ソ連東欧貿易調査月報

1991年1月号

 

T.1989〜1990年の東西貿易の動向 ―国連欧州経済委員会報告―

U.1990〜1991年のソ連経済

V.市場経済への移行期における対外経済関係の改革

     ―ソ連国家対外経済委員会対外経済研究所講演会より―

W.市場経済への移行期におけるロシア共和国の対外経済政策

X.ハンガリー国家再生経済プログラム(1991〜1993年)の概要

◇◇◇

日ソ・東欧貿易月間商況1990年12月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌1990年12月分)

対ソ連・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

1990年11月および1〜11月累計)

 


 

1989〜1990年の東西貿易の動向

―国連欧州経済委員会報告―

 

.最近の発展概観と短期的見通し

.貿易の商品価格、数量、貿易収支

.東西間の金融動向

4.1990年の各国の東西貿易動向

.東側の変革に対する西側支援

 

資料紹介

 本稿は、1990年11月、ジュネーブで刊行された国連欧州経済委員会の年次報告書”Economic Bulletin for Europe, vol.42”のなかから、第3章「東西経済関係」の部分を紹介するものである。

 ソ連・東欧諸国は、各国経済の悪化と域内協力体制(コメコン)の変革から、西側先進諸国、とくにその主要市場である西欧への経済的依存を強めている。西側経済が順調に推移したことが1989年〜1990年のこの傾向を支えた。

 東欧の中でも改革の先行するハンガリー、チェコスロバキア、ポーランドは、西側との協力関係を有利に運用できる状況にあるが、ブルガリア、ルーマニアについては、西側先進諸国は慎重な対応姿勢を崩していない。
 ソ連では貿易赤字と債務が増大する傾向にあり、経済改革の先行きも不透明で、予断を許さない状態である。

 


1990〜1991年のソ連経済

 

.1990年のソ連経済

.1991年のソ連経済

 

はじめに

 ソ連統計国家委員会は、1990年のソ連経済の実績を発表した。(ソ連『経済と生活』紙、1991年1月、No.5)。それによると、ソ連の国民総生産(GNP)は対前年比2%、生産国民所得は4%それぞれ減少となり、経済の不振はいよいよ深刻なものとなっている。しかも1990年の特徴は、経済の不振が単に生産の低下によってもたらされただけでなく、企業間の経済関係、流通、組織管理面などでのかつてないほどの混乱などによっても拍車がかけられたことにある。また、企業、共和国、地域の間では、従来からの経済的つながりが弱まり、原始的な物々交換が大きな比重を占めるようになってしまった。

 こうした状況は、穀物・食糧をめぐる問題に端的に現れた。つまり、ソ連では、1990年の穀物作柄は近年にない大豊作であったにもかかわらず、収穫活動の低下や流通組織の混乱などのために秋からは全土にわたって食糧の不足が深刻化した。こうしてソ連経済の悪化と混乱はそのひどさを感じていないのは母親から授乳している赤ん坊だけだ(『プラウダ』の論評)、というレベルにいたった。

 1991年のソ連経済の先行きもきわめて不透明である。1991年度の企業間の納入契約の締結が遅れており、今後もなお資材・機械などの供給の乱れ、それに続く生産のいっそうの停滞が懸念される。1990年10月に採択された『国民経済の安定化と市場経済への移行の基本方向』にそった改革措置は主として大統領令の形で実施に移されている。1991年もこの「基本方向」にそって、経済の安定化という焦眉の課題解決に向けて努力がなされるだろう。

 


 

市場経済への移行期における対外経済関係の改革

―ソ連国家対外経済委員会対外経済研究所講演会より―

 

.ソ連経済の諸問題と対外経済関係 G.ウォイトロフスキー

.対外経済関係の改革の法整備の新展開 S.ディーコフ

.質疑応答

 

