ソ連東欧貿易調査月報

1990年1月号

 

T.激変するソ連・東欧と東西経済関係

U.1988〜1989年の東西貿易の動向

  ―国連欧州経済委員会報告―

V.1989〜1990年のソ連経済

W.ゴルバチョフ改革と東欧

  ―米議会上下両院合同経済委員会向け報告書より―

X.対ソ貿易実務

Y.東欧諸国経済資料

◇◇◇

日ソ・東欧貿易月間商況198912月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌198912月分)

対ソ連・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

198911月および1 〜11月累計)

 

 


 

 

激変するソ連・東欧と東西経済関係

 

1.ソ連・東欧諸国は経済困難に直面

2.対外債務の重圧

3.危機のコメコン体制、しかし重要なソ連と東欧との経済関係

4.東西経済関係はどう変わるか

5.日本の対応

 

はじめに

 ゴルバチョフ政権の進めるペレストロイカの追風を受けて東欧諸国に、いま民主化の嵐が吹き荒れている。ポーランドやハンガリーに始まった経済改革の波は、東独市民の大量流出、民主化要求へと発展し、よもやと思われたベルリンの壁すら事実上消滅させてしまった。東独のうごきはチェコスロバキアにも飛火し、ブルガリアでもジフコフ国家評議会議長を退陣に追いこんだ。民主化の波は強固に見えたルーマニアのチャウシェスク独占体制さえも瞬く間にのみこみ、アルバニアをのぞく全ての東欧諸国が仕切り直しの政治・経済体制のもとに新たな発展の道を模索し始めている。

 政治的な民主化だけでは経済は動かない。今後、ソ連・東欧の経済がどのようになるのか、われわれは当面眼を離せない。

 本稿はソ連東欧経済研究所調査部長の村上隆の執筆によるものである。ここに述べられた見解は当研究所を代表するものではないことを断っておきたい。

 


 

 

1988〜1989年の東西貿易の動向

―国連欧州経済委員会報告―

 

1.最近の東西経済関係の展開と短期的見通し

2.貿易の価格、数量及び貿易収支

3.東西間の金融の発展

 

資料紹介

 本稿は、1989年11月に発効された国連能州経済委員会の年次報告書”Economic Bulletin for Europe, vol.41”のなかから、第2章「東西経済関係」の部分を紹介するものである。

 今回の報告では、例年と同じ東西貿易の動向に加え、東側の改革に対する西側の支援とその影響に言及していることが特徴である。それによると近年、世界貿易の拡大と東西関係全般の改善によって東西貿易発展の基礎が整えられてきたが、1989年には東欧の改革を支援するための西側の具体策が打ち出され、東西貿易の活発化が期待されるとしている。しかしこの報告書が刊行された後、改革派ポーランド、ハンガリーにとどまらず、すべての東欧諸国に波及し、情勢が大きく変化したことを考慮する必要があろう。援助の対象が一挙に膨れ上がったこと、また東欧諸国では急激な自由化・開放化が国によって経済の著しい混乱を招いていることから、西側の負担は当初とは比較になら無大きさとなっているといえよう。また、東欧諸国の抱える債務問題も、その完済を果たしたルーマニアを除けば、深刻さを増している。

 東欧諸国が西側の援助を引き出して有効に活用し、さらに対西側取引を拡大してゆくためには、新しい経済秩序下での経済再建の実績を示しつつ、信用関係を作り出すという、長扨にわたる努力が不可欠の状況である。

 


 

1989〜1990年のソ連経済

 

1.1989年のソ連経済

2.1990年のソ連経済

 

はじめに

 1989年のソ連経済実績が『プラウダ』(1990.1.28)に掲載された。それによると、1989年のソ連の国民総生産は3%増、生産国民所得は2.4%増であった。この数字だけを見ると、ソ連経済が「危機的状況」にあるとはいえない。しかし実績を発表する主管官庁のソ連統計委員会のキリチェンコ議長のコメント(ソ連『政府通報』誌,1990No.4)によれば、この生産国民所得の伸びは、民生用品の輸入増(特に第4四半期)、アルコール飲料の生産と販売の増加による部分が大きく、これらの要因を除いた純生産物の増加率は対前年比1.5%増にすぎない。これを裏づけるように、工業生産高1.7%増、農業生産高1%増、投資は0.6%増、固定フォンドの稼動開始高は2%減と生産、投資の数字は悪い。これと対照的に、月平均賃金(9.5%増)、小売商業売上高(8.1%増)の伸びがかなり高くなっている。

