ロシア東欧貿易調査月報

2001年6月号

 

特集◆ロシア経済危機から3年

−ロシア経済と対ロ・ビジネスの最新事情−

T.巻頭言:ロシア経済危機後の対ロ交流に新発想を

U.座談会:経済危機から3年後のロシア・ビジネス最前線

V.経済危機後のロシア金融・銀行システム

W.1998〜2001年のロシアの金融市場の回顧

X.ロシア経済の構造・体質は変わったか

  −産業、財閥、銀行の視点から−

Y.モスクワ市民生活の今昔

Z.ロシア向け制度金融の現状と課題

[.ロシア向け貿易保険の引受方針

\、EBRDとロシア・ビジネス

 


 

◆巻頭言◆

ロシア経済危機後の対ロ交流に新発想を

社団法人ロシア東欧貿易会
会長 高垣佑

 ルーブル建て国内短期国債の償還繰り延べ、為替相場の事実上の大幅切り下げ、対外民間金融債務の3ヵ月間のモラトリアムを宣言した1998年8月17日のロシア政府と中央銀行の共同声明の発表(いわゆるロシア経済金融危機の発生)から、3年が経過した。もともとロシアではストックの資源の計り知れない豊かさに比べてフローの経済規模は極めて小さかったし、その日本の10分の1しかない小さなGDPに対する銀行資産の比率も2割程度に過ぎず経済の中で民間金融が果たしていた役割は限定的なものであったから、「金融危機」が普通のロシア国民の生活に対して与えた影響は、実は必ずしも日本で考えるほど大きなものではなかったようだ。

 そうは言っても欧米格付け機関はロシア政府発行の外債のレーティングを最低ランクの一歩手前にまで引き下げ、1997年に5年間にわたるマラソン交渉の末にようやく繰り延べ条件の合意を見た旧ソ連のロンドン・クラブ債務は再びデフォルトを起こし結局36.5%も削減された上に再度繰り延べられることとなるなど、旧ソ連崩壊後少なくとも国際金融の舞台においては再び確立されつつあった大国ロシアの威信がまたもや地に落ちてしまったことも事実であった。しかし、その後はルーブルの大幅切り下げに伴う輸出競争力の強化と国内産業の復活という現象に、原油価格の高騰という追い風が加わってマクロ経済が急速に回復基調に乗る一方、政治の世界ではプーチン大統領が登場し「強いロシアの復活」を掲げて様々な施策を矢継ぎ早に打ち出し強力に改革を進めつつある。

 そのような状況の中で、昨年9月に来日したプーチン大統領の招聘に応える形で、本年5月末から6月初めにかけて今井経団連会長を団長とする対ロシア政府派遣経済使節団がロシア各地を訪問することになり、私自身も同使節団の極東シベリアグループを率いてユジノサハリンスク、オハ、ウラジオストク、ハバロフスク、イルクーツク、そしてモスクワの各都市を巡る機会を得た。これら極東シベリアの諸都市を訪問して改めて痛感したのは、今後日ロ間の経済関係を発展させるためには、中規模、小規模な民間企業ベースの貿易・投資活動を地道に着実に積み上げていく努力が大切だ、ということである。

 ソ連時代の日ソ経済関係は、ソ連邦政府の極東シベリア天然資源開発計画に沿う形でプラント、建設機械、大口径鋼管の納入といった国家レベルの大プロジェクトに関わるものが中心であった。ソ連邦が崩壊した今、ロシアでは社会主義計画経済から資本主義市場経済への転換が図られる中で、連邦政府が直接に財政資金を投入したり融資の返済を100%保証するという形の国家プロジェクトはほとんど存在しなくなり、別の形の資金調達を工夫する必要が生じてきた。今回私自身もヘリコプターから現場を視察してきたサハリン大陸棚の石油・天然ガス開発プロジェクトのように民間ベースで実現の目処が立ちつつあるプロジェクトもあるが、その他の大型案件はインフラ整備的な性格のものも多く、プロジェクトの実現にはなお相当の年月を要するものと思われる。

 その一方で、今回訪問した極東シベリアの諸都市では、上述のマクロ経済の好転という状況の中で、様々な産業分野において若い有能な経営者が育ちつつある現状の一端を垣間見ることができた。中央政府やヨーロッパ・ロシアからのバックアップを余り期待できない極東シベリア地域で逞しく生き抜こうとしている彼らは、地理的な親近感も手伝って、日本企業との交流を真摯に求めている。それに応えて、日本の北海道や日本海側諸県の地方に点在する多くの中堅中小企業が、現実に失敗や苦労を重ねつつも、地道な活動を粘り強く展開していることも分かった。当面は大規模でなくてもよいから、このような地に足のついた貿易・投資活動の積み重ねを通じてお互いの信頼関係を構築していくことが、中長期的に見れば日ロ間の経済関係の大きな発展につながる近道であるように思われる。

