ロシア東欧貿易調査月報

1994年9月号

 

T.1993年のCIS諸国の外国貿易

U.ロシアの経済政策と対外経済関係

  ―S.Y.グラジエフ、M.A.サラファノフ講演会より―

V.ベラルーシにおける外国企業の進出と外国投資

W.新しいハンガリー政府の経済政策プログラム

◇◇◇

旧ソ連・東欧貿易月間商況1994年8月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌1994年8月分)

CIS・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(1994年6月および1〜6月累計)

 

 


 

1993年のCIS諸国の外国貿易

 

1.  1993年のベラルーシ共和国の外国貿易および対CIS諸国貿易

2.  1993年のカザフスタン共和国の外国貿易および対CIS諸国貿易

3.  1993年のキルギス共和国の外国貿易および対CIS諸国貿易

4.  1993年のトルクメニスタン共和国の外国貿易および対CIS諸国貿易

5.  1993年のタジキスタン共和国の外国貿易および対CIS諸国貿易

 

はじめに

  1993年のCIS諸国の外国貿易に関する資料がCIS統計委員会の『統計通報』に発表されたので、ここにその概要を紹介する。1992年の外国貿易に関しては、全CIS諸国の資料が発表され、さらに商品別の外国貿易高等の詳細な統計が発表されたが、1993年の外国貿易に関しては、CIS統計委員会への各国統計委員会あるいは省庁からの資料提出が遅れており、いまだにべラルーシ、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンの資料しか発表されていない。また、資料の内容も1992年と比較して簡単なものである。

 したがって、本稿ではベラルーシ、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンの外国貿易および対CIS諸国貿易(ただし、タジキスタンの対CIS貿易を除く)の動向について紹介し、最後にCIS諸国各国の1992〜1993年の全体的貿易動向、1人当り外国貿易高1993年のロシアのCIS諸国およびバルト諸国への品目別移出高を付表として掲載する。

 


 

ロシアの経済政策と対外経済関係

S.Y.グラジエフ、M.A.サラファノフ講演会より―

 

1.  ロシアの経済政策の動向

2.  ロシア対外経済関係管理における諸問題

3.  質疑応答

 

はじめに

 このたび当会ロシア東欧経済研究所では、グラジエフ・ロシア下院経済政策委員会議長とサラファノフ・対外経済関係省付属景気研究所所長を招き講演会を開催した。グラジエフ氏は1992年12月から1993年9月までロシア連邦対外経済関係相の要職をつとめ、その後1993年12月の議会選挙で下院議員に当選(ロシア民主党所属)した。サラファノフ氏が所長をつとめる景気研究所はソ連時代から続く対外経済関係の研究所であり、両氏ともにロシア経済をになう若い世代の代表として対外経済政策に強い影響力をもっている。以下、講演会の内容を紹介し、あわせてサラファノフ氏が資料として公表した表を掲載する。

 


 

ベラルーシにおける外国企業の進出と外国投資

 

1.  外国企業のベラルーシへの進出

2.  ベラルーシにおける外国投資

3.  外資参加企業の設立動向

4.  外国投資に関する法令適用例

 

はじめに

 このほど当研究所では、ベラルーシにおける外国企業の進出と外国投資の法制度と概況について解説した資料を同国政府から入手したので、これを翻訳して紹介する。

 ベラルーシは地理的に日本から遠く、また人口1,000万の小国だということもあって、わが国ではこれまであまり注目されてこなかった。だが逆に欧州からみればCIS市場に進出するための格好の拠点であり、同国の比較的安定した政治状況も手伝って、思いのほか高い評価を得ているようである。また、中欧に隣接する地理的特性ゆえに、ポーランド、ドイツなどとの経済関係が活発化している様子がうかがえる。

 ベラルーシの経済情勢に目を転じると、CISのなかでも深刻な経済難に見舞われている国のひとつといえる。1993年のGDPは前年比9%減、消費者物価は16.7倍となり、1994年上半期にもGDPが前年同期比31%減と大幅な低下を記録する一方、消責者物価は6月時点で前年末の4倍となった。こうした厳しい経済情勢が7月の大統領選挙の結果(ポピュリスト的なルカシェンコ大統領の選出)の背景にあったことは言うまでもない。ベラルーシはかねてからCIS経済統合の急先鋒として知られていたが、新大統領はとくにスラブ系三国の結束を唱えているといわれ、ロシアとの通貨同盟結成の問題を含め、今後の動静が注目されるところである。

 


 

新しいハンガリー政府の経済政策プログラム

 

第1部 経済政策

第2部 農業

第3部 雇用政策と労働行政

 

資料紹介

 ハンガリーでは1994年5月の選挙で圧勝した社会党と第二党の自由民主連合が7月15日に宣誓し連立政権を樹立した。両党をあわせれば、国会議員の4分の3を占め、政権基盤はきわめて強力である。社会党は単独でも過半数をおさえ、単独政権も可能であったが、「一党制復活」攻撃もあって、自らもより幅広い社会的合意を求めて連立模索を行った。

 4年間続いた民主フォーラム主導の旧連立政権は経済合理性を無視した、イデオロギー過剰の政策を続けた結果、国民の信頼を失い、社会党のみそぎに絶好のチャンスを与え、かつての社会党への先鋭な批判者であった自由民主連合さえも社会党に接近させることとなった。

 ここでは新連立政権の7月8日発表の政府プログラム「ハンガリー政府プログラム1994〜1998」のなかからマクロ的経済政策を扱った第1部から第3部までの全訳を紹介する。

 このプログラムと前政権の政策を比較すると、現政権のプログラムが実務的スタンスに徹し、イデオロギー的アプローチを排除していることが特徴である。ハンガリーは社会主義政権時代から市場経済原理の導入に熱心であり、体制転換に有利な条件が整っていながら、過去4年間の経済実績がそれほどでなかったのは、前政権の既述のような政策がこの利点を無にしてしまったことが原因のひとつである。ハンガリーの体制転換の混乱のひとつの時期が終わり、経済回復の基盤が生まれてきているといえるだろう。