ソ連東欧貿易調査月報

1991年10月号

 

T.1990年のソ連の貿易動向

U.1991年1〜9月のソ連経済

V.新しい極東開発構想

W.ロシア共和国の社会・経済情勢について

  ―ロシア共和国経済省V.コスチューク科学技術部長の講演会より―

X.ソ連各共和国の民族別人口構成

Y.市場経済転換期のハンガリー貿易

◇◇◇

日ソ・東欧貿易月間商況1991年月分)

ソ連・東欧諸国関係日誌1991年月分)

対ソ連・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績

1991年月および1 〜月累計)

 


 

1990年のソ連の貿易動向

 

1.1990年の貿易概況

2.1990年の取引圏別貿易動向

3.1990年の商品別貿易動向

4.1991年上半期の貿易動向

5.1990〜19910年の日ソ貿易

6.ソ連貿易統計

 

はじめに

 1990年のソ連の外国貿易総額は、対前年比6.7%減の1,315億ルーブルで、うち輸出は608億ルーブル、輸入は707億ルーブルであった。

 1990年のソ連の外国貿易は、輸出入とも前年を下回り、とくに輸出は対前年比11.6%減で大幅な落込みをみせた。また、1989年に14年ぶりにマイナスに転じた貿易収支は、1990年にはさらに拡大し、1989年の3倍の98億ルーブルの赤字となった。

 地域別には、社会主義諸国との貿易は輸出入ともに大幅に減少し、資本主義諸国との貿易が大幅に増加したため、取引圏別の貿易校正は、社会主義国と資本主義国がほぼ均衡することになった。この一因となったのは、統計上、旧東ドイツが先進工業諸国に組み込まれたことである。

 商品別の輸出入構造は大きな変化はない。輸出では燃料・エネルギー関連商品が依然として大きなシェアを占めているが、重要な外貨獲得源である原油・石油製品の輸出は、1989年の落込みに拍車がかかって、1990年後半にはさらに急減し、輸出に占めるシェアは1989年の27.2%から1990年には21.4%になった。一方、機械・設備・輸送手段のシェアが18.3%と低いレベルにとどまっている。輸入では機会・設備・輸送手段、食品、消費物資が従来どおり主要輸入商品となっている。

 原油・石油製品輸出の低下、大量の食品類・同原料、消費物資の輸入増大でソ連の貿易収支赤字がますます拡大しており、外貨事情を悪化させている。ソ連の外国貿易環境はさらに厳しさを増している。

 本稿執筆者は当会ソ連東欧経済研究所研究委員 梅本清美である。

 


 

1991年1〜9月のソ連経済

 

1.概況

2.工業

3.農業

4.投資

5.対外経済関係

6.国民生活

7.金融・財政

 

はじめに

 ソ連統計国家委員会は1991年1〜9月期のソ連の経済実績を発表した(ソ連『経済と生活』紙、1991年,No.43)それによると、ソ連の国民総生産(GDP)は対前年比で12%低下し、生産国民所得は同じく13%低下した。

 以下では、経済実績を要約的に紹介する。

 


 

新しい極東開発の構想

 

極東経済地域およびザバイカルにおける危機打開ならびに2000年までの社会・経済発展促進コンセプト

A.序

B.現状の評価

C.極東地域ならびにザバイカルにおける経済政策の原則と目的

D.極東地域ならびにザバイカルにおける地域経済政策とこの地域に対する経済政策の内容

E.極東地域ならびにザバイカルの各共和国、地方・州における経済・社会発展の諸原則

F.国家的規制の諸手段

 

資料紹介

 1987年7月に立案された「長期極東総合計画」は、この地域の総合的な発展の必要性を提起したという点で一定の意義をもっていた。しかし、この計画は投資資金の問題や産業の実態を十分に踏まえたものでなく、事実上放棄されていた。

 これに代わる新しい極東開発構想「極東経済地域およびザバイカルにおける危機打開ならびに2000年までの社会・経済発展促進のコンセプト」が1991年5月30,31日,ハバロフスクで開催された極東協会第4回調整委員会で検討、承認された。この会議には、シラエフ・ロシア共和国副首相をはじめモスクワから25名,極東地域の州,地方,自治共和国の指導者約25名,ハバロフスクから約25名が参加した。

