ロシア東欧貿易調査月報

1997年5月号

 

T.中東欧経済の回復と問題点

―外資の著増、南北格差の拡大―

U.1996〜1997年の中東欧諸国の経済

V.1996〜1997年のモンゴル経済

W.塗り変えられるロシア自動車産業地図

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統計特集(V):日本・東欧諸国・モンゴル貿易統計

 

 


 

中東欧経済の回復と問題点

―外資の著増、南北格差の拡大―

 

1.政治・経済体制の転換進捗

2.伝統的ヨーロッパへの回帰とEU加盟志向

3.中東欧経済の回復と要因、著増する直接投資

4.対外貿易の西方転換、ロシア市場の見直し

5.南北格差の拡大、今後の課題

6.期待される日本企業の進出

 

はじめに

  1990年代初頭に始まった体制転換にともなう急激なリセッションに見舞われた中東欧諸国は、1992年にポーランドが先陣を切ってプラス成長に転じた後、翌1993年にはルーマニア、スロベニア、アルバニアが、1994年にはチェコ、ハンガリー、スロバキア、ブルガリア、クロアチアがプラス成長を記録し、経済復興への兆しを示した。成長のトレンドはその後も続き、1996年にはポーランド経済が1989年水準を超えるなど、回復を本格的なものにしつつある(ブルガリアだけは逆にマイナス成長を記録)。

 中東欧経済の回復の背景には、マクロ経済の安定化を大前提として、民営化(私有化)をベースとする市場インフラの整備およびそれと結びついた外国資本の大量流入、貿易の地域別・品目別構成の変化(旧コメコン市場から西側市場へのシフトおよび依存)、旺盛な国内需要などが考えられる。

 もっとも、基幹産業の民営化、企業および産業のリストラクチャリングは今後に残された課題であり、その対処如何では社会的混乱を呼び起こす可能性もあり、市場経済化は最大の試練を迎えようとしている。また金融システムの整備は、アルバニアやブルガリアの例にもみられるように、企業の投資活動にとどまらず、外資参入の条件となる各国の国際的信用度にかかわる問題であり、いっそうの改善が望まれるところである。

 本稿は、中東欧経済の各国別サーベイの前提として、今日の中東欧経済の全体的特徴を概観し、その間題点を論じたものである。

 執筆者は、当会ロシア東欧経済研究所所長小川和男である。 

 


 

1996〜1997年の中東欧諸国の経済

 

1. チェコ

2. ハンガリー

3. ポーランド

4. スロバキア

5. スロベニア

6. ブルガリア

7. ルーマニア

 

はじめに

 ここでは、前項の総論を受けて、今日の中東欧経済について、主要国別に概観するが、その前に、各国経済を評価するうえでのひとつの視角を提示しておきたい。

 周知のとおり、EBRD(欧州復興開発銀行)は、中東欧諸国を体制転換の進捗度にしたがい2つのグループに分類している。第1グループは「進んだ段階にある」グループで、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、スロベニアのCEFTA(中欧自由貿易協定)加盟5カ国およびクロアチアが含まれる。これら諸国は、クロアチアを除きEUと連合協定を締結しており、WTO(世界貿易機関)のメンバーである(チェコ、ハンガリー、ポーランドはOECD加盟国でもある)。第2グループは、「中間段階にあるグループ」で、これに属するのは、アルバニア、ブルガリア、マケドニア、ルーマニアの“南東欧諸国”である。では、この中東欧諸国の2極化は何によってもたらされたのか、 さらに、第1グループのなかにおける経済成長の違いを決定づけている要因は何か。

 中東欧諸国の経済回復を振り返ってみると、その回復は最初のうちは、従来ソ連を盟主とするコメコン向けに輸出していた商品をEUを中心とする西側市場に輸出することによってもたらされ、その後は関連する国内需要に牽引されることによってもたらされたことがわかる。つまり、この回復は、体制転換的プロセスという制度的変化によってもたらされたというよりはむしろ、輸出先を東から西へシフトしたことによる結果であった(シフトの速度と内容が回復過程を規定する)。したがって、今後、経済回復を本格的なものにするためには、輸出をさらに増大させる必要がある。だが、その際の最大の問題は、早晩ストップするであろう輸出の外延的拡大(安価な労働力と低水準の技術にもとづく)に代って、輸出の内包的拡大(質の高い労働力と高水準の技術にもとづく)へと輸出構造を変化させることであろう。もちろん、このためには大規模な投資が必要であるが、国内資本が絶対的に不足している状況では、外国資本の導入および外国からの借入に頼らざるをえず、したがってまた、国内の投資環境を整備する必要がある。この場合、もっとも重要な条件は、政治的安定およびマクロ経済の安定を大前提とすれば、民営化(私有化)の促進・内実化および企業改革、そして資本市場の整備である。後でみるように、ハンガリーはこの点でもっとも進んでおり、それ故にまた、外資の流入ももっとも活発である。これとは対照的であるのがブルガリアとルーマニアである。輸出拡大のための体制転換が最大の課題をなしている。輸出拡大のための体制転換が最大の課題をなしている。