はじめに

 当会では、ソ連国家対外経済委員会対外経済研究所代表団が来日したのを機に、1月22日に如水会館において特別講演会を開催した。そこで本月報では、その内容を紹介する。

 対外経済研究所は、対外経済政策の最高機関であるソ連国家対外経済委員会に付属し、直接貿易権、合弁企業、経済特区など対外経済関係全般に関する政策立案を主たる業務としている。

今回の講演会では、G.ウォイトロフスキー副所長が「ソ連経済の諸問題と対外経済関係」について、S.ディーコフ部長が「対外経済関係の改革の法整備の新展開」についてそれぞれ講演を行った。

 


 

 市場経済への移行期におけるロシア共和国の対外経済政策

 

.ロシア共和国の対外経済関係の現状

2.ロシア共和国における対外経済関係発展の戦略―システム的アプローチー

3.対外経済活動の組織・管理のシステム

4.自由企業活動地域

5.特別経済地域

6.ロシア共和国での投資活動への外国資本の誘致

7.ロシア共和国の輸出基盤の発展

8.輸入政策と輸入代替

9.対外経済関係の実施に当たっての共和国と連邦の権限の区分

10.結語

 

資料紹介

 ここに紹介する論文は、ロシア共和国のV.チチカノフ対外経済関係省次官の執筆によるものである。

同氏は、1941年生まれで、1986年に科学アカデミーの極東科学センター経済研究所長からウラル支部副総裁兼同経済研究所長に転出したのち、1990年から現職にある。ペレストロイカにより、地方への分権化が進むなかで、長年の学識経験を行政に生かす立場となったわけである。同氏はまた、1991年1月末の第13回日ソ・ソ日経済合同委員会のソ連側メンバーとしても来日した。

 


 

ハンガリー国家再生経済プログラム(1991〜1993年)の概要

 

1.ハンガリー国家再生経済プログラム(1991〜1993年)要約

2.産業分野別プログラム

 

資料紹介

 ここに訳出した資料は、ハンガリー新政府が、1990年9月25日に発表した「国家再生プログラム」―共和国の最初の3年―」の一部である。原資料は付表も含め全文222ページに及ぶ一冊の本であるが、本翻訳資料はそのうち81ページを占める経済関連部分に限定し、しかも政府自身が作成した経済部分の要約と、これに本文から「工業政策」、「国内商業」、「観光」、「農業政策」(以上、「産業分野別プログラム」)を追加編集した。いずれも訳出した部分の全訳である。なお原資料は、以上のほか、「環境」、「教育・研究」、「福祉」、「文化政策」、「教会」、「行政」、「公安・防衛」、「外交政策」、「法治国家の建設」、「最初の100日」、付表で構成されている。

 すでに本誌(1990年7月号)では、「ハンガリー新政府の国家再生プログラム」(1990年5月22日、アンタル首相が国会で表明)と題する翻訳資料(以下、9月プログラム)は、政権発足後4ヶ月間の政策作成作業を踏まえ、5月プログラムをさらに詳細かつ具体化したものである。こうした詳細な3ヵ年再建プログラムを作成することは、すでに5月プログラムでも予告されていた。

 したがって内容上、5月プログラムとそう大きく異なるわけではないが、前翻訳資料の前言でも触れた農業政策に関してはかなりの展開がみられる。それは、5月から9月にかけ、この政策分野で大きな政治的変化が生じたからである。この間の経過を若干補足説明しておこう。

 5月プログラムにおける農業政策は、そのスペースのほとんどを所有改革問題、とりわけ土地所有再編問題にむけていた。そこでは「農業所有改革の基本原則となるのは、土地はおそらくそれを耕作するであろう者の所有に帰すべきだということである。我々の目的は農民層がかつてうけた被害を癒すことである。この点において決定的なのは、1947年である。なぜならこの年には1945年土地改革以後の所有諸関係がすでに確立されていたが、暴力的集団化はまだ開始されていなかったからである。」と述べられていたように、農業集団化開始直前の土地所有関係を復活させることがその核心であった。

