ロシア東欧貿易調査月報

1993年6月号

 

T.ロシア連邦アムール州の経済地理

U.ロシア連邦における外国投資の法的側面

V.沿海地方南部地域開発の基本方針

W.バルト三国の独立過程と社会発展の特色

X.ロシアの輸入関税率表

Y.第23回ロシア東欧貿易会定時総会報告(概要)

資料紹介

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旧ソ連・東欧貿易月間商況1993年5月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1993年5月分)

CIS・グルジア・アゼルバイジャン・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(1993年4月および1〜4月累計)

 

 


 

ロシア連邦アムール州の経済地理

 

1.  自然

2.  住民、民族構成、地方行政

3.  産業概況

4.  産業各論

5.  対外経済交流

 

はじめに

 アムール州はロシア連邦の一行政州であり、極東経済地域(以下極東地域、または極東と略称する)にはいる。面積は37万3,600km2で極東総面積の5.9%に過ぎないが、それでも日本の広さ(37万8,000km2とほぼ同じである。

 地理的位置は、東側がハバロフスク地方、北側がサハ共和国、(旧ヤクート自治共和国)、西は東シベリア、チタ州になる。南は世界で6番目の大河アムール川をかいして、中国黒龍江省と境を接している。

 この州は大陸のおく不覚にあり、海のない極東唯一の州である。このため、日本からは遠い存在に思えるが、実は極東地域から対日出荷される木材の約20%はアムール州産であり、ハバロフスク地方につぐ第2位の輸出木材産地となっている。鉄道輸送でも日本との関係は深い。南ヤクート炭(サハ共和国ネリュングリ市)の対日出荷は、アムール州にあるアヤム鉄道(南北線)とシベリア鉄道(東西線)があって始めて輸送ができる。

 しかしアムール州にとって現在、日本以上に重要なパートナーは中国である。1991年州の77%の貿易が中国であり、また同年は4万人以上の中国人旅行者が両国間の特別簡易ビザ協定を利用して州都ブラゴウェシチェンスクを訪れているし、逆にロシアでも対岸の黒河市を訪問している。このように今日のアムール州の国際交流は中ロを中心に発展しているが、これからは日本を始めアジアの国組みがこれに加わり、さらに拡大することを期待したい。

1988年を中心にアムール州の文献調査を終えたところで、1992年夏、筆者はアムール州に3泊4日の短い個人旅行に出かけた。ブラゴウェシチェンスクでは、アムール川を隔てて対岸に黒河市の前傾を眺望し、時折対岸から中国語がかすかにスピーカーにのって聞こえてくるほどの近さを実感した。また「バム圏の州都」トゥインダ行きの機内からは、下界一面に広がる極東一の穀倉地帯を見ることができた。こうした体験や新資料を本稿ではできるだけ加筆した。

 本稿執筆者は島津朝美氏である。

 


 

ロシア連邦における外国投資の法的側面

 

1.  ロシアの外国投資法の概要

2.  外国投資と民営化

3.  外資導入促進上の問題点

4.  外国投資規制の現状と課題

 

資料紹介

 ここに紹介するのは、ロシア対外経済関係省付属景気研究所・上級研究員・経済学博士候補S.V.ノズドリョフ氏執筆のロシアの外国投資関連法の整備状況に関する論文である。

 現在ロシアでは、新たな外資法が準備中と伝えられているが、同論文は、現行のロシアの外資導入の法的枠組みを理解する上で有益と思われる。

 


 

沿海地方南部地域開発の基本方針

 

1.  沿海地方発展の初期条件

2.  発展の目的、課題、前提条件および段階

3.  沿海州南部地域発展の基本規定

4.  沿海州南部発展プロジェクトにおけるウラジオストクの役割と地位

5.  構想実現の機構と形態

 

資料紹介

 1991年10月、国連工業開発機構(UNIDO)は、いわゆる「大ウラジオストク自由経済地帯」構想と呼ばれる沿海地方南部の開発プロジェクトを策定した。このプロジェクトに対して、地元の学者、行政当局は、独自の評価を行い、それが1992年に「沿海地方南部地域発展」構想(案)として発表された。そこで、その全訳をここに紹介する。

 


 

バルト三国の独立過程と社会発展の特色

 