 一般的に、ソ連では消費財不足が深刻化しているといわれているのに小売商業売上高が急増しているのは、企業が高額商品を重点的に生産する傾向にあること、需要の急増に伴う物不足によることが大きい。たとえば深刻な不足状態にあるといわれた合成洗剤、石鹸の売上高は20〜30%程度増加しており、これらの一人当たりの需要量も1988年のそれぞれ2.4s、3.5sから3.5s、5.1sと大幅に増大している。

 また、全体的な経済停滞の要因としては労働規律の低下、炭鉱ストライキ、鉄道ストライキの波及的影響が大きい。

 1990年のソ連経済は、引継ぎ消費財増産・供給増の方針に従った経済運営がなされるが、財政赤字、対外債務の増大傾向に鑑み、全体としては生産財生産部門を中心とした部門への投資抑制、1部商品について西側先進諸国からの輸入抑制策が取られる予定である。

 


 

ゴルバチョフ改革と東欧

―米議会上下両院合同経済委員会向け報告書より―

 

1.ソ連のペレストロイカと相互依存路線の概観

2.ゴルバチョフの内政戦略:改革、再編および再生

3.ゴルバチョフの相互依存路線:政策は変更されたが実態は変わらず

4.東欧への影響

 

はじめに

 ここに翻訳・紹介する論文は米議会上下両院合同経済委員会向けの報告書”Pressures for Reform in the East European Economics”,Volume1(1989.10.20)に収録されている、米議会調査局のJohn P. Hardt(Associate Director for Reserch Coordination)およびJean F. Boone(Senior Reserch Assistant)の両氏による”Perestroika and Interdependence: Implications for Eastern Europe”である。

 1989年、ポーランドとハンガリーに端を発した民主化の嵐は、同年秋に次々と他の東欧諸国を巻き込み、ついには12月のルーマニア革命をもたらした。こうして1989年は東欧にとってまさに激動の年となり、東欧のコメコン諸国は全ての改革路線で足並みをそろえた。

 だがもちろん、政治的自由化の発展は必ずしも経済の安定や発展をもたらさない。また、東欧の改革路線がソ連のペレストロイカと基本的方向を共有するものであるとしても、ソ連が、自国経済の建て直しに専念しようとすれば、1部政治的動機に基づいていたかつてのような東欧との協力関係を徐々に切り捨てていくということも考えられる。実際、石油の安定供給をはじめとして東欧のソ連への経済的依存は甚大であり、その意味でコメコン諸国間の関係には、今後も一定の凝集力が作用し続けると見られる。

 こうしたなか、ソ連、東欧各国、EC諸国を中心として、1990年代の東西欧州間にどのような経済秩序が築かれていくのかという点に世界的な関心が集まっているが、とかく皮相的な見方をされがちなソ連・東欧関係の複雑な諸様相を理解しなければ、同諸国の今後の行方や西側との協力拡大の可能性を見誤ることになろう。

 本論は、東欧の民主化ドミノ現象が始まる以前に執筆されたものであるが、ゴルバチョフ改革の主要方向と実態の分析に基づき、それが東欧諸国に及ぼす影響について様々な見当がなされており、われわれの理解に多くの示唆を与えよう。なお、文中多用され本論のキーワードのひとつになっているinterdependence(相互依存)という言葉は、西側との協力関係の拡大ということと同義であろう。

 


 

対ソ貿易実務

 

第1節 はじめてのソ連市場

  1.ソ連の新しい貿易体制

  2.ソ連の貿易パートナー

  3.貿易パートナーの選び方

  4.自社PR

  5.見本市

  6.商社の起用

 

第2節 商業取引の実際

  1.商談開始から契約まで

  2.契約の履行

 

はじめに

 ソ連では、ペレストロイカの実施に伴って対外経済関係のメカニズムとシステムの再建が進められており、対ソ貿易関係者にとってそのフォローは欠くことのできない作業になっている。

 本稿は、こうした時期に現時点で必要不可欠の対ソ貿易実務に関する情報を紹介することを目的とし、執筆を日商岩井鞄チ定地域貿易部ソ連貿易部 中村達意部長に依頼したものである。長年の経験を踏まえた上で昨今の変化についても第一線の活動を通じて得られる情報が盛り込まれている。