 この開発構想の特徴は、従来軽視されていた対外経済関係を地域経済発展にとって最も重要な前提条件のひとつとしているところである。この構想によれば、開発資金を確保するためには、内外から極東地域への投資を促進するような環境をつくりだすことが必要である。このために、次のような具体的措置が提起されている。@企業に対する課税率を15〜20%に抑え、2〜3年は無税とする。A中小企業を振興し、大企業の株式会社化あるいは外資導入を進める。B利益送金に対する免税、現行の高率関税の廃止。Cインフラ整備を目的とした政府基金を設け、開発銀行を設立する。

 この新たな開発構想を立案するにあたって中心的役割を果たしたのは、ソ連科学アカデミー極東支部経済研究所所長P.A.ミナキル氏である。

 ここでは、当研究所が同氏から直接入手した草案を翻訳紹介する。

 


 

ロシア共和国の社会・経済情勢について

―ロシア共和国経済省V.コスチューク科学技術部長の講演会よりー

 

はじめに

 周知のとおりソ連では、8月の保守派クーデターの失敗を転機として、連邦の権威が大きく失墜し、共和国が政治・経済の基本的単位となった。しかし、経済統計データなどの共和国の基礎資料はきわめて乏しいのが現状である。

 そこで当会では、10月初めにロシア共和国経済省のV.コスチューク科学技術部長を招き、講演会を催し、ロシア共和国の社会・経済的な現状と共和国政府の取り組みについて、具体的な実績数値をあげて語ってもらった。

 


 

ソ連各共和国の民族別人口構成

 

はじめに

 以下に紹介するのは、ソ連で1989年に実施された全国国勢調査にもとづく、連邦および各共和国(すでに独立を達成したバルト3国を含む)の民族別人口構成と言語使用の状況のデータである。これは、ソ連国家統計委員会編集の『統計通報』誌(1990, No.10〜1991,No.6)に掲載されたもので、共和国ごとの民族構成の最新値があきらかにされたのはこれがはじめてである(日本のマスコミなどでよく目にするのは1979年の国勢調査のデータである)。なお、紙幅の制限上、主要民族のみを掲載する。

 


 

市場経済転換期のハンガリー貿易 

 

はじめに

 1990年におけるハンガリーの交換性通貨建て貿易収支は9億4,470万ドルの黒字であった(1989年の収支実績は5億3,970万ドルの黒字)。

 この事実は内外の専門家に大きな驚きを与えた。なぜなら、この年はコメコンが事実上解体を始めた年であり(周知のとおり正式な解散は今年9月下旬。旧来の貿易方式自体は昨年末で廃止),対東側貿易の縮小は予想されたものの、従来から想定されていたハンガリー産品の国際競争力のもとで、西側市場への転換がスムーズに進むとは想像されていなかったからである。ところが現実のハンガリー経済は、対東側輸出の縮小分を機械類を除き、ほとんど対西側輸出の拡大でカバーしたうえに、史上最高の収支黒字を実現したのである。

 コメコン解体とソ連経済の分解(計画経済崩壊後の空白状態)のもとで、東欧諸国は例外なく経済の縮小(調整)に直面しているが、市場転換を順調に進めえたハンガリーはそのダメージを比較的軽微に抑えている。1988年以来の長期に及んだ市場志向型経済改革(計画経済の枠内であったが)を踏まえ、すでに1988年に本格的市場経済に乗り出したこの国は市場経済化においても優等生となりえたようである。今年4月に国会で了承された政府4カ年(1991〜1994年)プログラム(いわゆる「クパ・プログラム」)にもとづき、市場経済のための制度整備はこれまでにほとんど完了しているが、今年中にはその総仕上げが予定されている。計画によれば、調整過程は1992年に完了し、1993年からは拡大に転ずることがめざされている。しかし同時に、1991年に入り一連の深刻な問題が表面化しつつあり、今年が市場経済移行における正念場であることも、ますます明らかになっている。

 以下に紹介するカーダール対外経済関係大臣とのインタビュー、『対外経済』詩(1991年7月号)に掲載されたものである。計画経済から市場経済への移行と市場転換を比較的巧みに進めている―しかし脆さもかかえた―モデルとして紹介する。

 聞き手ファルカシュ・ゾルターンはハンガリー・ラジオのスタッフである。