ロシア東欧貿易調査月報

2003年12月号

 

T.ロシアの携帯電話市場の新しい局面

U.ロシアの金融セクター改革の動向

V.アゼルバイジャンの権威主義体制 −2003年大統領選を受けて−

W.ロシア沿海地方における外資進出状況

◇◇◇

ロシア企業クローズアップ

 1.アフトヴァズ

 2.サン・インターブビュー

データバンク

 CIS・中東欧諸国の市場経済移行進展度

CIS・中東欧ビジネストレンド(2003年10月分)

CIS・中東欧諸国関係日誌(2003年10月分)

 


 

ロシアの携帯電話市場の新しい局面

 ロシア東欧経済研究所 調査部次長

坂口泉

はじめに

1.全般的状況

2.主な事業者

3.ロシアの携帯電話販売代理店

4.端末市場の特徴

まとめにかえて

 

はじめに

 ロシアの携帯電話市場では、2000〜2001年ごろより大都市部を中心に加入者の拡大フェーズが始まり、現在、その中心は地方部へと移行しつつある。地方部の携帯電話普及率がまだ10%強と低い水準にあることを勘案すれば、拡大フェーズは当分続くと予測される。

その他、最近、ロシアの携帯電話部門では、新しい局面の展開を予見させる事象が目立ってきている。たとえば、アルファ・グループによるメガフォンの株式の取得、モスクワでの次世代携帯電話事業者(CDMA-450)の商業サービス開始などがそうである。

本稿では、拡大フェーズが続く携帯電話市場の現状を、新しい局面の展開を予見させる事象や携帯端末市場の状況等にも言及しながら紹介する。

 


 

ロシアの金融セクター改革の動向

                                          高知大学助教授

塩原俊彦

はじめに

1.金融資源の最近の動向

2.ルーブル・外貨建てに注目した預金・貸出

3.金融セクターの改革

4.金融セクター改革の問題点

5.個別銀行の動向

結びにかえて

 

はじめに

 ロシアの金融セクターは近年、どうなっているのだろうか。本稿ではまず、金融セクターの動向について簡単に説明し、そのうえで、金融セクターの改革がどのように行われようとしているかを探りたい。ついで、その問題点を明らかにしたい。最後に、個別の銀行について理解を深めたい。

 


 

アゼルバイジャンの権威主義体制

2003年大統領選挙を受けて―

慶應義塾大学 総合政策学部

廣瀬陽子 

はじめに:政治的混沌が続くコーカサス

1.アゼルバイジャンの政治土壌:グルジアとの比較の中で

2.アゼルバイジャン独立と内患外憂

3.アリエフ政権誕生:続く混乱と権威主義体制の確立

4.権力世襲への道

5.2003年大統領選挙

結びにかえて:今後の展望

 

はじめに:政治的混沌が続くコーカサス

2003年の秋に、旧ソ連・南コーカサスのアゼルバイジャンとその隣国のグルジアにおいて、大きな政治変動があった。アゼルバイジャンでは10月15日に大統領選挙が、グルジアでは11月2日に議会選挙が行われ、双方ともに非民主的な選挙であると評価されたが、その結末は全く逆の方向に向かった。

アゼルバイジャンでは、10年間権力の座にあって権威主義体制を確立していたヘイダル・アリエフ大統領の息子イルハムが大統領に当選し、旧ソ連初の権力世襲が成立した。選挙は非民主的であると評価されたが、抗議行動を起こしたのは野党の一部の活動家に過ぎなかった。

他方、グルジアでは野党が不正選挙に抗議し、また12年間の貧困と苦悩の生活にもはや我慢できなくなっていた民衆が合流して、大規模な抗議行動を起こした。最初は戒厳令で応戦しようとしたエドゥアルド・シェワルナゼ大統領も、軍部にも離反されたため、ついに11月23日に辞任を表明した。国民が一体となって政権を退陣に追い込んだことは、権威主義体制が乱立するソ連解体後の旧ソ連空間において、「下からの民主化」を初めて成功に導く重要な一歩といえるだろう。

