ロシア東欧貿易調査月報 1999年8月号 |
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中央アジア諸国の対ロ貿易構造の変化
―対ロ姿勢の相違から見た試論―
当会ロシア東欧経済研究所研究員
輪島実樹
はじめに
1. 仮説:対ロ貿易関係変化のメカニズム
2. 貿易に占める対ロ比率の変化
3. 品目別貿易傾向
おわりに
はじめに
1995年以来、出版されていなかったCIS統計委員会による貿易統計『CIS諸国の対外経済活動』が今年(1999年)、再び刊行された。1995〜1997年のCIS各国の品目別および相手国別の貿易データをカバーしている。本稿の目的は、同統計集およびロシア通関統計により、ソ連解体以来、変貌を遂げつつある中央アジア諸国とロシアの経済関係を貿易面から概観することにある。
連邦解体後7年余を経て、“ロシアを中心とする旧ソ連圏”は政治的にも経済的にも、その実態を失いつつあるといってよいだろう。1999年4月に期限切れとなったCIS集団安全保障条約から脱退したウズベキスタン・アゼルバイジャン・グルジアらは、もともと加盟していないウクライナ、モルドバらとともに新しい地域協力同盟(GUUAM)を結成した。新同盟の性格は今後の協議にゆだねられているが、政治・軍事・経済を含む広範な協力関係構築を目指すものとなることが予想されている。CIS内における“ロシアを含まない”多国間協定としては、カザフスタン・ウズベキスタン・キルギスらによる「単一経済圏協定」があるが、同協定は名称が示すとおり、必ずしも対象地域を限定していない。むしろ1994年当時、機能しないCISに業を煮やした中央アジア3カ国が既存の経済連関維持・発展のために結成したという背景があり、門戸は他のCIS諸国にも開かれていた。現にロシアはウクライナらとともにオブザーバーとなっている。これに対し、GUUAMは設立の経緯から明確に“ロシアを含まない”新しい地域ブロックの形成を意図しており、ここに同同盟が“反CIS同盟”あるいは“反ロ同盟”と評される所以がある。
CIS集団安全保障条約の縮小とGUUAMの成立により、CIS諸国は事実上、ロシアを中心とする旧ソ連圏の維持派とその反対派、より端的に言えば親ロと反ロの2つのグループに明確に分割されたかに見える。注目すべきは従来経済力の弱さからもっともロシアとの紐帯あるいはロシアの庇護を必要とすると考えられていた中央アジア諸国のうちから、後者のグループに属するものが出たことだ。すなわちCIS集団安全保障条約=“親ロ”・グループのカザフスタン、キルギス、タジキスタンに対するGUUAM=“反ロ”のウズベキスタン、アゼルバイジャンである。両協定に調印していない国として永世中立国のトルクメニスタンがあるが、“ロシアに組みしない”という点では後者に分類されてしかるべきであろう。
こうした現状に鑑み、本稿では中央アジア諸国の対ロ貿易データの推移を上記2グループの対比のもとに分析する。以下、便宜的に2つのグループを“親ロ”および“反ロ”と呼ぶものとするが、独立後の対ロ貿易関係を比較した場合、両者の間には何らかの差がみられるであろうか。換言すれば、ロシアとの間の貿易関係は、中央アジア諸国の対ロ姿勢に影響を与える要因のひとつとして考えることが可能であろうか。
言わずもがなのことではあるが、中央アジア諸国の対ロ姿勢には政治的要因が強い影響を与えている。例えばアゼルバイジャンが反ロ的姿勢をとる要因の1つには、ナゴルノ・カラバフ問題において終始ソ連中央(ロシア)がアルメニア寄りの態度を取ってきたことに対する強い不満がある。一方、国内の治安維持を駐留ロシア軍に負うところの大きかったタジキスタンの場合は、経済的事情のいかんにかかわらず、反ロ敵スタンスを取ることは事実上不可能であったといえよう。しかしそれでもなお旧ソ連諸国のCIS加盟の主たる動機の1つが、「ロシアを中心とする旧ソ連経済圏の維持」という経済的なものであったことと、結成後7年余を経てうち数カ国がそのCISの意義をある程度否定するに至ったことを考え合わせれば、各々の国の対ロ姿勢の選択の背景にはロシアとの経済関係の評価がたぶんに関係しているものと考えられよう。
