ロシア東欧貿易調査月報

2000年7月号

 

T.統計数字の上から見たエリツィン時代の日ロ貿易

U.ロシア極東の経済動向と市場経済化

V.数字で見るロシア極東(2000年版)

◇◇◇

論調と分析

 市場経済への移行と国家の介入

 ハンガリーへの外資流入は何故鈍化しているか?

 ガスプロムとルールガスの新たなラウンド

データバンク

 1.ロシアの経済統計

 2.2000年1〜3月のロシアの外国投資受入れ状況(訂正)

CIS・中東欧ビジネストレンド(2000年6月分)

旧ソ連・東欧諸国関係日誌2000年6月分)

 

CIS・中・東欧諸国・モンゴル輸出入通関実績(2000年1〜6月累計)

 

 


 

統計数字の上から見たエリツィン時代の日ロ貿易

喜入亮

 

はじめに

1.    日ソ貿易から日ロ貿易に移行

2.    ソ連から引き継いだ負の遺産

3.    日本の輸出激減とその理由

4.    輸入の伝統商品と新規商品

5.    エリツィン時代のプラスとマイナス

 

はじめに

 1999年12月31日、エリツィン・ロシア連邦大統領はロシア国民に向けてテレビ演説し、同日付で大統領を辞任したと発表した。旧ソ連、ロシアを通じて生きてトップの座を去ったのはフルシチョフ、ゴルバチョフについで3人目、また前二者が政敵に追い落とされた(ゴルバチョフはエリツィンが追い落とした)のとは異なり、一応自らの意思で身を引いたというのは帝政ロシアも含めてロシア史上、初めてのケースといえよう。もっとも1991年6月、ロシア大統領選挙で圧倒的支持を受けて当選したが、辞任直前の世論調査では支持率は数パーセントにまで落ち込んでいたから、エリツィン氏はロシア国民から追い落とされたとも言える。

 それはともかく、1991年12月21日、ソ連が解体しロシア連邦がエリツィン大統領の下で誕生してからエリツィン辞任までの8年間は、これをエリツィン時代といってよいひとつの性格を帯びている。エリツィン時代の詳細と全面的な評価は、いずれ専門の歴史化が検証することになると思われるが、本稿ではエリツィン時代の日ロ貿易、それも統計数字に現れた部面だけという限定された範囲でその一端を探ってみることにする。

 


 

ロシア極東の経済動向と市場経済化

 

当会ロシア東欧経済研究所 研究員 

中居孝文

はじめに

1.    ロシア極東の経済動向

(1)ソ連邦時代の極東経済

(2)ソ連邦かいた以後の極東経済

(3)金融危機後の極東経済

2.    ロシア極東における経済改革

(1)経済の自由化

(2)市場経済の担い手の創出

(3)生産構造の転換

3.    ロシア極東と連邦中央との関係

(1)連邦中央との権限関係

(2)連邦中央との予算関係

おわりに

 

はじめに

 ロシア連邦では全部で11の広域経済地域に分かれており、極東地域はその中で文字通り東端に位置する経済地域である。極東地域は合計10の連邦構成主体からなり、総面積は621万6,000qでロシア全体の約3分の1を占める広大な地域である。(オーストラリアよりやや狭く、インドの約2倍)。その一方、人口は725万人と少なく、ロシア全体の4.9%を占めるに過ぎない。首都モスクワからウラジオストクまではシベリア鉄道で実に9,300q(赤道全周の約4分の1)距離があり、首都モスクワを中心とするロシア欧州部からみれば極東地域はまさに辺境地帯にある。

 しかし、日本、中国、韓国、北朝鮮からみれば、ロシア極東は「北東アジア経済圏(環日本海経済圏)」の一角を占める隣国である。21世紀に向けて北東アジア諸国では、ロシア極東地域のエネルギーをはじめとする豊富で未開発の天然資源に対する期待は大きい。また極東地域にとっても近接する北東アジア諸国との経済関係強化なしに今後の発展はありえない。

 ソ連邦解体後、新生ロシアは計画経済から市場経済への移行という大転換を試み、その中で極東経済も大きく変動している。以下では、わが国にとって地理的に身近なロシア極東地域におけるソ連邦解体から現在に至る経済動向、同地域における市場経済改革の進捗状況とその影響を概観する。

 


 

数字で見るロシア極東(2000年版)

 

1.    面積と人口

2.労働と雇用

3.投資と建設

4.国民経済計算・財政・金融

5.工業

6.農業

7.運輸・通信

8.生活水準

9.社会・教育

10外国貿易

 

資料解説

本資料では一昨年(本誌1998年6月号)、昨年(本誌1999年7月)に引き続き、ロシア極東地域の統計データを紹介する。周知のとおり、ロシアは1998年に金融危機に見舞われ、また同年8月のルーブル切り下げを契機に1999年以後ロシア経済は復調の兆しをみせているが、本資料によって、ロシア極東地域およびその各連邦構成主体でもそうした大きな変動のダイアミズムを感じ取ることができる。

 なお、本資料の作成に当たっては、在ハバロフスクのロシア科学アカデミー極東支部経済研究所(ミナキル所長)より多大な協力を得た。記して感謝する次第である。