 ところが今回の9月プログラムには、土地の再分配という政策目標が直接的には含まれていない。国営農場の私有化、共同組合法改正による組合解体の容認などの方向は打ち出されているが、国有地、協同組合所有地の元所有者への強制返還という方針は放棄されている。それにかわって、「政府は、生産者および所有者が、自分たちに最も適合した生産・利害実現形態(経営規模も含め)をみずから選択できるように社会・経済環境を整えたい」とする立場が打ち出されている。当事者尊重路線への転換(後退)である。こうした転換をもたらしたものはななにか。

 5月プログラム発表以降、農業大臣(小地主党)を中心に土地再分配構想に沿った新土地法案の作成が開始された。7月下旬にはこの法案が与党3党(民主フォーラム、小地主党、キリスト教民主人民党)の了承を得、当初予想では8月20日までに国会を通過するものとみられていた。この新土地法案は@1947年以降国に没収された土地を、100haを上限として元所有者(もしくは相続人)に返還する(機関、企業に対しても同様)、A国営農場の労働者、共同組合員に対して1人あたり1.5haを特別価格で売却する。B林野は減速として返還しないが、旧所有地の2倍の価値を持つ農地を代替供与する、という内容を有していた。

 ところがこの法案が発表されるや否や、野党各党をはじめ、農業生産協同組合からも強烈な反発が出てきた。その理由は、@かつて国有化された資産は、土地に限らず向上など多様であったが、土地に関してのみもとの所有者に返還するというのは差別待遇ではないか、A協同組合が利用している土地の相当部分は協同組合が集団化後有償買収したものだが、こうした協同組合的土地所有を否定することは正当か、Bかつての政策の尻拭いを今日の協同組合農民の犠牲において行うことは正当か、C大規模農業企業を事実上解体することにより、穀物・工芸作物の生産、大規模畜産団地などが壊滅的打撃をうけるが、新設される小規模農業でそれを回復することは不可能である、などに求められる。とくに@、Aの点は、憲法違反論争にまで尖鋭化してしまった。

こうしたなかで、これらの反発に動揺したアンタル首相は、新土地法案の合憲性(@およびAの問題)を憲法裁判所の判断にゆだねるという行動に出た。10月2日に出された憲法裁判所の判断は、@資産の種類によってもとの所有者に返還するかしないかを区別することは、国民間の差別を禁じた憲法規定に反する、A憲法に規定された財産権は、協同組合にも適用される。したがって、これから資産を強制収用するには正規の強制収用手続きを経なければならず、それ抜きの収用は憲法違反である、というものであった。つまり新土地法案は、基本的に憲法違反との判定を下されたのである。

これを受けた政府各与党は、小土地地主の強い反発(この党は憲法改正さえ主張した)もあったが、憲法の枠内での土地法案を再度作成することで、合意、目下作業中と思われる。

9月プログラムは憲法裁判所の判定が下される直前に発表されており、当時政府側は判定の内容を既に知っていたのであろう。

なお非農業分野の私有化については5月プログラムで小規模な国営諸単位の「予備私有化」(夏に着手予定)が宣言されていたが、9月プログラム段階でも、依然「特別の法律に基づき、近く実施される」とされている。一方、より大規模な国営企業については、国家資産管理庁の発議に基づく3〜4ヶ月毎の私有化パッケージ計画方式が宣言された。この種の私有化は、「能動的私有化」とされ、企業自身の発議に基づく「自発的私有化」とは区別されている。前政権はこうした能動的視由佳には慎重であり、(当該企業の赤字決算が2年連続した場合に限定)、自発的私有化を基本路線としていたが、新政権は優先関係を逆転させている。こうした立場から、新政権は9月プログラムと同時期(9月)に第1回私有化プログラム(First Privatization Program1990、略称:FPP)を発表、私有化対象企業20社を公表した。

以上のように、9月プログラムの内容を正確に把握するうえで、5月プログラムと比較することが極めて有益である。5月プログラムもあわせて読まれることをお勧めしたい。