ソ連東欧貿易調査月報 1991年7月号 |
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1991年度日ソ経済専門家会議日本側代表報告
1.ソ連経済を見て 金森久雄(日本経済研究センター会長、ソ連東欧経済研究所長)
2.ゴルバチョフ訪日後の日ソ経済関係 小川和男(当会常務理事、ソ連東欧経済研究所副所長)
はじめに
当会は5月26日〜6月22日に「第14回日ソ経済専門家会議」代表団をソ連および欧州各地に派遣し、政府関係機関、研究所などにおいてソ連・東欧経済、東西経済交流に関する意見交換を行った。それに基づき、7月1日に如水会館において帰国報告会を開催した。以下、金森久雄(日本経済研究センター会長、ソ連東欧経済研究所長)の「ソ連経済を見て」、小川和男(当会常務理事、ソ連東欧経済研究所副所長)の「ゴルバチョフ訪日後の日ソ経済関係」の両報告を紹介する。
ソ連の1991年度国家予算の概要
1.ソ連の国家財政赤字の現状
2.1991年のソ連国家予算
はじめに
近年ソ連では経済危機といわれている状況が進行しており、それは慢性化する国家財政赤字、高進するインフレーションに端的に現れている。
1991年度のソ連国家予算は、一方で市場経済化を進め、他方では国内経済の安定化をはかるという課題を同時に実行するという困難な状況の中で策定された。さらに、各連邦構成共和国の国家主権が連邦政府によって是認されるという流れの中で、各共和国が自主的に共和国予算を策定するという新たな事態に対応して策定しなければならない。
収入の連邦と各共和国との間の配分をめぐっては未決着な部分が多く、連邦予算への納税も滞っており、今後一層混乱が深まり恐れがある。
1991年1月〜6月のソ連経済
1.概況
2.工業
3.農業
4.投資
5.対外経済関係
6.国民生活
7.金融・財政
はじめに
ソ連統計国家委員会は1991年上半期のソ連の経済実績を発表した。(ソ連『経済と生活』紙、1991年、No.30)。それによると、ソ連の国民総生産(GNP)は対前年同期比で10%減少し、また生産国民所得は12%、社会的労働生産性は11%とそれぞれ減少した。このように、ソ連経済は依然として深刻な不振から脱却できないでいる。
以下では、統計国家委員会の発表を要約的に紹介する。
ソ連の行政機構改革
1.ソ連邦内閣に関するソ連邦法律
2.「ソ連邦内閣に関するソ連邦法律」および「ソ連邦の省庁およびその他の中央国家行政機関の一覧に関するソ連邦法律」の実現方式について(1991年4月13日付 ソ連邦内閣政令第176号)
3.ソ連邦の省庁と閣僚の一覧
資料紹介
ソ連では1990年12月の憲法改正により、連邦レベルの行政管理機構が旧閣僚会議から内閣制度に移行し、これにともない省庁および国家機関の体系が一新された。そこでここでは、ソ連の国家行政の新体制に関連して、若干の解説を行うと共に、以下の資料を紹介する。
1.ソ連邦内閣に関するソ連邦法律
2.「ソ連邦内閣に関するソ連邦法律」および「ソ連邦の省庁およびその他の中央国家行政機関の一覧に関するソ連邦法律」の実現方式について(1991年4月13日付ソ連邦内閣政令第176号)
3.ソ連邦の省庁と閣僚の一覧(1991年4月1日付「ソ連邦の省庁およびその他の中央国家行政機関の一覧に関するソ連邦法律」にもとづいて作成)
1の法律は内閣の構成や権限など、この制度の基本点を定めたものである。
2の政令は省庁の統廃合の具体的方式や手続きを定めたものである。この中で注目されるのは、内閣の下部機関が列挙されており、また、付属文書として今回廃止および改組された省庁がリストアップされていることである。
3は、4月1日付の上記法律にもとづいて省庁の一覧を掲げ、これにすでに確定している閣僚名を付記したものである。
なお、ソ連の政府機関の名称としての「委員会」には「コミッティー」と「コミッション」があり、これらは性格が異なるので、ここではその区別が可能なように、「コミッション」の場合にその旨を明示する。
出典は1の法律が『イズベスチヤ』(1991.3.27No.74)、2の政令がソ連『政府通報』(No.17(95),1991年4月)、4月1日付上記法律が『イズベスチヤ』(1991.4.9No.85)である。
