ロシア東欧貿易調査月報

2003年1月号

 

T.ロシアの連邦制と地域政策

  −カリーニングラード州と沿海地方のケースを念頭に−

 

U.ウクライナの天然ガス・パイプライン政策

  −「ガス・コンソーシアム」創設にみるウクライナ外交の転換−

V.日露行動計画

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モスクワ直送情報

 インタビュー 篠原敏修さん(三菱商事海IS地域代表、モスコー事務所長)

 インタビュー 星野利彦さん(在ロシア日本大使館一等書記官(科学技術担当))

 インタビュー 大窪道章さん(国際科学技術センター次長)

データバンク

 特集 2002年1〜9月のCIS経済統計

調査月報・経済速報年間目次(2002年分)

CIS・中東欧ビジネストレンド(2002年11月分)

CIS・中東欧諸国関係日誌(2002年11月分)

 


 

ロシアの連邦制と地域政策

―カリーニングラード州と沿海地方のケースを念頭に―

早稲田大学COE研究員

堀内賢志

 はじめに

1.ロシアにおける連邦的秩序の形成とその特徴

2.連邦の地域政策

3.カリーニングラード州と沿海地方のケース

4.プーチン政権における展開

終わりに

 

はじめに

 ロシアでは現在のプーチン政権の下で中央・地方関係の改革が進められている。ソ連末期から顕著になった連邦主体の独立的な傾向と、市場経済化に向けた困難な試みの中で、連邦中央は地方との関係において、相互の権限と責任を明確にした、安定的で一貫性をもったルール・制度を構築することができなかった。それは、連邦中央が合理的で一貫性のある地域政策を策定し実行する能力を著しく低下させた。ロシア連邦を構成する89の連邦主体は極めて多様で著しい格差を持っており、連邦の一体性を確保しながら各地域経済の再編を進め、持続的な経済発展を実現してゆくためには連邦中央の適切な地域政策が不可欠である。しかし、これまでの連邦政府がそうした要請に応えてきたとはいえない。さらにはこうした中央・地方関係により、地方政府にとって長期的展望の下に地元経済・社会の再編を行うことが困難になり、しばしば地方政府の法的規範を軽視した短期的利益極大化の行動が促されることとなった。

 こうしたロシアの連邦制、地域政策の欠陥、矛盾をある意味で典型的に示すケースとして、本稿ではロシア連邦の西と東の果てに位置するカリーニングラード州と沿海地方とをとりあげる。冷戦期にそれぞれヨーロッパ冷戦、アジア冷戦の最前線基地であった両地方は、ソ連崩壊とともに他のロシアの地域から「切り離される」ことによって深刻な危機に陥った。すなわち、カリーニングラード州はリトアニアとベラルーシの独立によって文字通りロシアの他の地域と地理的に切り離され飛び地となり、沿海地方を含む極東地域はソ連崩壊後の輸送費用の高騰などによって「経済的に」切り離された。他方で、それぞれEUとバルト海沿岸地域、およびアジア太平洋地域という国際経済の先進地域に面し、しかも現在のロシアでは数少ない優良な不凍港を持つ両地方にとって、ソ連末期から始まった対外開放と自由化は、他のロシアの地域にも増して大きなチャンスをもたらした。1990年には共に経済特区の設置が認められ、両地方は外資導入を梃子に「ロシアの香港」として発展し、ロシアの市場経済化と経済発展を先導する地域となるはずであった。

 しかしその後の展開は、こうした期待を大きく裏切ってゆく。両地方は市場経済化の中でとりわけ激しい経済的落ち込みを体験する一方、外資導入額はむしろ減少していった。カリーニングラード州のマトチキン、沿海地方のクズネツォフら改革派の知事は、それぞれゴルベンコ、ナズドラチェンコという保護主義的な知事に取って代わられた。彼らは排外主義を煽り、外資導入や市場経済化に逆行する政策をとって、むしろ中央へのロビーイングの強化を通じたレント追求に腐心し、また地元メディアや政治的な反対派に対する抑圧を行った。その地の利や経済特区のレジームを利用して、魚介類や中古自動車をはじめとする中継貿易が、多分に密貿易や組織犯罪と結びついた形で発達したが、それは国際化、市場化に向けた地元産業の健全な再編をむしろ妨げ、リソースの非効率的な配分をもたらした。さらに、こうした地方政権の専横や組織犯罪の横行は連邦中央の権威を失墜させ、連邦財政にも負担をもたらすばかりであった。こうした当初の期待と現状との間に存在する大きなギャップは、その急進的な自由化、市場経済化の改革に内在する矛盾だけでなく、ロシアにおける連邦的秩序の構造的な歪みと、それに伴う連邦政府の地域政策における欠陥とを顕著に反映している面もあると考えられる。本稿では、まずロシアの連邦制の特徴と問題点を明らかにし、連邦政府の地域政策を経済特区と地域発展連邦プログラムの領域に焦点を当てて概観したうえで、この両地方のケースにアプローチを試みる。最後に、現在のプーチン政権における中央・地方関係の改革の試みを概観し、両地方に対する同政権の対応に触れたい。

