ソ連東欧貿易調査月報

1992年3月号

 

T.市場化の試練に直面する旧ソ連・CIS

U.1991年のCIS経済

V.CISの通商・経済協力協定

W.旧ソ連の対アジア社会主義諸国経済援助と貿易

X.ハンガリーの政治体制

Y.旧ソ連・中東欧の市場経済化と西側支援

新刊紹介

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旧ソ連・東欧貿易月間商況1992年1月分)1992年2月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1992年1月分)1992年2月分)

 

 


 

市場化の試練に直面する旧ソ連・CIS

 

1. 議論に終始して失われたときの重さ

2. 市場改善に実現すべき改革課題

3. 試練に直面する市場経済への移行

4. 市場化促進と西側の経済支援

 

はじめに

 1991年を通じた激変の最終結果として、ソ連邦は解体し、CIS(独立国家共同体)が成立した。旧ソ連においては、1989年秋以来中央集権的計画化経済から市場化への転換が図られている。

 この過程は、筆者が早くから強調していたとおり、長期的過程である。しかもソ連経済は現在、「計画も市場もない」という難局に陥り、生産の大幅減少、極度の物不足、激しいインフレに喘いでいる。市場化の過程は、旧ソ連・CISの内外の大方の見通しをはるかに超えて、長期化する様相を示している。

 本稿執筆者は当会ソ連経済研究所小川和男副所長である。

 


 

1991年のCIS経済

 

1. 概況

2. 財政金融、住民の所得と支出

3. 物価、消費財市場

4. 人口動態と就業

5. 工業

6. 農業

7. 投資

. 対外経済関係

 

はじめに

 このほど、1991年の旧ソ連経済の実績が発表された(「1991年の独立国家共同体加盟諸国の経済―ゴスコムスタクト(旧ソ連統計国家委員会)の概観―」『経済と生活』紙、1992年2月、No.6)。1991年は旧ソ連にとって政治的経済的に歴史的激動の年となった。8月には連邦のトップ集団によるクーデター未遂があり、バルト3国は独立し、年末にはついにソ連邦が70年の歴史に幕を下ろし、旧ソ連の11構成連邦共和国からなる「独立国家共同体(CIS)」が成立した。

 こうした激変を受けて、例年公表される通年の経済実績も内容と構成で変化をこうむった。何よりもCIS加盟諸国の個別データが大きく増加した。しかしながら、従来はこの時点で公表されていた主要工業製品の品目別生産実績については、増減指数がほとんどで品目数も減少しており、詳細なデータが発表されなくなった。

 今回、公表されたところによれば、1991年のCISの国民総生産(GDP)は、名目で1兆8,000億ルーブルであり、実質で体前年比17%減少となった。また生産国民所得は、名目で 1兆2,000ルーブル(実質で前年比15%減少)、工業生産高は1兆9,380億ルーブル(同前年比7.8%減少)、そして農業生産高は1,930億ルーブル(同体前年比7%減少)であった。(第1表参照)。また、総合小売物価指数はCIS全体として前年を100として186に、小売物価は1991年12月には前年同期比で2.4倍に上昇している。

 以下ではこの概観の大要を紹介する。

 


 

CISの通商・経済協力協定

1992年の通商・経済協力分野における共同体諸国の相互関係の調整に関する規定

 

はじめに

 ここに紹介するのは、ミンスクで会談した独立国家共同体(CIS)各国の首脳が2月14日に調印した「1992年の通商・経済協力分野における共同体諸国の相互関係の蝶背に関する協定」の全文翻訳である。出典は 『ソビエツカヤ・ベラルシア』紙(1992.2.20)である。

 多くの問題を先送りしたまま見切り発車の形で1991年12月に結成されたCISはその後、クリミアの帰属をめぐるロシアとウクライナの対立、独自軍創設の問題など、多難な様相を呈している。

 経済面でも事態は深刻である。従来のソ連では、経済が高度に中央集権化され、人為的な分業関係がかたちづくられてきた。共和国が台頭するようになると、過去に対する反動として、共和国ごとに経済をブロック化して、共和国間の(より正確に言えば「経済主体」間の)経済関係が途絶してしまうような傾向が生じた。このため現下のCISでは、従来の分業、取引間の関係を、この共和国間の経済関係の調整という困難な課題に取り組んだものであり、CISの領域に共通経済空間が維持されるかどうかという点から極めて注目される。この協定自体が多くの問題を先送りしており、若いCID諸国が細目を詰めていく交渉力を発揮できるか疑問ももたれるが、共和国間の経済関係を立て直すことはやはり不可避の課題である。