 当会としても、日ロ経済交流の拡大を目指す内外の様々な組織と協働して、会員企業によるロシア・ビジネスの発展を積極的に支援すべく、できる限りの努力を続けて参りたいと考えている。会員の皆様には、是非とも忌憚のないご意見やご要望やご提案を積極的にお寄せいただくようお願い申し上げたい。

 


 

◆モスクワ駐在ビジネスマン座談会◆

経済危機から3年後のロシア・ビジネス最前線

はじめに

 1998年8月のロシア経済・金融危機によって影響を受けたということでは、日本の対ロ・ビジネスも同じであった。しかし、具体的にどんな影響受けたかということについては意外に検証されておらず、単に危機だからダメージを受けたという先入観だけで語られることも多い。

 そこで、モスクワに駐在して実際に対ロ・ビジネスの最前線に立っておられる日本人ビジネスマン4名にお集まりいただき、経済危機以降の3年間を総括していただくとともに、日ロ経済関係の現状と今後の展望についても語っていただいた。

◆出席者(敬称略・氏名五十音順)◆

岩本茂(三井物産 モスコー事務所 所長)

佐竹昭彦(日本電気 モスクワ事務所 CIS首席駐在員)

鈴木茂(KOMATSU CIS地域担当 モスクワ事務所 所長)

山口広治(丸紅 CIS総代表(兼)モスクワ支店長)

司会    池田正弘(㈳ロシア東欧貿易会 モスクワ事務所 所長)


 

経済危機後のロシア金融・銀行システム

鞄結梹O菱銀行 国際業務部 主任調査役
松村紀

はじめに
1.1998年のロシアの金融危機の顛末
2.銀行システムの再構築に向けて
3.銀行システムの現状と問題点
4.制度・政策面での課題
5.今後の展望 −結びに代えて−

 

はじめに

 1998年8月のいわゆる「ロシア経済・金融危機」から3年が経過した。この間、ロシアでは危機への対処、金融・銀行システムの再構築に向けた試みが積み重ねられてきたが、いまだに制度的な不備や未解決の課題も多い。本稿では、経済危機以降のロシアの金融・銀行部門の動向を、制度的な側面から整理することとする。

 


 

1998〜2001年のロシアの金融市場の回顧

当会モスクワ事務所 副所長
.ヴォロンツォフ

はじめに
1.金融危機の発生とその後の推移
 
(1)嵐の前触れ:1998年5〜8月
 
(2)1998年8月の危機勃発
 
(3)1999年の概況
 
(4)2000年の概況  
 (5)2001年上半期の概況
2.金融市場各部門の概況
 
(1)インフレ率
 
(2)銀行および信用市場
 (3)外国為替市場

 (4)国債市場
 (5)地方債市場
 (6)株式市場
 (7)外債市場
おわりに

 

はじめに

 本誌では、ロシアの金融市場の主要指標を紹介し、解説を加えたレポートを半期ごとに掲載している。今回は、過去のレポートを踏まえつつ、さらに2001年上半期の最新の情報も加え、1998年8月の経済・金融危機から今日に至るまでの3年間のロシアの金融市場を回顧することとする。

 


 

ロシア経済の構造・体質は変わったか 
―産業、財閥、銀行の視点から―

ロシア東欧経済研究所 調査部次長
坂口泉

はじめに
1.産業構造の問題 ―輸入代替分野を中心に
 (1)輸出志向型分野
 (2)輸入代替分野
2.ロシア新興財閥の変容
 
(1)石油会社を核とする新興財閥
  1)ロスプロム(ユコス・グループ)
  2)アルファ・グループ
  3)シブネフチ・グループ
 
(2)金属関連企業を核とする新興財閥
  1)ロシア・アルミニウム
  2)マフムドフ・グループ
  3)RENOVAグループ
  4)セヴェルスターリ・グループ
  5)統一冶金会社
  6)インターロス・グループ
 
(3)その他のグループ
  1)システマ・グループ
  2)MDMグループ
 
(4)経済危機後に凋落した新興財閥
 
(5)現時点での新興財閥の特徴点
3.ロシアの銀行業は今
 
(1)ロシアの銀行の全般的特徴
 
(2)ロシアの最新銀行業界地図
まとめにかえて

(付属資料)ロシアの200大商業銀行ランキング

 

はじめに

 ロシア経済は、2000年のGDPが前年比で8.3%伸びるなど、数字のうえでは目覚ましい回復振りを示しており、1998年8月の経済・金融危機の後遺症はもはやほとんど感じられない。むしろ、ルーブルの切り下げが輸出促進、輸入抑制という形でロシアのリアルセクターの追い風になったことは周知のとおりである。国際的な資源価格の高騰にも支えられて、ロシアはこのところ大幅な貿易黒字を計上しており、輸出志向型産業ではようやく投資も上向いてきた。また、以前は輸入品に席巻されていた食品産業等でも、ルーブル安を受けて輸入代替が進み、国内生産が顕著に増加した。