ソ連の企業者活動法
ソ連邦 ソ連における市民の企業者活動の一般原則について
ソ連最高会議決議 ソ連邦「ソ連における市民の企業者活動の一般原則について」の施行について
はじめに
1991年4月2日にソ連最高会議においてソ連法「ソ連における市民の企業者活動の一般原則について」が採択された(『イズベスチヤ』1991.4.10)。この法律の施行細則を定めた4月4日付最高会議決定によると、この法律は、新聞発表の日より施行され、同時に1986年11月19日付採択の個人労働活動法が失効するとされている。
この法律は、主として市民の所有に基づいて行われる営業活動に関するもので、雇用の有無、法人格の有無を問わない。共同組合を含むあらゆる形態の企業に関しては、1990年6月に採択された企業法で規定されており、実際上、今回の法律は、上記の個人労働活動法に代わるものと位置づけられている。
個人労働活動法との大きな違いは、第1に個人労働活動法では認可される業種のリスト(29業種)が載せられ、同時に禁止される業種のリスト(12業種)も法律のなかに載せられていたのに対して今回の法律では企業者(市民)は原則として任意の業種に従事できるとされた点である。実際には、「商業仲介、商業・買付、イノベーション、コンサルタントその他の活動および有価証券取引を含む任意の経済活動」と記されており、これまで制限されることが多かったこれらの業種を列挙した点が特に注目される。さらに、事業の開始が、従来のような許可制ではなく、登録制に変えられた点も特徴のひとつである。ただし、「ソ連邦および各共和国の法令で禁止されていない限り」という但し書きが付けられており、他の法律で禁止業種が定められる可能性は残っている。
第2に、個人労働活動法では、雇用が禁止されていたのにたいし、今回の法律では、明確に雇用を定め、雇用人数の制限なども加えられていない。協同組合法や所有法において事実上雇用はすでに認められており、今回の法律はそれを追認したものである。
ソ連の軍民転換と市場経済への移行
1.軍需産業の転換とソ連経済の変更
2.ソ連の軍民転換の経済的技術的可能性
資料紹介
現在、ソ連では深刻化する経済危機から脱出するために、市場経済への移行の努力が行われている。それとともにこれまでソ連経済にとって過大な負荷を与えてきた膨大な軍事費を削減し、巨大なそして閉鎖的な軍需産業を民需産業へ転換する(いわゆる軍民転換)という、総じて経済の非軍事化を目指す動きが活発となってきた。また、この軍民転換の問題は、1990年以降、急浮上してきた西側先進諸国によるソ連に対する経済支援にとっても重要な関心テーマとなっている。
しかし、軍民転換の事業は、多くの困難を抱えており、その進捗は容易ならざるものがある。これが何よりも直接に、長期にわたり秘密のベールに包まれていたソ連の軍事力の実態に触れる、という国内外に多大な影響を及ぼす政治的軍事的問題を有しているだけではない。ソ連の軍需産業はすでに長期にわたって経済の中に構造的にはめ込まれており、軍民転換と市場経済化のためにはテクノロジー面でも経済管理の面でも新たな問題解決の方法を探らなければならない。以下に紹介するのはこうしたソ連の軍民転換が抱える問題とその解決の方向を、ソ連側から展望した2つの論文の翻訳である。今後の対ソ知的・技術的支援のあり方を考える上で参考となろう。
「1.軍需産業の転換とソ連経済の変革」(A.オジェゴフ、E.ロゴフスキー、Y.ヤリョメンコによる共同執筆、ソ連『コラムニスト』誌、1991年No.1)は、ソ連政府によって作成された「1995年までの軍需産業の転換プログラム」に対する批判的検討をとおして、軍民転換の主として経済的内容、方向を展望したものである。
「2.ソ連の軍民転換の経済的技術的可能性」(原題は「軍民転換と市場経済への移行」E.ロゴフスキー、ソ連科学アカデミー・国民経済予測研究所『予測の諸問題』誌、1991年No.1)は、軍需産業の内部に蓄積されてきたテクノロジーを実際にどのように民需に転換すべきかについて、いくつかの具体例を挙げて論じている。