本稿では中央アジア諸国とロシアとの間の貿易データにもとづき、各国における“貿易パートナーとしての必要度”について考察する。もし、以下の考察によって「“親ロ”的選択を行ったカザフスタン・キルギス・タジキスタンらのほうが、“反ロ”的選択を行ったウズベキスタン・トルクメニスタン・アゼルバイジャンらよりも貿易パートナーとしてロシアを必要としている」ということが論証されるならば、「ロシアとの貿易関係の強弱は中央アジア諸国の対ロ姿勢の選択に影響を与えている」と結論付けることが出来よう。
ただし、資料的制約から、以下の論議は1994年以降に限られる。1992〜1993年の間は、CIS間貿易に関するデータが存在しないためである。また、旧ソ連圏においては資料間のデータの整合性が著しく低いため、なるべく出所の数を限ることが望ましい。そのため、本稿では基本的にCIS統計委員会とロシア関税委員会のデータに依拠して分析を行い、中央アジア各国の貿易統計はそれが利用可能な場合でも補足的にしか用いない。ロシア側のデータを用いるのは、詳細な品目毎の取引額が1994年以降一貫して得られるのは同国の通関統計のみだからである。しかし、そのロシアの通関統計ですら、金・電力等、一部公開されない項目があり、またCIS統計委員会データとロシア通関統計のデータには必ずしも整合性がないことをあらかじめお断りしておく。
近年のロシア・旧ソ連邦諸国間の人口移動
―その特徴と要因―
日本貿易振興会アジア経済研究所
平泉秀樹
はじめに
1. ロシア人口移動の趨勢
2. 国際人口移動の特徴
3. 移住者の民族構成
4. 国際人口移動の要因
おわりに
はじめに
近年、ロシアと旧ソ連邦諸国間の人口移動に、これまでとはちがった動きがみられる。ロシアと旧ソ連邦諸国との間の人口移動そのものは、近年この地域で生じているさまざまな変化を示す特徴ではまったくない。人口移動は歴史的には19世紀後半からのロシア帝国の拡張に伴って活発化し、ソ連邦の時代には生産力配置計画や処女地の開拓などにともなる労働力の移動が極めて大規模に見られた。
近年のロシアをめぐる国際人口移動の特徴は、流入と流出の差である純流入が急激勝つ大規模に生じ、これが、出生数と死亡数の差で表される自然増加がマイナスになるという近年のロシア人口の本源的現象を緩和しているということにある。
このような人口の本源的現象と流入規模の変化は、1980年代半ばに大きな期待を持って始まったペレストロイカ政策の失敗と関連しているように思われる。なぜならば、政策の失敗が明らかになり始めた1980年代後半に出生数が減少し始める一方で、死亡数が上昇し始め、1990年初めから各地の民族運動や民族間の対立が激化し、最終的にソ連邦が15の民族を冠した共和国に解体された結果、これまでソ連邦市民としてロシア以外の地域に住んでいたロシア人が、その日を境に離散民(ディアスポラ)の状態に置かれた。彼らの一部はロシアに戻るとともに、戦火を免れた難民もロシアに流入している。さらに、これまで各国に流出していた人々の数が急激に縮小している。
このような近年のロシアをめぐる国際人口移動における変化は、旧ソ連邦諸国の新しい国家建設過程における原住民族重視の民族的性格と、経済の移行期における経済的困難によって加速化されたと考えられる。本稿では、ロシア・旧ソ連邦諸国間の人口移動に焦点を当てて、その特徴と要因を検討したい。
1999年上半期のロシア金融市場
当会モスクワ事務所副所長
D.ウォロンツォフ
1. インフレ
2. 銀行および金融市場
3. 外貨市場
4. 国債市場
5. 地方債市場
6. 証券市場
7. ロシアの対外債務市場
8. 半年の総括と将来の予測の試み
1998年8月の最も深刻な危機と長期の「生気のない」シーズン―その間にロシアの金融市場は回復できないように見えた―の後、1999年上半期は全体として前向きな、さらに十分予期せざる結果をもたらした。報告期間中の大部分の金融市場部門の景気は不均等な発展ではあるが、肯定的なものであった。だが確認すべきは、外面的に良好な数字の裏には、ロシアの金融システムの深刻な矛盾と問題が隠されており、今に至るまで解決されていないことである。
ロシア貿易・産業情報
ロシアの対外債務問題について
当会ロシア東欧経済研究所調査部 次長
坂口泉
1. ロシアの対外債務の全体像
2. それぞれの対外債務の返済をめぐる状況
参考資料 ロシアが保有する対外債権