 ただ、ロシア経済の堅調さを支えてきた輸入代替品製造分野では、最近になってややその勢いに陰りが見られるようになってきている。たとえば、食品分野においては、1999年には全体の63%であった黒字企業の割合が、2000年には59%に減少している。また、裾野の広がりのある加工分野がなかなか育ってこない点も気にかかる。たとえば、2000年にカラーテレビの生産量は前年の約5倍に達したが、その部品の大半は輸入品である。これでは、大きな波及効果は期待できまい。

 他方、すべての産業の基盤ともいえる電力分野では、設備の老朽化が進行しているのに充分な設備投資が行われておらず、危機的な状況が続いている。その他、その電力分野を、安価な天然ガスを供給するという形で下支えしている天然ガス分野では、(とくに上流部門において)長年にわたる投資不足の弊害が顕著になってきており、2000年の生産量は前年を1.2%下回った。

 こうして見てくると、確かに、外的環境の好転によりマクロ指標は改善されたが、これは短期的なトレンドという側面が強く、ロシア経済が抱える構造的問題(産業構造の偏り、基本生産インフラの老朽化等)の解決の糸口は、まだ明確には見えてこないとの印象が強い。こうしたなか、本来であれば投資資金を供給すべきロシアの銀行は、経済危機後もその役割を充分には担えないでおり、いわゆる「新興財閥」も当初の期待とは異なる展開をたどっている。

 そこで本稿では、経済危機をはさんで、ロシア経済の構造や体質といったものが果たして改善されたかどうかを、具体例を挙げながら実証的に論じていくことにする。題材としては、産業構造の問題、新興財閥(企業グループ)の変容振り、そして商業銀行の動きを取り上げる。

 


 

モスクワ市民生活の今昔

当会モスクワ事務所 副所長
.ヴォロンツォフ

はじめに
1.勝ち組と負け組
2.モスクワとその他の88地域
3.モスクワ市民の家計の特徴
4.輸入代替工業部門における生産の上昇
5.モスクワの外食産業の様相
6.広がる小売店網:いくつかの成功例
7.総括:経済危機後の変化のバランスシート

 

はじめに

 本稿の最初にまず、「1998年8月の経済危機後あなたの生活は変わりましたか。変わったとしたらどのように変わりましたか」という質問に対するモスクワ市民の答えのパターンのうち最も多いのはどのようなものか考えてみよう。その答えはまずこうなるだろう。「ほとんど変わらないね」

 以下、この問題の解釈を試みよう。今日の条件下では、普通のモスクワ市民の日常生活というものは、他のロシア庶民全般の場合と同じく、国のマクロ金融状況にはあまり依存していないのである。人と金融システムがわずかしか相互依存していないがゆえに、平凡なロシア市民の懐具合がロシアの金融市場の状況から相対的に独立しているということにもなるのである。

1998年8月の危機後あなたの生活は変わりましたか」という質問自体、奇異に受け取られかねない。または、多くの者はこう答えるかもしれない。「ああ、変化はあるよ。でもそれは、3年も前の金融危機とは何の関係もないね」

 基本的に、上に挙げた2通りの答えを紹介することによって、この原稿を終えてしまってもよいとも思われるが、ことはそう簡単ではない。1998年8月は、様々な意味でロシア人の生活にある種の変化をもたらしたのである。すべてが目に見えるとは、または非常に明瞭だとは限らない。良い変化もあれば悪い変化もあるし、地域によってその変化は異なるかもしれない。しかし、変化をもたらしたことは事実なのだ。

 そこで本稿では、経済危機後に生じた主な変化について考察を試みる。分析の便宜上、モスクワ市一地域のみを取り上げることにする。ただし、モスクワはロシア全体の状況からは程遠いということを理解しておかなくてはならない。モスクワの住民は、平均的にヤロスラヴリ、エカテリンブルグ、イルクーツクなどの住民より金銭的に恵まれているのである。それでもモスクワの例が注目に値するのは、ここにはロシアの大部分の銀行資本が集まり、信用、為替、証券市場の最大規模の市場が集中しているからである。モスクワは他の地域に比べかなり早く1998年8月の出来事に反応したし、ここでは必要な経済的な情報がどこよりも早く手に入れられるのである。

 


 

◆インタビュー◆

ロシア向け制度金融の現状と課題

国際協力銀行国際金融第2部部長
隈部兼作

はじめに

 ロシア金融危機から3年が経過し、同国ではプーチン大統領のもと構造改革の努力が続けられており、経済パフォーマンスも現時点では好調に推移している。しかし、ロシア向けの輸出については、やはりまだ公的信用に依存するところが大きいのが実情であろう。こうしたなか、かつて日本輸出入銀行(現国際協力銀行、JBIC)が表明した対ロ12億ドル輸出信用枠を利用したプロジェクトのうち、長らく宙に浮いていたヤロスラヴリ製油所の案件がようやく全面解決をみたというニュースが最近報じられた。