 今日、中東欧諸国はこぞってEUへの加盟、EU市場との一体化への努力を続けているが、体制転換の進捗度が、その加盟の順位づけの最大の基準となることだけは確かである。もっとも、この体制転換にともなう社会的コストをEU加盟条件を満たしつつ、できるかぎり最小に抑えるという別の困難がつきまとうのだが、ここでは、改革に対する国民の信頼度および社会的コンセンサスの堅固さが決定的となることは言うまでもない(なお、CEFTA加盟諸国のEU加盟に関する問題の詳細については、当会報告書『中欧諸国のEU加盟の準備過程』1997年3月を参照されたい)。

 以下では、CEFTA加盟5カ国(チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、スロベニア)とブルガリア、ルーマ ニアについて各国の経済状況を概観するが、政治状況が不安定で首尾一貫した経済政策を実施しえなかったブルガリアとルーマニアについては、政治状況も併せて概観する。

 


 

1996〜1997年のモンゴル経済

 

1. 1996年のモンゴル経済

2. 1996年のモンゴルの対外経済

3. 1997年のモンゴル経済

 

1996月末に行われたモンゴル国民大会議(国会)選挙で、野党4党で構成する民主連合が大勝した。その結果、同連合議長であるエンフサイハンが首相に就任し、革命以来、75年間にわたって政権を担ってきたモンゴル人民革命党は、その座を下りることになった。新たに政権の座に就いた民主連合は、市場経済の加速化を掲げ、中央省庁の統廃合(13省を9省にまで削減、通産省と食料・農業省を農牧畜・産業省に統合、国家開発庁を解体して対外関係省と大蔵省に分割等)やカシミア原料の輸出規制撤廃、また石油製品、電力、石炭など基本料金の引き上げ(石油製品lは29〜60%、電力は60%、石炭は45%)などを行った。

 しかし、新政権による性急な経済改革および民主化の徹底は行政に混乱を招き、またカシミア輸出規制撤廃は、IMFなどから求められていたものの、原料の大量流出で国内産業に大きな打撃を与える結果となった。さらに基本料金の引き上げは他の物価へも波及し、前政権時に収まりかけていたインフレが高騰するなど国民生活の混乱から、1997年5月18日に実施された大統領選挙では、人民革命党のバガバンディ前国民大会議議長が当選した。人民革命党は「国内の産業や農業が壊滅状態になる」と急進改革に強く反発しており。バガバンディ氏の大統領就任は「大統領は人民革命党、内閣・議会は民主連合」と前回総選挙までとは反対のねじれを生むことになった。しかし現在のモンゴルでは、どの政党が権力を握っても民主化路線を軌道修正する可能性はほとんどなく、市場経済化などの基本路線は共通している。そのため政府が1996年末より重点を置いている金融引き締め政策に大幅な変更が加えられることはないだろう。

 


 

塗り変えられるロシア自動車産業地図

 

第1部 ロシアの自動車市場(乗用車を中心に)

第2部 ロシア市場における外国メーカーの動向

第3部 ロシアの自動車メーカーの現状

 

 ロシアの製造業が、経済の自由化・開放化の波をまともに受け、壊滅的な打撃を被ってきたことは、周知のとおりである。ロシアの自動車産業もその例外でなく、貿易の自由化とともに外国からの輸入車がロシアの主要都市に溢れ、国産車メーカーは存亡の危機に立たされてきた。もっとも、自動車産業は、ロビー活動を背景とする政府の産業保護政策や国内のモータリゼーションにともなう旺盛な需要も手伝って、乗用車に関しては、他の製造業と比べ生産の落ち込みは相対的に小さかったが、それでも苦しい状況に変わりはなかった。

 近年、ロシア自動車業界は大きく変貌を遂げつつあり、2つの大きな流れがみてとれる。ひとつの流れは、国内メーカーの立て直しに向けた動きであり、この場合には、自社努力によるものと、地元行政機関の支援を仰ぐもの(外国の資本・技術の導入をともなう)に大別される。もうひとつの流れは、元来は農業機械など自動車以外の製品を生産していた工場で外国車の組立をロシア国内および近隣CIS諸国で行うものである。

 今後、広大なロシア市場でのシェア獲得競争が過熱することが予想され、政府の明確な産業政策もないまま。国内の自動車メーカーの急速なスクラップ&ビルドが進行するであろう。

 本稿は、大きく塗り変えられようとしているロシア自動車業界地図の全体像をレポートしたものである。

 執筆者は、当会ロシア東欧経済研究所調査部次長坂口泉である。