1.  方法論についての反省

2.  バルト諸国とはエストニア、ラトビア、リトアニアの旧ソ連三国だけでなくフィンランド、カリニングラード(ソ連)、ポーランドも含めた地域

3.  バルト諸国をめぐる覇権争い

4.  ソ連体制のもとでの50年間のバルト三国

5.  1991年独立体制における1920年代第一次共和制の意義

6.  市民社会の基礎としての法秩序

 

はじめに

 1991年8月の保守派クーデターの失敗を受けて、同年9月6日にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は独立を達成した。バルト三国は、かつてのソ連の共和国の中でも特殊な条件を持った国々であり、その独立までの道筋を理解し今後の行方を見据えるためには、歴史的な洞察が必要である。本稿はこうした観点に立って、戦間期の独立時代、ソビエト時代を視野に入れながら、バルト三国の独立と社会発展の動向を論じたものである。

 本稿執筆者は東海大学法学部の鈴木輝二教授である。

 


 

ロシアの輸入関税率表

 

『ロシア連邦輸入関税率』の適用方式について

付属文書1 ロシア連邦輸入関税率表

付属文書2 ロシア連邦領内への商品移入に際して輸入関税が課せられない更新発展途上国の一覧

付属文書3 ロシア連邦内への商品移入に際して基礎税率の2分の1の輸入関税が課せられる発展途上国の一覧

付属文書4 最恵国待遇の相互供与を規定した通商条約・協定を締結した国の一覧

 

はじめに

 ロシアでは先頃、貿易管理体系の整備の一環として新たな輸入関税率が制定され、すでに4月1日から施行されている。そこで、この関税表を含むロシア連邦国家関税委員会の通達を翻訳して紹介する。(付属文書5以下は省略)。

 なお、関税法の翻訳は潟Aイティエスジャパンの提供によるものである。記して感謝するものである。

 


 

23回ロシア東欧貿易会定時総会報告(概要)

 

1.  1992年度事業の概要報告

2.  1993年度事業計画

3.  役員選任

 

はじめに

 ロシア東欧貿易会は1993年5月27日、第23回定時総会を開催した。ここではその際報告された平成4年度事業内容と平成5年度事業計画を紹介する。

 1991年暮れのソ連の解体にともない、日ロ貿易元年の1992年の通関実績は、輸出10億7,674万ドル、輸入24億298万ドル、合計34億7,972ドルへと激減した。対前年比(旧ソ連の実績比)は、輸出50.9%、輸入72.4%、輸出入計64.1%であった。日本の貿易総額に占める日ロ貿易のシェアは0.6%になり、前年に比べてさらに0.4ポイント減少した。特に対ロ輸出が日本の輸出総額に占めるシェアは、1991年の0.67%に引き続き0.32%にまで落ちた。

 輸出入実績の減少の原因は、ロシア経済の混乱に端を発している。価格は自由化されたが、市場経済への移行、国営企業の民営化は思うようには進まず、国民所得は減少し、ハイパー・インフレが猛威を振るった。

 対ロ輸出不振の最大の要因は、重化学工業の不振であり、対前年比48.3%であった。1988年まで日ソ貿易輸出の4割ものシェアを占めていた鉄鋼も昨年に引き続き不振で、輸出実績は9,359万ドルで、総輸出に占める比重は8.7%に落ちた。

 対ロ輸入品目の中で、減少が目立つのは、石炭、非鉄金属(貴金属を含む)、金であった。反面、魚介類は急増しており、品目別のシェアでは木材を上回り24.2%とトップになった。木材も若干盛り返した。

 1992年の対モンゴル貿易は対前年比116.8%と増加した。うち日本の輸出は4,700万ドルから、3,709万ドルへと微減、輸入は2,152万ドルから4,296万ドルに増加した。

 1992年の対東欧諸国貿易概況は、日本の輸出が7億7,127万ドル(対前年比16.4%減)、輸入が6億2,902万ドル(同8.6%減)で、往復では14億29万ドル(同13.1%減)であった。

 往復貿易額で見た相手国の順位は、1位ポーランド(前年と同じ)、2位ハンガリー(前年と同じ)、3位チェコスロバキア(同4位)、4位ルーマニア(同5位)、5位ブルガリア(同6位)、6位セルビア及びモンテネグロ、7位スロベニア、8位ラトビア、9位リトアニア、10位クロアチア、11位エストニア、12位マケドニア、13位アルバニア、14位ボスニア・ヘルツェゴビナであった(ただし、1991年分3位は旧ユーゴスラビアであった)。