  ロシア向け融資の問題は何か。JBICはロシア向けの融資にどのような方針で臨んでいるのか。昨年までJBICのモスクワ駐在員事務所首席を務められ、この6月に国際金融第2部の部長に就任された隈部兼作さんにお話をうかがった。隈部部長は融資の問題にとどまらず、ロシアが国際的な信用を確立するためにすべきこと、日ロ間の経済関係のあり方全般についても持論を述べられた(2001年7月18日、都内にて)。

 


 

ロシア向け貿易保険の引受方針

はじめに

 独立行政法人日本貿易保険は6月26日、最近のロシア経済状況の好転を受け、ロシア向け貿易保険の引受方針を変更すると発表、7月2日からこれを実施している(新たな引受方針については下記参照)。

 日本貿易保険では、ロシアの経済・金融状況をどのように評価しているのか。今後、さらなる緩和策はあるのか。本誌編集部の質問に対して、日本貿易保険営業第一部から書面で回答をお寄せいただいたので、以下のとおり紹介する。

 


 

◆セミナー記録◆

EBRDとロシア・ビジネス

 

はじめに
1.EBRDの概要と対ロシア・アプローチ
 
(1)EBRDの活動概要(P.レイニガー)
 
(2)EBRDのロシア戦略(J.ハーフィールド)
2.産業別のアプローチ
 
(1)ロシアの資源開発におけるEBRD(A.リジェンコ)
 
(2)テレコム分野におけるEBRD(P.レイニガー)
3.トレード・ファシリテーション・プログラム(J.ハーフィールド)

 

はじめに

  『ロシア東欧経済速報』(2001年5月25日号、No.1193)で既報のとおり、当会では5月23日、欧州復興開発銀行(EBRD)から3名のロシア担当官を招聘し、日本貿易振興会(JETRO)およびEBRDとの共催で「ロシア貿易投資セミナー」を開催した(開催概要は下記のとおり)。

 当日は、EBRD側のプレゼンテーションを踏まえ、日本側パネリストとの間で議論が交わされ、さらにはフロアも交えて質疑応答が行われた。EBRDの対ロシア事業の基本方針から、具体的な投融資のスキームまで、幅広い討議が行われた。

 セミナーの概要はすでに上掲『ロシア東欧経済速報』で紹介済みだが、ここではセミナーにおけるEBRD側報告者の発言をより詳しくお伝えすることにする。

 


 

  ◆編集後記

 考えてみれば、1998年のロシア経済・金融危機は、今日のプーチン政権誕生の遠因にもなっています。経済危機の前までは、チェルノムイルジン元首相やネムツォフ元副首相など、政府で経済を担当している政治家こそ、エリツィン大統領の後継者候補だと考えられていました。しかし、1998年の経済危機で、それまでの政策路線の破綻があらわになり、チェルノムイルジン・タイプの産業ロビイストも、ネムツォフやキリエンコのようなリベラル改革派も、失墜の憂き目にあったわけです。今振り返れば、既存の経済閣僚とは一線を画す新しい後継者の模索が、1998年8月から始まったのかもしれません。

 ルーブルの暴落でキリエンコ内閣が倒れたあと、プリマコフ、ステパーシン、プーチンと首相が目まぐるしく交代したのは記憶に新しいところです。この3人はいずれも、ロシアで言うところの「シラヴィキ」、つまり軍事・保安関係者です。本来ロシアで首相というのは経済を管理するポストであり、そのポストに3人のシラヴィキが相次いで就任する事態は異例中の異例でした。しかも、3人ともきわめて高い国民的人気を獲得しましたが、これはロシア国民が経済派の政治家を見限った反動だったのでしょう。また、エリツィン大統領が次々と首相を入れ換え後継者候補を心行くまで吟味できたのも、市場がすでにいったんはじけてしまっていたからなのかもしれません。

 ともあれ、プーチン新大統領の下、ロシアは経済・金融危機3周年を迎え、経済の再建・改革が試みられています。ここでいったん3年間を振り返り、現時点でのロシア経済と対ロ・ビジネスの状況をまとめてみようというのが、今回の特集号の趣旨です。実は本誌ではこれまで、こうした形での特集号はあまり前例がなく、手探りの編集作業となりましたが、なんとか形にすることができました。ご協力いただいた関係各位に改めて深謝申し上げる次第です。

 本誌では今後も、読者の皆様のご関心に沿うようなテーマを選び、適宜特集を組んでまいりたいと思いますので、どうかご期待ください。

(服部)