 


 

ウクライナの天然ガス・パイプライン政策

―「ガス・コンソーシアム」創設にみるウクライナ外交の転換―

(財)国際金融情報センター 研究員

藤森信吉

はじめに

1.天然ガスをめぐるウクライナ・ロシア相互依存関係

2.ガス・コンソーシアム創設前夜

3.ガス・コンソーシアム創設

むすびにかえて −ウクライナ外交の転換−

 

はじめに

 2002年に入り、ウクライナの天然ガス・パイプライン政策が大きく動いている。ウクライナ政府はこれまで、領内ガス・パイプラインの国家所有・管理を堅持してきたが、2002年になってロシア資本の参加を認めたのである。独立以来、輸送料、違法天然ガス引き抜き、ガス債務累積等で対立してきた両国間の経緯から見れば、画期的な出来事である。

 一方で、2002年4月に、ウクライナ大統領教書「ヨーロッパ選択」が発表された。これはウクライナのヨーロッパ統合路線(NATO加盟およびEU加盟)推進を宣言したものであるが、特にNATOへの加盟意思は、従来の「中立・軍事ブロック外」政策からの転換であり、注目される。しかし、せっかくの「ヨーロッパ選択」路線も対イラク・レーダー密輸疑惑によって一気に悪化してしまった。この密輸を指示したと言われるクチマ大統領が、欧米から猛烈なバッシングに晒されているのである。11月にプラハで行われたNATOサミットにおいて、クチマ大統領は露骨な冷遇を受け、何の成果もなく帰国したのであった。クチマ大統領は、それ以前にも、1999年大統領選挙の際の行政権限の濫用、2000年のジャーナリスト失踪事件への関与等で内外からの批判を浴びている。

 何故、2002年に入りガス・パイプライン政策が急展開したのだろうか? 一見、ウクライナのパイプライン政策の急展開は、前述したような内患外憂のクチマ大統領が、天然ガス・パイプラインを土産にプーチン・ロシアにすがり、事態の打開を図った結果のように見える。そして、ウクライナにとって、ロシアと結びついたパイプライン政策は、ヨーロッパ統合路線と矛盾するようにも思われる。

 本稿は、上記のような問題意識に従って昨今のウクライナの天然ガス・パイプライン政策を論じる。筆者の立場から言えば、ウクライナのヨーロッパ統合路線と、天然ガス分野でのロシアとの協力は矛盾しない。むしろ、ロシアとの協力は、ヨーロッパ統合路線の促進要因と捉えるべきである。また、2002年に天然ガス協力が急速に進展した(ように見える)理由は、クチマ大統領の政治的理由ではなく、9.11以降の国際社会の変化とエネルギー価格の高騰等の要因が重なったことによるものである。

 本稿の構成は以下の通りである。第1節では、統計資料を用いて、両国の相互依存関係がパイプライン問題の前提にあることを論じる。第2節では、2002年になって何故、ウクライナがパイプライン政策でロシアに急速に接近したのか、その原因を論じる。第3節では、2002年に両国間で創設が合意されたパイプライン共同管理会社(以下、コンソーシアム)について論じる。最後に、本コンソーシアムがウクライナ外交にとって持つ意味を検討する。なお、本稿は紙幅の都合上、石油パイプライン問題に触れない。

 


 

◆資料紹介◆

日露行動計画

はじめに

日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明

日露行動計画

 

はじめに

 1月9日にロシアを訪問した小泉総理は、翌10日にプーチン大統領との首脳会談に臨んだ。両首脳は共同声明を発表し、両国関係を全体として前進させるために、6分野での協力関係を同時並行的に進める指針として「日露行動計画」に署名した。

 行動計画のなかでは、ロシア東欧貿易会の活動にも言及がなされている。当会の事業に対して高い評価と期待を頂戴し、光栄に感じる次第である。当会では今後とも、日ロ間の経済交流に貢献すべく、最大限の努力を払って参る所存なので、是非とも関係各位の叱咤激励をお願いしたい。

 以下では、1月10日に発表された日露間の共同声明と行動計画を、全文掲載する。