ロシア東欧貿易調査月報

1992年6月号

 

T.ハバロフスク地方の経済地理

U.ロシア経済改革プログラムとG7の対応 ―アメリカ合衆国の展望―

   ハート米国議会図書館調査局次長の講演会より

V.ロシアおよび旧ソ連邦構成諸国の国際金融機関への参加

W.ロシアの軍民転換法

X.第22回ソ連東欧貿易会定時総会報告(概要)

◇◇◇

旧ソ連・東欧貿易月間商況1992年5月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1992年5月分)

CIS・グルジア・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(1992年4月および1〜4月累計)

 

 


 

ハバロフスク地方の経済地理

 

1. 自然

2. 住民と地方行政

3. 産業概況

4. 産業各論

5. 国際経済交流

 

はじめに

 ロシア極東地域の中では、ハバロフスク地方は沿海地方に次ぐ産業地域であり、ここには極東人口の23%が住み、社会的総生産でも極東の22%を生産している。国際交流ではロシア・アジア地域の空の玄関としてここを訪れる人は後を絶たない。

 しかし、昨今の旧ソ連およびロシアの政治混迷と経済の停滞は、ハバロフスク地方にも生産の後退と物価上昇による社会的混乱をもたらしている。長年日ソ貿易のよきパートナーであった当地だけにその経済活動が立ち直ることを祈らずに入られない。本稿はハバロフスク地方の経済を再度研究する一資料としてまとめた。執筆者は、島津朝美氏である。

 


 

ロシア経済改革プログラムとG7の対応  ―アメリカ合衆国の展望―

ハート米国議会図書館調査局次長の講演会より

 

1. エリツィン−ガイダル・プログラム成功の見通し

2. 米国、G7の援助プログラムの存在理由

 

はじめに

 当会ではジョン・ハート米国議会図書館調査局次長を招聘し、5月20日に如水会館において「ロシアの経済改革プログラムとG7の対応」と題する講演会を開催した。本月報では講演会の内容を紹介する。

 ハート博士は、長年にわたり旧ソ連研究第一線で活躍してきた経済専門家である。今回の講演会では、社会主義体制崩壊後の旧ソ連・東欧諸国の経済界改革の現状を特にロシアに焦点を絞って分析し、今後の西側援助のあり方を米国の立場より提案している。

 なお、本稿に示されるものは筆者の個人的見解であり、必ずしも議会図書館調査局の意見を代表するものではない。

 


 

ロシアおよび旧ソ連邦構成諸国の国際金融機関への参加

 

1. 要旨

2. 米国の対応

3. 背景と分析

 

資料紹介

 このたび当会では、1992年4月13日付米国議会図書館調査サービスのレポートを入手したのでここに紹介する。

 報告者は、外交・国防課のJonnathan E. Sanford, Shirley A. Kanの両氏である。

 レポートは、ソ連及びCIS加盟国のIMFをはじめとする国際金融機関への加盟をめぐる議論を紹介したものである。今日からすれば、すでに古くなった記述も見られるが、加盟の経緯を知る上で貴重なものと思われる。

 


 

ロシアの軍民転換法

 

ロシア連邦における国防産業の民需転換に関するロシア連邦法

第1章 総則

第2章 国防産業の組織、計画立案及び資金調達

第3章 転換企業の社会的保護、補償、特典

第4章 転換条件下における企業の対外経済活動

 

はじめに

 エリツィン・ロシア大統領は1992年3月20日、「ロシア連邦軍民転換法」を発表、連邦最高会議はその施工に当たって一部修正と追加を付け加えたうえでこれを採択した。『ロシア人民代表議員大会・最高会議通報』(1992、No. 18)にその全文が掲載されたので翻訳・紹介する。

 


 

22回ソ連東欧貿易会定時総会報告(概要)

 

1. 1991年度事業の概要報告

2. 1992年度事業計画

3. 役員選任

4. 定款の一部改正

 

はじめに

 ソ連東欧貿易会は、1992年5月28日、第22回定時総会を開催した。ここではその際奉公された平成3年度事業内容と平成4年度事業計画を紹介する。

 1991年の日ソ貿易は54億3,054万ドルにとどまり、前年に比べて8.2%減少している。1991年12月21日、「独立国家共同体」(CIS)創設の調印に伴い、日ソ貿易は34年の歴史を閉じた。1991年は日ソ貿易としては西郷の年であり、輸出が前年に引き続いて減少したばかりでなく、輸入も7年ぶりに前年を下回り、輸出入総額はピーク時の1989年の89.2%に減少した。日本の貿易総額に占める日ソ貿易のシェアは、1.0%となり前年に比べてさらに0.1ポイント減少した。とくに対ソ輸出が日本の輸出総額に占めるシェアは引き続き0.67%にまで落ちた。

 1990年には、1975年以来続いた日本側の出超が入超に転換したが、こうした傾向は1991年に入っていっそう強まった。1991年の日本の対ソ貿易は12億ドルの大幅な入超となっている。これは、日本国内の対ソ輸入に対する需要が堅調な反面、対ソ輸出環境は依然として悪化しているからである。

 対ソ輸出不振の最大の要因は、1988年まで4割ものシェアを占めていた鉄鋼の昨年に引き続いての不振である。鉄鋼の輸出実績は、3億4,175万ドルで、対前年同期比1割弱の減少であった。また軽工業品輸出は、対前年比43.1%に激減した。

 対ソ輸入品目の中で減少が目立つのは、木材及び石炭である。各対前年比は13%減、30.2%減であった。反面、魚介類、非鉄金属類などは増大しており、ソ連が外資不足をカバーするために積極的に売り込んだと思われる。

 1991年の対モンゴル貿易は、対前年比217.2%であった。うち日本の輸出は、1,409万ドルから4,700万ドルに激増、輸入は1,746万ドルから2,152万ドルに増加した。

 1991年の対東欧諸国貿易概況は、日本の輸出が9億2,295万ドル(対前年比7.3%減)、輸入が6億8,836万ドル(同4.5%減)で、往復では16億1,130万ドル(同6.1%減)であった。

 往復貿易額でみた相手国の順位は、1位ポーランド(前年と同じ)、2位ハンガリー(同3位)、3位ユーゴスラビア(同2位)、4位チェコスロバキア(同5位)、5位ルーマニア(同4位)、6位ブルガリア(同7位)、7位アルバニア(同8位)、以下、8位ラトビア、9位エストニア、10位リトアニアであった(ただし1990年分6位は旧東ドイツであった)。