 


 

旧ソ連の体アジア社会主義諸国経済援助と貿易

 

1.  旧ソ連とアジア社会主義諸国との貿易―特徴と動向―

2.  減少する旧ソ連の対外経済援助

3.  中ソ貿易の急増と商品構造

4.  旧ソ連とベトナムの貿易動向と商品構造

5.  旧ソ連とモンゴルの貿易動向と商品構造

6.  旧ソ連と北朝鮮の貿易動向と商品構造

 

 旧ソ連と中国の経済関係は今日、互恵・平等・双務の原則に基づいて形成され、1980年代中葉移行の中ソ貿易も経済的・商業的要因に動かされて著増した。中ソ貿易の商品構造は極めて相互補完的であり、収支はほぼバランスしている。

 旧ソ連と中国以外のアジア社会主義国、つまりベトナム、モンゴル、北朝鮮およびラオスとの経済関係では、旧ソ連が発展途上のこれらの社会主義諸国の経済建設を支援する目的の経済・技術援助が圧倒的に重要な意味を持ってきた。実際にも、旧ソ連は、相当な無理を重ねてこれらアジア社会主義諸国に対して巨額の経済援助を与えてきた。

 旧ソ連の経済援助は通常、援助額相当の商品供給によって実現され、アジア社会主義諸国への商品供給は著しく増大し、これは旧ソ連の輸出増大として記録された。この結果、旧ソ連とアジア社会主義諸国との貿易の収支は旧ソ連側の大幅な出超となってきた。アジア社会主義諸国では極端に高い対ソ依存型経済構造が形成された。

 旧ソ連経済が極度の不振に喘ぎ、ソ連が解体してしまった今日、アジア社会主義諸国に対する経済援助は激減し、それに伴って輸出も急減し始めた。ここにおいて、旧ソ連の商品供給に決定的に頼ってきたアジア社会主義諸国経済は深刻な痛手を蒙っている。

 一方、アジア社会主義諸国国際政治・経済情勢が好転するもとで、経済開放化を図り始め、日本や東南アジア諸国との経済関係拡大を企図し、広く諸外国から資本と技術を導入しようとしている。そしてそうした開放政策を見て、日本企業や東南アジア諸国企業の経済進出が今まさにせきを切ろうとしているわけである。

 だが、旧ソ連のプレゼンスが急速に退潮している現在、アジア社会主義諸国が直面している難局を十分に考慮に入れた経済進出が必要不可欠である。とくに日本の場合、ODA(政府開発援助)はもちろん、広く民間ベースの援助も含めて、思い切った経済・技術援助を先行させていくことが肝要である。

 本稿執筆者は、当会ソ連東欧貿易経済研究所小川和男副所長である。

 


 

ハンガリーの政治体制

 

1.  概観

2.  最近の政治的諸過程

3.  改正憲法の規律する政治体制

4.  主要政治勢力

 

はじめに

 ハンガリーは、1960年代後半から市場原理を取り入れた経済改革に取り組み、1989年以降の東欧諸国の変動においても主導的役割を果たした。政治変動後のハンガリーは、他の東欧諸国ほど申告ではないにせよ、やはり相当な混乱に見舞われている。東欧で民主主義と市場経済に最も近いと思われていたハンガリーの政治体制について、1980年代後半以降の政治変動の経緯、現在の制度、争点、主要勢力などを中心にまとめたものである。

 本稿筆者は島村博氏(明治大学法学部講師、中東欧法)である。

 


 

旧ソ連・中東欧の市場経済化と西側支援

 

1.  体制転換と民営化

2.  国際書記官の公的拘束力をもつ支援

3.  民営化の法的問題

4.  民間資本による民営化

 

はじめに

 旧ソ連・中東欧諸国の市場経済化へ向けた試みが実施されるなかで、所有変革が最大の難関であることが明らかになりつつある。とりわけ、民営化は市民社会復興の制度的保障という意味を持っており、体制転換において決定的な役割を果たすことが共通の理解となってきている。

 旧ソ連・中東欧諸国の体制転換において、西側諸国はいかなる役割を担うことができるのであろうか。

 本稿は、特に法制面からこの問題を検討したものである。

 執筆者は、鈴木輝ニ東海大学法学部教授である。