アリエフはソ連時代に、20年近く勤務した国家安全保安委員会(KGB)で頭角を現した後、アゼルバイジャン共産党第一書記を経て、ソ連共産党政治局員およびソ連第一副首相に就任した。88年にゴルバチョフの汚職追放運動の一環で年金生活入りを余儀なくされたが、後述のとおり、93年にアゼルバイジャン大統領に当選し、政治の第一線に返り咲いていた。ナゴルノ・カラバフ紛争やクーデター未遂に悩まされながらも、カスピ海の石油や地政学的な重要性を利用しつつ、欧米やトルコに接近する一方、ロシアにも配慮するバランス外交を展開し、国内では権威主義体制を確立していった。しかし、ナゴルノ・カラバフ紛争の余波で国内に難民・IDP(Internally Displaced People)を人口の8分の1にあたる約100万人抱える一方、カスピ海の石油産業も芳しくなく、失業率が高まる一方、国民の平均月給が25ドル程度であり、汚職が大変深刻であった状況の中で、国民は不満を感じていた。

他方、シェワルナゼはソ連時代にグルジア共産党第一書記を経て、ゴルバチョフ政権下で外相を務め、「新思考外交」を実践し、ドイツ統一の立役者としても活躍するなど、冷戦終結に貢献した人物であり、欧米諸国からの信頼も厚かった。しかし、ゴルバチョフの「独裁化」に警鐘を鳴らし、90年末に外相を辞任した。独立後の内戦で混乱していたグルジアに92年に帰国し、最高会議議長(国家元首)を経て、95年からは大統領に就任し、2000年の大統領選挙でも再選を果たした。国内に複雑な民族問題や不安定な社会情勢を抱え、暗殺未遂事件にも2度遭遇し、ロシアとも緊張関係にあった一方、ソ連外相時代に築いた欧米諸国との良好な関係を糧に親欧米的な外交路線を歩みつつ、国内では権威主義体制を固めていった。しかし、アブハジア紛争、南オセチア紛争による国内の疲弊と大量のIDP、そして常時の電力の不足や査証体制の導入、チェチェン国境付近への攻撃などにあらわれるロシアによる締め付けなどにより、国民の生活状況は悲惨極まりなかった。シェワルナゼは欧米から支援を得ることに成功したが、その分配に失敗し、失業率が高まる一方、平均月給も30ドル、年金も月7ドル程度にすぎないなかで、腐敗構造が深刻化していき、国民の不満は高まる一方だった。

このように、国境を接する旧ソ連構成共和国であったアゼルバイジャン、グルジアの政治的、社会的状況は非常に似ていた。つまり、欧米と良好な関係を持つソ連時代の共産党のトップエリートが国家元首として君臨し、不正選挙により民主化を偽装しつつも権威主義体制を固めていった一方で、汚職の横行により政治と経済の腐敗が進んでいった。そして、一握りの特権階級が権力の甘い蜜を吸う一方、一般民衆は高い失業率、低賃金、電力不足、難民・IDPによる社会の荒廃などによる劣悪な生活環境の中で貧窮生活を強いられて、長年にわたり不満を募らせていた。

それでは、地理的にも近接し、同じような政治・社会環境を共有してきた2国が2003年秋に突然全く逆の方向に歩み始めたのは何故か。そして、アゼルバイジャンの権威主義体制はどのように確立され、世襲構造の確立にまで至ったのだろうか。また、今後もアゼルバイジャンの権威主義体制は安泰なのだろうか。本稿では、まずグルジアとの対比をしつつ、アゼルバイジャンの政治的な土壌を確認し、独立後のアゼルバイジャンにおいて権威主義体制が確立していくプロセスを概観してから、2003年の大統領選挙を検討し、今後の展望についても述べたい。

 


 

ロシア企業クローズアップ

 

1.アフトヴァズ

 言わずと知れたロシアの乗用車最大手。2002年秋、中古車の輸入関税引き上げ前の中古車駆け込み需要で大きな打撃を受けたが、その後回復を遂げる。ロシア国内の好景気を背景に、高価格の車種へのシフトをめざす。

 

2.サン・インターブリュー

 ベルギーとインドの資本によって設立されたビール醸造大手で、新興勢力ながら業界2位の座を確保。ロシアのほかウクライナでも生産・販売を手がける。プラスチック容器・缶容器への出遅れなどで、2002年の経営は不振であった。

 


 

データバンク

 

CIS・中東欧諸国の市場経済移行進展度

 EBRDが毎年刊行しているTransition Report の最新版(2003年版)が発行された。ここではそのなかから、CIS・中東欧諸国の市場経済移行進展度についての評点(俗にEBRDの「通信簿」と言われているもの)をまとめてお届けする。各項目についての評点の見方は、最低点が1、最高点が4+であり、4+は先進国並みの水準に達していることを意味する。