ連解体後の広大な空間には、「独立国家共同体(CIS)」と称する機構が忽然と姿を現し、この機構がかつて単一国家を構成していた新興独立諸国の統合と協力を推進することになった。

 しかし、その後CISでは求心力の低下が顕著となり、再統合の成果はなかなかあがらなかった。機構面での非効率性が指摘され、合意事項もスムーズに実行されず、形骸化が目に付くようになった。CIS内部のブロック化、一部の国のロシア離れが加速し、グルジアのようにCISからの離脱も辞さない国も出てきた。

 しかし、当初長期的な存続が疑問視もされていたCISは、結局ひとつの脱落国も出さず、今回10周年を迎えた。ロシアでプーチン政権が成立して以降、CISにおいても経済を中心としたプラグマティズムの方向性が強まっており、今般CIS自由貿易地域が基本的に成立を見たことはその表れであろう。11月29〜30日にモスクワで開かれたCIS創設10周年記念サミットでは、かのニヤゾフ・トルクメニスタン大統領を含む全12ヵ国首脳が集結し、CISの新たな可能性を予感させた。

 CISのこれまでの10年をどのように総括し、さらなる発展には何が必要か。とくに、今後のCIS統合の鍵となるはずの経済分野の実情はどうか。このほど、CIS執行委員会のモスクワ支部を訪ね、V.フョードロフ第一副議長に話を聞いた。CIS執行委員会の本部はベラルーシのミンスクに所在しているが、経済の調整機能はかねてからモスクワに配置されていた経緯があり、現在も「CIS経済評議会」の事務局はこのモスクワ支部に置かれている。フョードロフ氏は、ヤロフ議長に次ぐCISの事務方ナンバー2という位置づけになり(ミンスクに第一副議長がもう一人いるが)、自身はウクライナ市民である。

 さらに、ミンスクにおいて、CIS経済統合研究の第一人者であるシュムスキー氏にインタビューを試みた。シュムスキー氏はベラルーシ市民で、1992年から1999年にかけて、ミンスクのCIS本部で上級顧問として働いた経歴をもつ人物である。現在は官職から身を引いて研究活動に専念しており、ロシアの雑誌等で論文を多数発表している。

 


 

◆アンケート◆

CIS諸国のビジネス環境

 

はじめに

 ソ連解体後10年を経た今でも、一般の日本人にとってCIS諸国はまだまだ馴染みの薄い存在であり、日本企業が同諸国のビジネス環境の実態を把握するのは困難なのが実情ではないでしょうか。

 そこで、このほど当会では、CIS諸国に駐在する日本の大手総合商社の事務所長の皆さんに、各国のビジネス環境に関するアンケートにお答えいただきました。現場で様々なご苦労に直面しながらビジネスの構築に励まれている方こそ、これらの国の実像を誰よりも熟知されているとの期待からです。各国の国情をなるべく多面的にうかがい知れるよう、直接商売には関係しない質問もぶつけさせていただきました。以下、このアンケートの結果をまとめてご紹介いたします。なお、今回は忌憚のないご意見をお寄せいただくことが趣旨ですので、会社名は伏せさせていただきます。

 お忙しいなかご協力いただいた事務所長の皆様に、改めて心より感謝申し上げます。

 


 

◆アンケート◆

NIS青年ビジネスマンの主張

 

はじめに

 外務省では毎年、「NIS諸国青年招聘計画」にもとづき、(ロシアを除く)CIS諸国から若手企業家を日本に招いている。このプログラムの目的は、NIS諸国の若手ビジネスマンに日本の経済や社会・文化を紹介することを通じて、同諸国の市場経済化の努力を側面支援するとともに、対日理解を促進することにある。参加者は例年、㈳ロシア東欧貿易会にも来訪し、日本と同諸国の経済関係について意見交換を行っている。
 本年度も、プログラム参加者一行12名が10月29日に当会を訪れた。すべてのNIS諸国から代表者が1名ずつ集まるというのは、きわめてユニークな機会と言えよう。しかも、彼らは各新独立国家において、ビジネスを切り拓こうと苦闘している青年たちである。彼らの意識、価値観に関心が向かうゆえんである。(なお、今年度はグルジアからは2名が参加した。また、トルクメニスタンは「企業家」が見付からなかったのか、中央銀行職員が参加している。)
 そこで今回、プログラム参加者全員にアンケートに回答してもらい、自らの国や企業についての考えを語ってもらった。日本企業向けのビジネス提案がある参加者にはそれも記してもらったので、ご関心をおもちの向きは各参加者に直接連絡をとっていただきたい。

 


 

◆編集後記◆

 ソ連邦の解体から10年という節目を迎えて、本誌で特集を組むにあたり、どのような切り口が良いかと思案を重ねました。その結果、「新興独立諸国の群像」と銘打ち、国造りと体制変革の試練に立ち向かう各国それぞれの姿に迫ろうとする今回の特集が生まれたわけです。日頃取り上げられることの少ないロシア以外の国々についても、できる限りの情報を盛り込むことを心がけました。
 本号の記事のなかでもとりわけ有益な情報がぎっしりと詰まっているのが、新興独立諸国に実際に駐在し奮闘されている商社の事務所長の皆さんにご協力いただいた「CIS諸国のビジネス環境」ではないでしょうか。決して暮らすのに快適とは言えない旧ソ連諸国で、先兵としてビジネスを切り拓いている商社マンのご苦労は、並大抵なものではないと思います。商社を取り巻く環境は厳しいようですが、今回のアンケートで、やはり総合商社の地域スペシャリストは日本経済の宝だと再認識させられた次第です。アンケートへのご協力に感謝申し上げるとともに、皆様のご活躍により新生諸国と日本の経済関係が発達していくことを願わずにはいられません。
 本号ではまた、知る人ぞ知るロシア人政治学者のフルマンさん、我が国のウクライナ研究の若手ホープである南野さんにもご登場願いました。いずれも、旧ソ連地域のダイナミズムを分かりやすく手ほどきしてくれる内容になっています。
 巻末には、
CIS諸国の10年間の歩みと現状を様々な面から見たデータ集を採録してございますので、「永久保存版」として活用していただければ幸いです。

(服部)